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七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』8

「ねえ、どこにいくのミリアム?」

「エリザがね、すごいのをみせてくれるのよ」


 実の両親の記憶はサロメにはほとんど残っていない。

 だから引き取ってくれた隣家のミリアムは姉であり、その両親が「おとうさん」と「おかあさん」なのだった。

 彼女の家系は狼の徴を色濃く発現させる血統ではあるが、サロメが稀少な霊能を授かりやすいキツネ耳だからといって、分け隔てなく慈しんでくれた。


「あっちは、けっかいがうすいから、いっちゃいけないって、おとうさんとおかあさんが!」


 ミリアムに手を引かれながらもサロメは両親からの言い付けを気にしている。

 幼い女の子たちの見た目は耳としっぽを除けば、西部開拓時代のアメリカ人のそれだった。

 2人はそのまま小高い丘を登っていく。

 サロメは消極的ではあったが、姉も同然のミリアムに逆らうようなことはなく、結局は従っていた。


「へいき、へいき。おとなになるまでには、なんどなんども、きそくいはんやウソをくりかえすんだって、しんだおじいちゃんがいってたわ」


 ミリアムは、隠れ里の同世代の中では優等生で、厳格な審査で選ばれる外部への買い出しメンバーにも選ばれている。

 だが、その特権を利用して20世紀末の現代文明が存在するアメリカ合衆国という世界を探求することに魅せられた冒険家でもあった


「ミリアムもサロメもおそーい。もう、はじまっちゃうよ」


 裏山のてっぺんには、エリザが待っていた。

 夕暮れの陽射しの中で、彼女は麻袋に入れてあった長方形型の物体を取り出す。


「それはなあにエリザ?」

「まほうのはこ」


 自分よりもひとつ年上のサロメに対してエリザは偉そうに胸をそらして自慢げに笑う。タヌキの徴を持つエリザはいたずら好きであり、何かとささいなことで自慢する場合が多い。


「ほんとに?」

「エリザ、もってきてくれた?」

「うん。たぶん、これよ」


 エリザが取り出したのは古ぼけた携帯型のテレビだった。

 そしてミリアムはそれを受け取ると裏のフタを開けて、自分が持ってきた乾電池をセットしてから閉め、電源スイッチのツマミをひねる。


『統合ユーロの一部には武力抵抗する地域や軍も存在するとの観測がありますが、今後のソヴィエト=ロシア帝国との関係については?』


 夕方のニュース番組で美人キャスターがゲストに招いたアナリストの意見を求める映像が流れる。


「ひ、ひとが! こんなにちっちゃいはこのなかにいる?」


 初めてテレビに直面したサロメは腰を抜かして尻餅を着く。


「あははははは! あたしたちがはじめてみたときとおなじ♪」

「サロメ、まほうすごいでしょ♪」

「ひゃああああ!」


 ニュース番組が流すソヴィエト=ロシア西部の統合ユーロとの紛争の映像には、統合ユーロ機甲軍の軍事用シルエットキャリバーが隊列を組み、東欧の大地を闊歩していた。


「これはねテレビっていう道具で、いろんなものをめにはみえないちからでながして、それをこういうふうにみせてくれるのよ」

「まほうじゃないの?」

「かがくっていうまほうでつくられてるんだって。あたしたちのおおむかしのごせんぞさまも、そういうまほうでうまれたんだってきいてるよ」

「そんなはなしより、あれ、みようよ、あれ」

「もう……これはサロメがおとなになるためのおべんきょうでもあるのに、エリザはあそぶことばっかり、きになるのね」


 とはいえ祖父の形見にもらった携帯テレビを持ってきた功労者の意見を無視することもできず、ミリアムはエリザが見たがっているチャンネルに切り替える。


『やあ、良い子のみんな、こんにちは。ぼくはアデリーペンギンのデュモン』


「こ、こんにちは。チカナのたみのサロメだよ」


 子供向け動物アニメの冒頭に主人公が視聴者に対してあいさつすると、サロメは深々とお辞儀をする。


 違法なペット業者に捕まったペンギンの男の子が、生まれ故郷の南極を目指す冒険アニメ『ペンギン・アドベンチャー』が始まった。

 最初の頃こそサロメは初めて見るテレビやアニメにおっかなびっくりしていたが気が付くと、憎たらしい違法ペット業者と戦いながら故郷を目指すペンギンのデュモンに感情移入し、手に汗握り、その冒険を見つめていた。


「つづきは? もう、おしまいなの? デュモンはどうなっちゃうの?」

「きょうのぶんはおしまいよ。らいしゅうのおなじじかんにはみられるわ」

「このつぎのじかんは……なんきょくのしぜんっていうのが5分あって……そのあとで、サイバームーンってやつ、やるみたい!」


 テレビ番組のテロップを見て、エリザが興奮気味に叫ぶ。

 彼女たちは知る由もなかったが、日本製の女の子向けアニメのスポットCM映像は女児の心をがっちりとつかんでいた。


「あ……ゆき……ふってる……」


 テレビ番組は南極を紹介する5分番組になっていた。

 実写の迫力ある映像はペンギン・アドベンチャーという物語を通じて知った南極という世界への興味を誘導する。

 

「ほんとうに、こおりとゆきの世界なのね……」

「たんけんたいのひとたち……すごくあつぎしてる……」

「あ……アデリーペンギンだよ!」


 アニメの特徴と同じく白と黒の体表のペンギンが映像とナレーション、テロップで紹介される。


「ねえミリアム、サロメも……そとのせかいに、いきたい。こんどはつれてって」「きゅうに、どうしたのよ?」

「サロメはね、なんきょくにいってみたいから」

「むりよ、いくらなんでも。だって、なんきょくはすごくとおいのに」

「でも、いってみたいの。ふゆみたいで、さむそうだけど……なんだかふしぎで、きになるところなの」

「じゃあ、おとなになって、そとにでるか、ここにいるかきめるときに……そとにいくことにして……いってみようか?」


 ミリアムのそれは子供らしき他愛ない提案でしかなかった。


「ミリアムがいくなら、あたしも」


 サロメが返事するよりも早くエリザが同意を示した。


「サロメも! サロメはミリアムとエリザと、みんなで、なんきょくに! アデリーペンギンにあいにいくの!」


 興奮気味にサロメはそう宣言する。

 子供たちだけの特別な秘密の時間はそうして終わった。

 日が暮れても帰って来ない娘たちを心配した両親に見つかって、サイバームーンを見ている最中に大目玉を喰らい、テレビも取り上げられた。

 それでも、サロメとエリザとミリアムには、楽しい思い出となった。

 仲良しの3人が屈託無くはしゃぐことができた最後の時間でもあった。

 

 

 

「やくそく……したのに……なんきょくにいこうって……アデリーペンギンにあいにいこうって……」


 サロメは涙を流しながら、自分の知らない心の奥に、これと近しい悲しみと憎悪の記憶が渦巻くのを自覚しつつあった。

 

 それはイシスが予見して未然に防ごうとしていた天空の女王としての覚醒の始まりでもあった。

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