断章「見えざる剣」4
「……もう平気です。イサミの戦闘機動について何が問題なのか教えてください」
5分に満たない静かな嘆きを経てから、玖堂タマモは自制心を取り戻した。
顔を上げたその表情には、キド大尉が見知っている神秘的な美少女の涼やかなものだ。
「ここは外部とは切り離したクローズドなシミュレーション環境に設定してある。だがイサミは私の部下や再現された私相手では退屈だと考えたようで……上の階にある公開型のシミュレーター室に忍び込んだようなのだよ。彼に敗北を喫した我がアメリカ海洋連合軍所属の士官候補生どのから身元を明かしての再戦を望むとの挑戦状が届いてしまった」
キド大尉が言外に、その挑戦を認めるつもりがないのは口調から明白だった。
そもそも現役の士官候補生が、わずか6歳の男児に負けてしまったなどという事実は不名誉極まりないものであるし、その出自を公開すれば今後のイサミの処遇にも影響が出る危険性もあった。
「大尉は事実上、シルエットキャリバー乗りの頂点です。若者の挑戦に応じて差し上げる義務があるのでは?」
タマモは皮肉を言ったのではなかった。
あるとすればそれは、第三次世界大戦で名を馳せたエース中のエースパイロットである彼が、その影響力を発揮して士官候補生とやらを黙らせられないことへの当てこすりだった。
「イサミの真似をするのは不可能ではないが難しい。それに、実機を使っての対戦ともなれば、どうしても自分本来のくせが表に出て、取り繕っているのが相手にバレてしまうだろう」
「では、イサミにどうしろと?」
「イサミにではない。玖堂タマモ、きみが、しかるべき機体に乗って戦うしかない、そう言っているのだよ。同じ剣を学ぶ同門であり姉弟でもあるきみなら、相手に違和感を生じさせることなく戦えるはずだ」
「無茶な要求にはお応えできません。わたしはマグナキャリバーにしか乗ってはいけない身体です。もしもシルエットに乗ってしまえば何が起きるのかは……わたしが5歳児だった時の一件で理解されていると思うのですが」
「それに関しては問題を解決する方法がある。アデリーランド条約に抵触しない形でな」
「……百歩譲って、わたしが乗り手になったとしましょう。今の段階でならイサミの戦闘機動は再現できます。でも、それ以前に大尉が負けず嫌いの士官候補生を黙らせる方が簡単なのでは?」
天尽夢想流という武術を両親から学んだ同門の姉弟子でもあるタマモは、弟の現時点での力量を正しく理解している。キド大尉への言葉に偽りはない。現時点でならば間近いなく、イサミの真似をすることは可能だ。
「もうひとつ言い訳はさせてもらえるなら、くだんの士官候補生どのはバギルスタンの王族なのだよ。国際交流というやつが裏目に出た。下手に事を荒立てると国際問題に波及しかねない……なるべく穏便な形で収めろというのが上官からの指示という次第だ。プリセンス・キクカのご意向もあるとは聞くがね」
「たかだか王族のひとりのわがままで、普及型VA源動基の活性化を拒否するほどドニヤザード陛下は狭量ではないと思いますが……回答は伝承院様にお会いした後でもかまいませんね?」
どうやら本音のところは自分を特定の機体に搭乗させることにあるのだと察したタマモは、キド大尉にこれ以上の疑問をぶつけて腹の探り合いをするのは不毛だと断じたようだった。
「無論だとも。マリー・アントワネットは横須賀に停泊しているはずだ。急ぐなら動ける航空機を手配させるが」
「遠慮しておきます。イサミを母のところに連れて帰ってからになるでしょうから」
タマモが席を立つよりも少しだけ早くキド大尉は出口に足を向けていた。
ハーメルン症候群由来の異能とは無縁の彼に自分の行動を先読みされてしまうことはこれが最初ではなかったが、それでも不本意な要請に困惑する今のタマモには不快なものだった。
「もしもし、わたしよお母さん」
素直にキド大尉の後ろに続かず、取り出した携帯端末で自宅に電話をかけたのは、緊急の連絡があるのではなく子供じみた反抗なのだった。
最近になって離れていた娘との生活を再開したエースパイロットには、タマモのそんな言動が理解できてしまう。だから黙って彼女を待つことにした。
「あ、お父さん……帰っていたのね? ええ、イサミはユイちゃんと遊んでいるわよ。これから迎えに行って、すぐ戻るわ。しばらくゆっくりできるんでしょう?」
タマモの父親である藤原ヒロミが多忙であることはキド大尉も周知の事実だ。
世界のあちこちに穿たれてしまった危険な開口部から侵食してくる怪異――〈年代記収穫者〉という人類の敵。
それらを討伐し、追い落とす務めに従事しているのは軍人たちだけではなく、藤原ヒロミのような民間のスペシャリストも必要とされている。
しかも非公式とはいえタマモの父は生身で超越者と渡り合い、退去させることに成功した稀有な存在でもある。彼は最前線で戦うと同時に、霊的能力を用いる戦闘技法の指導者としての役割を担っているのだ。
「ダメよ。次に帰ってきたら、みんなで水族館に行くって約束したわよね? そうじゃないわ、ほったらかしにされたらお母さんがかわいそうだと言っているのよ。わたし、弟か妹がもうひとりくらい増えても文句言わないし、むしろそのほうがうれしいわ」
後半はともかく、前半の苦情部分は玖堂タマモという少女も人の子でありその父である藤原ヒロミもまた仕事優先で家庭に不在がちな世の父親と大差ないな、とキド大尉はほほえましく思う。
「家族サービスしてくれないなら、わたし不良になって、また家出するけれど、いいのね?」
娘に振り回される父親として藤原ヒロミに同情したキド大尉はいっそ助け舟でも出そうかと思い、振り返ってタマモの方へ近付いていく。
「ッ?」
明確な異能として定義されていない直感が働いてキド大尉は身構える。
「お父……さん?」
携帯端末を介した通話は中断させられていた。
軍事施設であるこの管制室内では許可なき通信を制限しているが、外部協力者となっているタマモの端末は正式に使用を認められている。
「なによ……この気持ち悪い感覚?」
圧迫感と死臭を撒き散らして接近してくる何か。
タマモはそれを直感として得ていた。
父とのひさびさの会話を中断したのは、その何かが出現したことによる空間と霊波動の乱れが原因なのだろうとも推察する。
だがタマモがそれに反応するよりもキド大尉の方が数秒だが早かった。
仮にではあるがこの2人がシルエットキャリバーで対決していれば、そのわずかな差が勝敗を決するに足るだけの違いである。
「玖堂……すぐにさっきの店か中央公園にイサミを迎えに行け。こういう時の悪い予感は当たる方だ」
「少し派手になるかもしれませんが、対〈年代記収穫者〉の予防的措置ということで了解をお願いします」
返事を待たずタマモはキド大尉の脇を通り過ぎて退室していく。
生身の体では異能の使い手たちに劣ると自認する彼は追いかけるようなことはせず抑制された足取りで定位置である上層階のオフィスに向かう。
「警戒シフトを1段階、いや2段階上げておけ。場合によっては市街戦もあり得るぞ」
タマモと自分が認識した脅威は具体的なものとなって出現するはずだと考え、彼は部下たちに臨戦態勢を取らせた。それに関しての上官への事後報告する口実を思案するのが憂鬱だった。
「キド大尉! 靖国通りを新宿方面に高速移動する能力者が――」
「玖堂だ。さきほど私が調査する依頼と能力使用の許可を出した」
「いえ、玖堂タマモとは別にもう一体! 未登録の霊波動パターンが!」
通行人や車の迷惑にならないようにタマモはビル群の屋上を跳躍しては疾走することで中央公園に急いでいたが、すぐにもうひとりの何者かの接近に勘付いた。
「わたし今、気が立っているの。死にたくなかったら、さっさと逃げ出すことね」
振り返らずにタマモはそう言ってセーラー服の胸元から短冊状の呪符を取り出すと、微弱な霊力を注ぎ込んで活性化させた。




