七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』19
ソヴィエト=ロシア帝国はニコライ2世の血を引くアレクセイ皇子と、共産党内の権力闘争で地位と権力を失いかけたヨシフ・スターリンとの奇怪な政治的・宗教的妥協の下に成立した統治機構である。
革命に伴い旧来の貴族制度は廃止され、共産党と秘密警察による恐怖政治がロシア全土を席捲した。
だが、皇帝は残った。
即位したアレクセイと彼が取り立てた聖貴族と聖教徒からなる聖騎士団のみは密告と赤い粛正の例外であった。
レーニンに忠誠を疑われ、権力の中枢から遠ざけられたスターリンはアレクセイという少年の姿をした悪魔と取引をしたのだ。
スターリンと共産党はロシア全土において、統治権を有する。だが、そこには例外がある。
皇帝アレクセイとその忠実なしもべたちの版図とさだめられた領域には一切の介入ができない。
スターリンに従った共産党員や赤軍の将兵たちは、当初、革命を成功させ党書記長にして帝国宰相となった彼らの上位者が、新皇帝の権威と力を利用し尽くすまでの方便でしかないと考えて、渋々それに同意していた。
だが、列強の干渉をはね除けて新国家の成立が為ってからも、同志スターリンは当初の建前を建前とはせず、契約通りに新皇帝アレクセイの君臨とその配下たちの荘園的な封土を認めた。
当然、反発はあり、赤軍と共産党員の一部は強引にそうした場に乗り込んで、他のロシア国土と同様に略奪と支配を押し広げようとした。
しかし彼らは知ることになる。
なぜ傲慢かつ不遜である党書記長が彼らの訴えを却下し続けて一度だけ忠告をしたのかを。
皇帝陛下とその領域は共産主義の数少ない例外なのだ――と。
超常の力を備えた聖貴族と聖教徒たちを率いるアレクセイ少年は魔人であり、彼らはその力でスターリンら一派を共産党の中枢に復帰させ、ロシア皇帝と聖教徒会議の信任による改革という形でソヴエト=ロシア帝国といういびつな国家の成立と統治を許されたのであった。
老齢のはずの皇帝アレクセイが未だ若々しい12歳の少年としての容姿を留めて国家の代表として君臨し続けていることはVA源動基やVA兵器、そしてハーメルン症候群の存在が世間に流布する以前からのミステリーとして知られていた。
ロシア聖教の敬虔な僧侶や信徒らは、アレクセイ陛下と姫君たちは聖書の創世記に語られる長命な人々と等しく、唯一神の恩寵を賜ったのだと語っている。
北極海の冷たい水底に潜むアクラ級戦略原潜グローム艦内の談話室でも同じように、ロシア聖教とソヴィエト式の共産主義との融合が恒久的な人類の調和と平和をもたらす救いになるのだと、華美な僧衣をまとう聖務将校が兵士たちに神の教えを説いていた。
赤軍時代からソヴィエト=ロシア軍の各部隊の司令部には共産党隷下にある政治将校が配属されて、軍への影響力を誇示して現場の軍人たちに嫌われてきた。
しかし第二次大戦が終結し、ソヴィエト=ロシアが核兵器を保有・運用するようになると皇帝アレクセイは帝国宰相たる党書記長に、ある要求を突き付けた。
核戦力を使用する部隊には政治将校に代わって皇帝からの信任を得た聖務将校を配属させ、その決定に配慮すべし、と。
スターリン亡き後にソヴィエトの中枢を握った3人の男たちは当初、その通達を無視しようとしたが、結局はそれに逆らうのが無駄だと悟ったフルシチョフのみが生き延びることが許された。
それは結果としてキューバ危機という予兆だけで第三次世界大戦を未然に防ぐことができた一因ともなっている。
1999年現在においては、アメリカや西側諸国の軍もそうであるように、現場の判断だけで核兵器を発射することはできなくなっている。
本国の政治指導者および軍司令部の最終決定が優先され、現場の軍人はそれに従うことでしか発射ボタンを押すことはできない。
1962年当時はそうではなかった。
ソヴィエト=ロシアの通常型潜水艦は核魚雷を装備し、それを艦長の判断で発射することが可能ではあったのだ。
このグロームというアクラ級戦略原潜は、本来であれば近代化改修が行われて、核のボタンもモスクワからの命令が無ければ押せない――そうされているはずではあったのだが、対VA兵器の研究開発に予算を喰われ、予定は予定のまま、未だに旧来の発射完成システムのままとなっていた。
船体のみは1930年代にシベリアから発掘されたともウワサされているVA艦リエーフは皇帝アレクセイの座乗艦であり、帝国宇宙軍の旗艦でもあるがその超技術はロマノフ聖騎士団のみが独占し、党書記長を最高指揮官とする一般の軍には、その恩恵は与えられていない。
グルーム・レイク基地を標的として発射された核搭載の大陸間弾道弾は、この艦から放たれていた。




