七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』17
預言者・巫女としての霊的資質に基づいてのサロメの発言はともかく、なぜイシスが具体的に核攻撃が迫っていると断言したかの理由はコクピットに着席した時点で理解できた。
コクピット前面のハッチが閉ざされると正面に周囲の視覚情報だけではなく、警告表示が明滅していた。
当機に向けて戦略核ミサイルの照準が設定されている、早急に離脱することを推奨する、と日本語で表示される。
サブウインドウが展開していて、衛星を通じて照準をさだめたのがソヴィエト=ロシア帝国所属の戦略ミサイル原子力潜水艦だと教えてくれていた。
「俺のとこの世界史の教科書には、こうあったぜ。第三次世界大戦の引き金となったのは劣悪な環境下にあったロシア兵士と士官がカルト宗教に洗脳されて最初の一発をシカゴに撃ち込んだ……ってな」
機体の動作を確かめるようにハヤトはマーズ・フォリナーを動かす。
ゆっくりとした足取りで数歩、荒野に足跡を作るが、やがてその足底は地面から浮遊していく。
「わっ?」
突然の浮遊感に驚いてサロメが後部座席から身を乗り出すとハヤトの背中に抱き付く。操縦席の足下に体育座りしているイシスは、正面モニター画面に表示されている着弾までのカウントダウン数値を気にしていた。
「心配すんな。ただ、少しだけ揺れたりするとは思う。それで安心するってなら、そうしてくれてていいぜサロメ」
「うん」
マーズ・フォリナーは浮遊状態を維持したまま、加速を開始する。
その速度はせいぜいが時速100キロ程度であり、急停止した場所も、ごく近い位置でしかなかった。
「イシス……あんたの相棒の力を貸してもらうぜ」
マーズ・フォリナーは無惨な姿となって荒野に屍をさらしていた鋼の獣の前で停止していた。
「それはかまわぬが……おぬし、自分の行動がその所属する世界の大前提を破壊してしまうとは考えぬのか?」
「なんだよ、信じてくれたのか。俺が過去に来たって与太話をよ」
「少なくとも宮川ユウゴの血縁であるのは間違いないからのう。そして、このマグナキャリバーの力があれば、ただの核兵器程度なら難なく処理できるのは承知しておる」
イシスは1962年の秋に、宮川ユウゴが獅子王の兄弟機ともいうべき天狼王を駆り、発射された戦略ミサイル群を処分した光景を思い起こしながら言う。
「光の速さで飛び回り、場合によってはそれすら越えて動くのじゃろう?」
「ああ、その通りだよイシス。けどな、周りに悪影響を出さないように都合良く立ち回れるする、その手間がかかるのが難点さ」
「ハヤトにげないの?」
「逃げない。叩き潰す」
「おぬしの時代、おぬしの属する――わしからすれば可能性のひとつとしての世界との誤差が増えれば……それだけ、おぬしの存在する確率は低くなり、帰還が困難になるどころか、存在すらあやうくなるとしても?」
「ハヤト? こわいところからは、にけようよ? そのほうがいいよ?」
「たぶん、姉貴に叱られる。それにな……」
ハヤトはそれ以上、言葉には出さなかった。
だがイシスは読唇術で彼が、ここにはお父さんとお母さんが……まだちびっこいガキだけど……生きてるんだ……そう言いたかったのだと理解できていた。
「獅子王よ……その骸を大いなる力の器の鎧と為せ!」
ハヤトがKGMを握り、融合同化のための力を解放しようとするよりも早く、イシスは思念を束ねて獅子王にそう命じた。
砕け散った装甲や機体は黄金の霊気を放ちながら光り輝き、溶けていく。
勇ましい咆吼と共に光の奔流がマーズ・フォリナーを包み込んでいった。
「サクリファイザかよ? イシスあんた?」
「わしはサロメという娘を見逃す。それはおぬしに救われたこの命の代償じゃが、それとは別に……おぬしに肩入れしたくなった」
その昔、宮川ユウゴという男に心惹かれたのと似た様な理由じゃな、とは続け名図にイシスは少年を見上げた。そして、まだ完全には命尽きていなかった獅子王の叫びに涙する。
ほぼ25メートルという標準的なシルエットキャリバーと同等の大きさとなり、獅子王の意匠を取り込んだ強化骨格と装甲をまとったマーズ・フォリナー。
白と黄金の輝きを放つそのマグナキャリバーの存在は、ただちに敵対者たちの知るところとなった。




