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七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』11

 政府機関の要人か、それに準じる者のみが利用できる病棟に入り、厳重なセキュリティチェックを通過したのち待っていたのは、大型トラックのコンテナがまるごと格納できそうなエレベーターだった。


「……祖父としては、あんたが孫とどういった関係なのか確かめておきたい」

「何度かデートに誘われた間柄ですよ」


 見舞いの件を切り出したときには言葉に詰まったミシェルだったが、彼女はもう平静を取り戻している。


「ウェブ上での話です。実際にお会いするのは、これからが初めてということになります」

「少し安心した。まさか5歳児のあいつが、よりにもよって、あんたを口説いてるとは思わなかったんでな」


 ユウゴの口調は、ミシェルに彼の若き日を彷彿とさせる、くだけた雰囲気に戻っていた。現在の立場にふさわしい老成した言動は意識的なものなのだった。


「あいにくと、わたしは死んだ恋人にみさおを立てています。仮に交際を申し込まれても、お友達でいましょうね、としか返せません」

「あんたのような、ひねくれた女に惚れられた男というのは、どんなやつだ?」

「戦友たちに特殊な性的嗜好の持ち主だと冷やかされても少し照れるだけで、堂々とプロポーズしてくれる、そういう風変わりな人でしたよ」


 軽い振動があって、エレベーターが目的の階層に到着する。

 扉が左右に開くと、長い通路が伸びていた。

 その床や天井も含めたその壁面には短冊状の紙片が無数に貼られている。

 墨で書かれている文字は容易に判読しがたい文字と図形だ。

 異能に覚醒した者や呪装を施した観測機器であれば、そこに高密度な霊力が集積され循環し、特別な結界を築いているのだと判別できる。


「これはキクカさん……いえ岩倉さんの一文字流符術(ふじゅつ)ですね」

「ユウを、あの力から隔離しておける方法は、今のところこれだけだ」


 沈痛な面持ちのユウゴはミシェルを伴って通路を進み、10メートルほど先で立ち止まる。そこは行き止まりだった。


「入るぞユウ」


 ユウゴは懐から取り出した呪符を壁面に貼り付けた。

 すると壁を埋め尽くす無数の札が後退し、そこにだけ和室の障子戸が見えた。


「お邪魔します」


 ユウゴに続いてミシェルも入室した。

 12畳はある空間だった。

 半分は靴履きのままで動ける和洋室となっていて、残りが掘りごたつもある畳張りの部屋だった。

 

「生身では初めましてミシェルさん。ぼくが宮川ユウ――あなたが探している切り札、その手がかりになるはずの者です」


 かわいらしいその5歳児は作務衣姿で掘りごたつに座ったまま、そう名乗った。赤い髪が特徴的だった。


「そうであれば良いのですが……」

「間違いありません」


 ミシェルは当惑気味だったが、ユウは上機嫌で断言する。

 祖父であるユウゴの目には、孫がユミネに会う時に近いレベルで喜んでいるのだとわかった。


「ユウよ、わしにこの女との関係を説明してくれんか?」


 ハーメルン症候群を発症してしまったことで、孫が見た目にそぐわない知識と能力に目覚めたことはユウゴにとって周知の事実だった。

 だが、ユウの人格それ自体は、ほとんど変化していない。

 いたずら好きで人なつこく、甘え上手な男の子のままだ。

 あえて変化らしい変化といえば、発症して以降は、髪の色が黒から赤に変化したことくらい。


「前世のひとつで殺し合った関係なんだ。話によっては、これからもそうなるかもしれないよ」

「……穏やかな話ではないな」


 ユウゴは勝手に電気ポットや戸棚の湯飲みを引っ張り出して、急須と茶葉を戸棚から持ち出して3人分のお茶を支度すると掘りごたつに座り込む。


「ユウさん、あなたがこれまで提供してくださった情報には感謝しています。ですが、殺し合うかもしれない、という意味がわかりません」


 言葉の上では戸惑いを示しているが、ミシェルはさも当然のようにダッフルコートを脱いでハンガーに掛けると掘りごたつの一角に着席した。


「その話をするには、ミシェルさんと二人きりになりたいんだけど、おじいちゃんは席を外してもらえないかな?」

「蚊帳の外に置かれるのは願い下げだ。それに万が一にでも殺し合いが始まって、おまえに死なれると、わしは娘夫婦とおまえの姉から、なぜ見殺しにしたのかと責められる」

「心配ないよ……ぼくは自分がいつ死ぬか、わかっているからね。それが今日じゃないってことだけは確かだから」

「……どうしても今日、わたしと直接会いたい、そう連絡してきた上でその言葉が出たということは……明日。明日、あなたは亡くなるというの?」

「おい! 滅多なことを言うな!」

「ミシェルさん、ぼくにはいくつもの前世の記憶だけじゃくて……来世の記憶もあるんだよ。藤原ヒロミという父親の子として産まれて……あなたから依頼を受けてマーズ・フォリナーの完全同調者となる……そういう少年としての人生のね」


 ミシェルにとってそれは、ほんの数日前に唐突に傭兵契約を売り込んできて、カミーユ・デシャルムとの計画を大幅に前倒しする原因となった大久保ハヤトという少年のことだと特定するには充分な情報だった。


「サロメという女の子……このままでは死んでしまうよ。ぼくのお姉ちゃんも……宮川ユミネも、このままだとね」

 

 大久保ハヤトがバギルスタンを出てグルーム・レイク空軍基地に向かっているのは確認済みだったが、ユウの預言めいた言葉はミシェルに言い知れぬ不安を生じさせるものだった。

 

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