七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』10
「ご無沙汰しています」
そう言ってミシェル・バーネットは和装の老剣客に会釈する。
彼と対面するのは1962年以来のことで実に37年ぶりだった。
当時は彼も17歳だったが今は54歳。
必要以上にその霊的能力を消耗したことで、その男は見た目も言動も、極端なレベルで老成してしまっている。
「あんたミシェル・バーネットか。しかしその姿は?」
その日の午後、入院中の孫を見舞った帰りの宮川ユウゴは、もうひとりの孫を伴っている娘夫婦と別れ、青梅街道を新宿駅に向かっている途中だった。
外見的には上品な装いの少女でしかない彼女の声音と霊的波動は、かつて幾度か敵対し、時には共闘したグラマラスな美女のそれと一致していた。
「わたし本来の姿はこちらなんです。あの頃はこの機体が修復中でしたので、予備を使っていたという次第でして」
偽造したパスポートを利用し来日しているミシェルは、いかにも見た目相応な12歳の少女という感じで、普段着のブラウスとスカートの上に野暮ったいダッフルコートを羽織っている。
「半分は生身で残り半分は機械、その身体に宿る付喪神……のようなもの、か。あのふざけた自己紹介は本当だったのだな……それで用件は? わしはもう引退しているので依頼は断らせてもらうが」
「おかしいですね? 身内に関係する場合は例外だと、さきほど岩倉さんから電話でうかがいましたけれど」
「……立ち話もなんだ。一杯付き合ってくれるなら耳を貸してもいい」
「パスポートを見せて年齢確認に納得してくれるお店だといいのですが」
ミシェルには答えずユウゴは携帯電話を取り出して旧知の人物を呼び出す。
和装の老人と見た目としては西洋人美少女という取り合わせに夕暮れの街を行き交う人々は目を留めるが、それだけだった。
『宮川、おまえには貸しがまだ残っているのだぞ。返済する機会が増えたことに感謝してもらいたい』
電話の相手――かつての戦友でもある岩倉という男はユウゴが口を開くより先にそう言ってくる。
「バーネットに借りがあるのは、おまえの方だろうが。まあ、腕の立つ医者を紹介してくれたことには感謝しておるが……それでわしは何を斬ればいい?」
『そこにいるであろう本人に聞いてくれ。では、な』
旧友との通話を終えるとユウゴはミシェルに視線を戻す。
彼女は微笑していた。
「あんたが笑うのを初めて見た気がする」
「そうでしたか?」
「で、何を斬ればいい」
「わたしと2年間ほど独占契約を結んでいただきたいのです。それと名義貸しも」「独占契約はかまわんが名義貸しは納得できんぞ」
「KGMを抜刀できる少年、ということでは納得していただけませんか?」
能力的な指針という意味では、ユウゴにとっては納得できる判断材料ではあるが疑念もある。
「伝承院様は……あれはわしの血族にのみ使いこなせると仰せであったが……」
ユウゴは37年前に、伝承院から二振りの剣を借り受けている。
だが、すでにどちらの御佩刀も返却していた。
世界規模での熱核戦争を招きかけたキューバ危機に前後する動乱が終息したからには、大いなる力は不要として彼自身の意思でそうしたのだった。
「仔細は、2年後に説明させていただきます。この世界が存続していれば、ということになりますが」
その言葉はユウゴが37年前にも聞いたことがあるものだった。
「……また、それか」
苦虫を噛み潰したような渋面のユウゴ。
「ええ、また、それです。とりあえず、お孫さんのお見舞いにうかがいたいのですが……」
「明日にしてもらえると助かる。さっき顔を見てきたばかりなのでな」
「いえ、これからすぐでお願いします。今夜にでもサンフランシスコに発って、あちらで彼と合流する予定ですので」
「……相変わらず自分の都合だけ押し付けてくる女だな。孫の見舞いをする理由についても確認しておきたい」
「それは――」
ここまで、ほぼ即答していたミシェルが初めて言葉に詰まる。
その反応でユウゴは、孫の存在が極めて特殊な立場にあるのだろうという推測ができた。
「悪いが――」
2年間の独占契約と名義貸しの件も含めて保留させてもらう、と言おうとするより早く、彼の携帯電話が鳴った。
念のために手に取って白黒の液晶画面で着信番号を見る。
入院している孫のPHSの番号だった。
「どうした?」
平静を装いユウゴはそう答える。
『おじいちゃん、ごめん。今、おじいちゃんの目の前にいる女の人……ミシェルさんを、ぼくのところに連れてきて欲しい……大切な話があるから』
ハーメルン症候群を発症した孫――宮川ユウという男児は、明確な意思を示し、祖父を絶句させることに成功していた。




