断章『見えざる剣』7
年末進行だけでも強敵なのに疲労からくる風邪……十傑集が3人まとめて攻め込んでくるようなものか……。
アクロバティックな動きで競った少年から仲間に入れと誘われていたイサミが、ようやくそれを断ってユイリンのところに自転車を引いて戻ってきたのは20分近く経ってからのことだった。
「イサミ、おそい」
勝手に早合点して結婚の約束を迫られたと誤解していたユイリンは、すねた声で賭けの勝者を迎えた。
「ごめんねユイちゃん。あのお兄さん、ぼくにチームに入れって、しつこくてさ」
「言い訳するのは男らしくないわよ」
「お姉ちゃんみたいなこと言わないでよユイちゃん。それよりぼく、おなかすいた。お店にもどって、なにか、たべようよ?」
ユイリンはイサミがさっきの少年と楽しげに会話していたのを遠目で見ている。
だから彼女のところに戻ってきたのはお腹が空いたからという理由からだろうと疑っていた。
「ざんねんでしたー。おじいちゃんのお店は夜の5時までお休みでーす。おじいちゃん、時間にはきびしいから、イサミがどんなにおねがいしたって、5時にならないと作ってくれないの」
「えーっ、そんなあ」
少しばかりイサミが冷静になれば、老店主が姉のタマモや自分のために、休み時間中にも料理をしてくれたことを思い出せるはずだが、妙に強気で勝ち誇ったユイリンの勢いに呑まれてしまっている。
「おさいふ、お姉ちゃんにあずけてるから……買い食いもできないのに……」
しょんぼりとしてしまったイサミは、迷子になった子犬のようで、かわいらしいとユイリンは思う。
「しょうがないなあ、そんなお腹すいてるなら、あたしがおじいちゃんの代わりに、たまごチャーハン作ってあげる」
「ほんと? ありがとユイちゃん! だいすき!」
ユイリンが欲しかった意味での言葉ではないのだと彼女自身もわかってはいたが、それでもほったらかしにされて、さびしかった心を埋め合わせてくれるだけの笑顔だった。
「じゃあ、坂の下にあるスーパーでタマゴとネギとベーコン買って、それで店にもどるわよイサミ」
「お店にあるざいりょう使わないの?」
「し、しっぱいしたら、夜のえいぎょうの時に、おじいちゃんにめいわくかけちゃうでしょ。だからあたしのおこづかいでイサミの分だけべつに買って使うの。そんなこともわかんないの?」
「しっぱい、するんだユイちゃん?」
「5回のうち、1回か2回だけよ! もんく言うなら、作ってあげないんだから!」
「わーっ、わーっ、言わないよ! 言わないから食べさせてユイちゃん!」
「ん、それでよろしい♪」
自転車を押して歩くイサミを従えたユイリンは、すっかり上機嫌になって中央公園の噴水前を後にする。
だが、敷地から出ようとしたその時、彼女は見た。
「な、なにあれ?」
アメリカ海洋連合の軍服を着た小柄な人物がふたり、自分たちのいる方へ走ってくる。
ひとりは反撃しようとしてか振り返って拳銃を撃つが効果はない。
そして、そのふたりを追尾するようなアメーバ状に展開する黒い軟体質の化物。
「くろにくる・はーゔぇすたーず……」
イサミの口から出たそのたどたどしい言葉は第三次世界大戦後の世界では広く流布された危険な存在ではあったが、彼の言葉はまるで異質な言語の使い手が苦労してその音韻を発しているようにも聞こえた。




