断章『見えざる剣』1
今回の断章は時系列的には五章『ソードマスター・シルエット』4の続きです
七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』24の直後となる同25に直接リンクするところまで2~3回分これになる予定です。
「宮川ユウという人物を知っているかい?」
キド大尉は物珍しそうに玖堂タマモが平らげた大量の空き皿を見ながら言った。面識を得てから、見た目に反し意外に健啖だというのは知っていたが、ここまで極端に大食らいだとは思ってもいなかったからだ。
「母方のおじです。母の双子の弟で、5歳で亡くなったと聞いていますが。それがイサミと何か?」
紙ナプキンで口元をぬぐうと、玖堂タマモは席を立った。
現代的なミニスカートではなく古風なセーラー服のスカートの裾は膝丈あたりまでで、それがかえって白い素足と黒い靴下を印象的に思わせる。
立ち上がる挙措によってわずかに翻った長い黒髪のつややかさも、ここが場末のラーメン屋の店内だということを忘れさせる清冽さがあった。
「ここではお話できないんですね? でしたらどこか場所を変えましょう」
前世のひとつである黄玉鈴が拠点としていた香港の暗黒街にある都市要塞ならともかく、この老朽化したビルの1階にあるラーメン屋では機密性がありそうな長話をするのは無理と判断して、そう言った。
「続きは市ヶ谷の管制室で話そう。支払いを済ませるといい」
キド大尉もそのあたりの事情は理解してもらえたとの感触があったようだ。
市ヶ谷には旧防衛省の施設跡に再建された国防軍施設がある。
その一部は環太平洋合同軍東京本部として貸与されていた。
先に店を出て部下たちと共に表に停めてある大使館ナンバーの付いたセダンに乗車して待機する。
「ごちそうさま。イサミが帰ってきたら食事をさせてちょうだい。その後でわたしの端末に連絡するように伝言をお願いできるかしら?」
オープンキッチンとの境目にあるカウンターに代金より多すぎる金額の紙幣を置いてからタマモは龍と呼ぶ老店主を見つめる。
「わかりやした。なあに、お嬢さえ良けりゃ店を閉めるまで預かって、家まで車でお送りしやすぜ。ガソリン使うボロ車ですが運転の腕はまだまだ現役時代と変わりやしません」
「お願いよ。それと、イサミが甘えてねだっても、おやつやオモチャはあげないでね。どうしてもっていう場合だけ何かあなたが作るものを食べさせて」
「わかりやした。本当にお嬢はイサミちゃんのこととなると心配性だ。では、いってらっしゃいませお嬢」
孫娘の名としてタマモの前世のそれを勝手に命名してしまうほど、彼は美しき女主人に心酔していた。
物心ついた頃には盗みで生計を立てていた彼に人間らしい暮らしと教育を与え、生きる道を示してくれた恩人だからだ。
レディ・ユイリンとして1950年代から1962年にかけて裏世界で悪名を轟かせた彼女の数少ない気まぐれのような善行だった。
「いってくるわ龍、留守をお願いね」
ドアを開けて表に出たタマモは、自分の前世のひとつで言い慣れた言葉を無意識に発してしまったと、数秒後になってから気付く。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうにタマモは小声でつぶやく。
振り返らなくとも老店主が昔を思い出してしまい涙を流しているのは簡単に想像できてしまうからだ。
「失礼します」
客用ということで空席となっていた助手席に、さも当然といった風に乗り込んでドアを閉めるタマモの目には涙がひとしずく。
「これを使うといい。きみが泣いているのを見たのはこれが初めてだな」
運転席でハンドルを片手で握るキド大尉がポケットから取り出した上質な布地で作られたハンカチを手渡す。
「お心遣い感謝します。後日、洗濯してお返ししますから」
タマモは素直にハンカチを受け取って涙を拭った。
「ご再婚なさったとはうかがっていませんが、これはどなたが?」
ていねいにアイロンをかけて折り畳んで、まではマメなキド大尉ならあるとしても、ほのかに香水を霧吹きで忍ばせてあるからには、女性の影があると考えて尋ねたのだ。
「死んだ妻の妹だよ。最近、娘と一緒にこちらへ来て以来、迷惑をかけてしまっていてね」
キド大尉は苦笑いにも見える表情でペダルを踏み発車させた。
平日午後の甲州街道はそこそこの交通量だったが、路面を戦災からいち早く復旧させただけあって、今となっては微妙な高低差が目立つ。
「できれば18時までにはイサミと帰宅したいのですが、難しいでしょうか?」
「なんとも言えんな。もう少しだけ情報を追加しよう。念のために玖堂、きみの出番だ」
「呪符の分も跡で請求しますが、よろしいでしょうか?」
「その分、イサミを鍛えてやる」
「わかりました。伝承院様、一枚、お借りします」
タマモはセーラー服の胸元に手を差し入れると、そこから一枚の紙片を取り出す。それは短冊状の白い紙で、朱色の墨で文字と記号が記されている。
「一文字流符法・静寂……」
呪符を手にしたタマモが微量の霊力を紙片に注いで、あらかじめて構築されていた術式を発動させる。
それは彼女の意志に従い、走行する車内に存在する機械装置のたぐいを選択的に麻痺させ有用なもののみ機能させるという効果を発現させた。
「原始的なトランスミッターがボンネットの裏にひとつ、お連れの方々の上着の裾にナノレベルのドローンがみっつ。とりあえず今はわたしたちが無言のままで市ヶ谷に向かっていると認識させました」
「防諜には気を付けるように装備の連中に何度も言ってるんだが面目ない」
「大尉は大戦の英雄で有名人ですからね。盗み聞き、盗み見をしようとしていたのはオーストラリアと、もと母国のブラジル、アデリーランド条約機構加盟国家は一応同盟国のはずでしょうに……わかりやすいだけに堂々としているつもりかしら」
「俺は政治は苦手だ。しかし今回の件はその政治がからみそうで頭が痛い。玖堂は大久保ハヤトという男を知っているか?」
「曾祖父がその剣名を名乗っていたと聞き及んでいますが」
「俺が言っているのは先の大戦で真に英雄として讃えられるはずだった男の方だ。きみの曾祖父ではないよ」
「赤い髪でKGMという武器を使う黒い学生服姿だった大久保ハヤトですか?」
タマモの表情は一変した。
それはある意味では彼女の見た目的な年齢からすれば珍しくはない恋する乙女のような華やいだものだった。
「彼は今、どこにいるんですか?」
「それは機密で言えない。今回の件にも関わる範囲でなら説明するが……問題なのはイサミがシミュレーターで出したシルエットキャリバーの戦闘機動パターンが、大久保ハヤトのそれと99パーセントの確率で合致しているとの報告があった。これでは俺の一存では握り潰せない」
「それはどういう意味ですか大尉?」
事と次第によってはこの男を相手にしてもかまわない。
そんな不穏な気配を隠そうともせずタマモは問い続けた。




