七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』20
マーズ・フォリナーが増加装甲兼外骨格と為った獅子王をまとい遙かな空の高みにある脅威を迎撃せんとして、空を駆け上がる。
「VA源動基5パーセントから20パーセントにまで出力を解放。ダブリューデバイスは第1種から第2種までセイフティ解除」
コクピットに座し両手で左右の操縦桿を握りながら大久保ハヤトは口頭でマーズ・フォリナーに指示する。
「光速機動を使うのかえ?」
傍らに立つイシスが興味深そうにハヤトとメインスクリーンを交互に見比べる。
「そいつをやると、衝撃波で地表が吹っ飛んでヤバいと聞いた。だから最後の手段だな。どっちみち、こいつはまだ、慣性制御やりたい放題なレベルまでは復元できてねーから初手でそれは無しだ」
「よく、わかんないけど、どうするのハヤト?」
後部座席から身を乗り出してハヤトにしがみついたサロメが耳元で尋ねてくる。
「俺の……っていうか正確にはKGM経由で借りられるお姫様のキャリバースキルを使わせてもらう」
アラート音がけたたましく鳴った。
メインスクリーンの端にあるサブウインドウにはR39大陸間弾道弾が発射され、着弾まで8分程度だと警告が表示された。
「もしやそれは……かの武器庫の番人たる死せる皇女の奥義……〈座標内再配置〉とやらではあるまいな?」
「さすが宮川ユウゴの戦友。あの人を知ってたか」
ハヤトは軽口を叩くと目を閉じ、傍らに立てかけてある白銀のハードケース――KGMとの精神的連結を強く意識する。
「返事してくれねーのはわかってるが、頼むよ相棒。お姫様に繋げてくれ」
すると、KGMの表面には薄紫の光のパターンが明滅する。
「だれか……きた!」
目には見えない何かがコクピット内に存在する気配を感じたサロメがそわそわして叫ぶ。
「あまり悠長にはできぬぞハヤト。着弾まで残り370秒」
サブスクリーンの警告表示を伝えながら、イシスもサロメと同じく、突如としてコクピット内に生じた圧倒的な霊力に緊張していた。
ほぼ時を同じくして太陽系外縁部――エッジワース・カイパーベルトと呼ばれる小天体群からなる宇宙。
全長1キロメートルはあるその艦の謁見の間にて、ソヴィエト=ロシア皇帝アレクセイは、友人との別離を惜しんでいた。
「兆しはあったのでな。暇乞いに来るのではないかと思っていた」
アレクセイは軍服姿の青年を見つめて名残惜しそうに言う。
ロマノフ聖騎士団の将校がまとうそれは、ここ数年来の賓客として遇していた彼に良く似合っていた。
「では、天狼機と共にこの艦を離れるお許しをいただけると?」
「私は貴公を客として招いただけ。騎士たちへの教練には感謝するばかりだ。これからも味方してもらいたいとは思うが、それでは君主としての度量に欠ける」
「ご恩は忘れません」
「忘れてもらってかまわぬよ。しかし……その珍妙な仮面は何かね? 初めてきみに出会った時もそれを付けていたと記憶しているが」
それは東洋の古典芸能で用いられる般若の面。
2本のツノをあしらった鬼神の仮面である。
「この般若の面は、おのれの戒めであり、軟弱な心を封じるためのものです」
「なぜそう考えるに至ったかの仔細が気になるが……それは次に会った時の楽しみに取っておこう。ゆくがよい仮面の騎士」
「はっ。アレクセイ陛下もご壮健で」
マントを翻し長身長髪の偉丈夫が皇帝に背を向け去っていく。
「死ぬなよ……タカアキ。きみは私の数少ない友人だ」
光速機動用の後部増加パーツを装備した天狼機が発艦していくのを、騎士たちと共に敬礼しメインブリッジで見送りながら少年のままの姿で齢を重ねた皇帝はさびしげにつぶやいた。




