七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』24
「ヴォストーク湖に眠るあの機体を破壊する……か」
アヴァターラの動きが止まった。
それに付け込むような真似はせず、ハヤトもマーズ・フォリナーでの攻撃を繰り出すのをやめる。
「そうだ。俺に雇われて、俺と組んで、だ」
「それが気に食わないところではある、でも……」
アレス――宮川ユウであった彼は、前世での自分の悲願であり、今生では姉である宮川ユミネの生命を救うためという目的に合致する誘いを真剣に検討している自分に驚いていた。
「大久保ハヤト、ぼくに精神攻撃でも仕掛けているのか?」
「掌打を頭に撃ち込んだ瞬間、そういう攻めもありかとは思ったが、こっちの下準備ゼロで効くとは思わなかったんで、やってねーよ」
「……不思議だね。きみの言葉に心が動いた……」
「俺と来いよアレス」
ハヤトはユウおじさんとも超越者とも揶揄せず、黒い機体の乗り手が自ら称した名を呼んでKGMを納刀する。
戦意が無いことを示して、手を差し伸べた。
「歴史が変わるよ。きみが属していた可能性の世界につながらなくなる。戻れなくなる。ぼくは、もうすぐ死ぬはずだった。でも生き続けている。そしてきみはぼくの死んだ日時を知っている」
「……こっちへ来ると決めた時点で、戻れない可能性の方が高いのは覚悟してる。それに、歴史の整合性を合わせるってなら、宮川ユウは確かに死んで、アレスってやつがいるってことにすればいいだけだ」
「確かに……それで整合性は保たれて、きみの願いである、きみが属していた可能性に世界はつながるわけだね」
「そういうことだ。雇われるなら……そうだな……俺の母親……あんたにとっては姉になるその人に……その人が大人になって、受け止められる心の強さを備えたら、事情の説明込みで正体を明かして、ちゃんと生きてたって教えて、喜ばせてやってくれ」
「……その言葉を本気で言っているのか……確かめさせてもらいたい。約束しよう……確信が持てたなら、ぼくはきみに雇われてもいい」
しばしの沈黙を経てアレスが言う。
「直接、話がしたい。コクピットを開けてくれ。そちらへ行く」
「お安い御用――」
「待ていハヤト! 相手は超越者! 古代トゥーレを滅ぼしただけではなく、幾度もの大断絶を繰り返してこの星の民を苦しめてきた存在なのじゃぞ?」
傍らからイシスが翻意させようとして訴える。
一時の感情に委せて危機を招くのは感心できないと判断するのは当然だった。
「断るなら話はこれまでだ。戦いを再開しよう」
サブウインドウの通信相手が淡々と答えた。
「イシス、あんたの言うのも、もっともだ。だから、こいつとサロメは委せる。万が一の場合はバギルスタンかケルゲレンにでも降りて、俺の代理人とでも言って面倒を見てもらってくれ」
「ハヤトどうするの?」
「あいつに直接会って、さっさと俺に雇われちまえって説得してくる。だからサロメはここで、イシスとお留守番頼む」
「……わかった。あのひと、たぶんウソはついてないとおもうから、それでいい」「待つのじゃハヤト!」
「アレス、そっちの機体に触れさせてくれ、俺があんたのところへ行く」
「いいだろう」
アヴァターラが右手を伸ばす。
マーズ・フォリナーも同様に右手を伸ばして、その指先が触れ合う。
「KGM、だんまりだろうけど、イシスとサロメを守っててくれよ」
次の瞬間、ハヤトの姿はイシスとサロメの前から消え去った。
「ようこそ大久保ハヤト、ぼくの機体……ぽくの世界へ」
「コクピットにしては……広すぎるとこだな」
短距離転移で出現したそこは、ハヤトにとっても馴染み深い場所だった。
東京西部の日野市にある天神夢想流の道場。
その敷地内にある平屋造りの屋敷――宮川家の縁側。
日本庭園として整備された木立と鯉が泳ぐ池。
家屋の方からはノイズ混じりのレコードの歌が聞こえてくる。
ハヤトも幼い頃に何度も聞いて親しんでいるペンギンの歌。
「マーズ・フォリナーも、その気になれば同じようなことはできるはずさ。これはぼくが超越者となったことで造り出した、そちらの機体の影なのだから。そもそも素体の時点であのコクピット内の広がりは不自然だと思うはずだよ」
「なるほど。まだまだブラックボックスだらけで封印されてる機能があるってわけか……で、俺の顔を直接見て、どう判断するんだアレス?」
「KGMはどうした?」
「手打ちして手を組むって話するのに武器を持ち込む方が無粋だろうよ」
「こうして、まんまと口先だけの言葉に乗せられて、ミシェル・バーネットの切り札は敵の手に落ちて封じられてしまうわけか」
「あんた俺の親父に似てるな。いや、別の俺だった前世を思い出してるなら、そうなっても当然か」
ハヤトの態度は変わらない。
だがアレスの次の言葉は彼を動揺させた。
「宮川イサミだった前世のぼくにも姉がいた……」
「続けてくれ……」
「宮川タマミという名だ。ぼくを受胎した母さんを守って……5歳の時にアルハザードに殺されたそうだ……だから会ったことはない」
「うちの姉貴も戸籍名はそうなってたはずだ。で、何が言いたいんだ?」
「少し、きみがうらやましい」
縁側に腰掛けて並んだ2人の前に玖堂タマモの姿が立体映像として映る。
巫女装束姿の5歳児の玖堂タマモ。
七五三の晴れ着姿の玖堂タマモ。
小学校の制帽と地味な制服姿のランドセルを背負った玖堂タマモ。
それらはすべてハヤトが見聞きした写真や動画の中の姉のイメージだった。
「俺の記憶を……見てるってわけかよ?」
「雇い主の経歴を知るのは大事なことだと思うけどね。不服ならやめるが話はそこで終わりにさせてもらうよ」
「むかつくが……あとでたっぷりコキ使ってやるよ」
やがて玖堂タマモの姿は徐々に成長して、ハヤト自身の記憶そのものから再現された動きある映像となっていく。
古風なセーラー服をまとい、左肩にKGMを吊り下げる玖堂タマモ。
誰よりも強く、誰よりもハヤトに厳しくて優しい自慢の姉の生きた姿。
「これが玖堂流廃刃剣の使い手……ぼくを守ってくれた人が成長していれば、こうなっていたかもしれない人の……姉さんの姿か……」
アレスは無邪気な笑みを浮かべていた。
もと超越者を自称する女がいるなら、もうひとり、もと超越者が増えても問題ないだろう、ハヤトはそう考えながら、複雑な関係性の相手の横顔を見つめていた。




