七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』12
「ユウさんは彼女が何者なのか知っているんですね?」
ミシェルはサロメという名の少女が、獣人種の末裔であるチカナの民のひとりで実験体としてアメリカ戦略機甲軍に囚われていることしか知らない。
そもそもその名と存在は、可能性のひとつとしての36年後から来たと自称する大久保ハヤトから聞いて初めて知った。
彼からの求めに応じて、その名と大まかな年齢、性別から割り出した該当する存在の記録がグルーム・レイクに幽閉されていると確認したのちに情報を渡して別行動を取っているのが今現在だ。
「うん。ミシェルさんが古い馴染みに連絡して、グルーム・レイク空軍基地と関連施設を破壊するように依頼する必然性がある……そういう存在ですよ」
ユウは和やかな表情でお茶をすする。
最初に大久保ハヤトを名乗った男、宮川ユウゴは孫の言葉を理解できず困惑したまま。
だがミシェルはユウの言葉を受けると不快そうに顔をしかめた。
「……あなたは卑怯です」
「ぼくが未来を語ったことでミシェルさんはその知識と情報を認識してしまった。その流れに縛られてしまうから、ですか?」
「もし敵対的な行動を取るつもりがないのでしたら、これ以上は未来を語らないでください」
「自分だって似たようなこと、さんざんやってるくせに」
ユウの声音には明らかな揶揄と悪意があった。
ある意味でそれは、5歳児らしい幼稚な罵詈雑言でもあると言える。
「ッ……ではこれで失礼します。これまでありがとうございました。ですが今後はもう連絡を取ることもないでしょう」
怒鳴り散らしてしまいたい感情を押し殺しミシェルは掘りごたつから立つ。
掛けていたダッフルコートを羽織り、宮川ユウゴとその孫に背を向ける。
「彼の姓名をここで口に出さないことの意味を理解して欲しいですね」
彼というのは、藤原ヒロミの子ではあるが、母親が誰なのか不明のままの大久保ハヤトのことを指しているのだとミシェルにもわかる。
安易に考えれば、この場にいるユウの双子の姉ユミネこそが母親なのだろうと推測できるが、バギルスタンで垣間見たその異能からは断定できない。
「あなたこそ未来を知っているなら、くだらない人類どうしの争いと、そこに付け入る〈統合世界の超越者〉の干渉をどうにかしてください」
みっともない捨てゼリフだという自覚を抱きながらもミシェルはそう言わずにはおれなかった。
砂を噛むような思いで重ねてきた巨大すぎる敵への反攻作戦を、目の前の男児とその来世であるという大久保ハヤトによって、メチャクチャにされてしまったからだった。
「あなたにとっては自分の身内以外は名前も無い群衆でしかないのでしょうけど、ぼくや彼にとって、この時と場、そして触れ合う人々は唯一無二なんだ」
「……何が言いたいの?」
「かつてミシュリーヌ・バーネットだったあなたの自己満足のために、ぼくたちの世界を捨て石にして使い潰さないで欲しい」
「そんなことは誰も――」
「怒ったということは内心で図星を衝かれた自覚があるんでしょう?」
「ええ、ありますよ。もともとは……敗残兵の身で……超越者たちに取り込まれてその尖兵になって……そうしていたんですから」
「開き直りましたね。でも、ぼくは藤原ヒロミではありませんから、あなたの愚痴めいた自己否定と慰めて欲しいアピールに付き合う気はありませんよ」
辛辣な言葉に打ちのめされたミシェルは泣きそうな顔でうなだれる。
「もう行ってください。二度とお会いすることはないでしょう。ぼくが死ぬ日は、そう遠くありませんから安心して反攻作戦を続けてください」
ユウはその背中に、どこからか取り出した紙飛行機を投じた。
最初、ミシェルはそれを無視しようとするが、入退出に必要な呪符だとすぐに気付いてキャッチし、怒りをぶつけるかのように強く握り潰す。
「ユウゴさん、のちほど連絡を入れます。それでは失礼」
振り返らぬままそう言ってミシェルは通路へ進み、ユウが閉じこもる和室から立ち去っていくのだった。
「……わしには古代トゥーレや輪廻転生のことは、よくわからぬ。おまえの来世とやらも含めてな。しかし、もう少しばかり穏やかに話をしても良かっただろうよ」
「いいんだよ、おじいちゃん。ミシェルさんはもっと、自分の負担を周りの人に分散するべきなんだから。ああ言えば今まで以上にいろいろ考えて、上手に立ち回るようになると思うんだ」
「ユウ?」
「おじいちゃんには最後まで迷惑かけるけど……ミシェルさんを助けてあげてね。それから……もう少ししたら最後の弟子を取ることになるけど……その人にも……できるだけのことをしてあげて。それが……ぼくのお姉ちゃんを助けることになると思うから」
「なあ、本当は……おまえが生き延びる可能性はあるのではないのか? 半年前のマーズ・フォリナーとの同調は失敗してしまったのではなく……おまえが拒んだというのが真相ではないのか?」
半年前にユウゴは孫の延命のためにバギルスタンを再訪し、かつての内戦を終息に導いた際に支払われるはずであった報酬の対価を要求していた。
それは現存する唯一のマグナキャリバーとユウとの完全同調であり、成功時にはユウにはバギルスタン国籍と騎士侯としての爵位が約束されていた。
内戦時のユウゴへの功績には絶大なものがある。そして現在の王家との親交それ自体は別として、ユウ自身の言動と才をシエラザードが認めたからこそ試みられた儀式ではあった。
だがアストラル・ネットワークを介した完全同調の試みは失敗に終わり、ユウゴは落胆と失意と共にバギルスタンを去っていた。
大久保ハヤトを名乗る黒い学生服の少年がドニヤザードと出会ったのは、それから間もなくのことになる。
「ごめん、おじいちゃん」
「バカが……おまえはまだ子供だというのに……どうして……」
「大好きな人たちと……その居場所を守る方法が……他に見つからなかったんだ。くやしいよ……もう何年か……ううん、1年でも半年でも、1ヶ月でも時間があれば……その可能性をぼく自身が実現できるかもしれないのに」
無念そうにうつむく孫の表情は、ついさっき退室していったミシェルのそれと、良く似ているとユウゴは思った。




