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三章『彼らにはブリオッシュを食べさせなさい』

 西暦2025年――

 世界は控えめながら新列強となった勢力圏どうしの、あやういバランスの中で、見せかけの平和を享受していた。

 前世紀末に勃発した第三次世界大戦によってアメリカ合衆国を喪失し、戦乱に疲弊した人類は戦後、消極的な利己心を発露させ、かりそめの団結を誓い合った。

 その一例がアデリーランド条約機構と呼ばれる軍事同盟であり、加盟した各国は自軍の装備と人員とを、条約機構軍に出向させる義務を負う。

 条約機構軍は軍事同盟でありながら、ある要素が介在しない限りは地球上の国家間紛争・戦争には一切関与しないという特異な性格を持つ。

 ある要素とは西暦2000年に南極大陸ヴォストーク湖周辺の古代遺跡から出現し、戦後にその存在が一般公開された奇怪な敵性体のこと。

 〈年代記(クロニクル・)収穫者(ハーヴェスターズ)〉と定義され、主に〈収穫者〉(ハーヴェスターズ)と呼称される真の理由を知る者は少ない。

 その秘匿情報を知る数少ないひとり――カミーユ・デシャルム提督は、四半世紀前に廃艦となるべき運命であったふねの戦闘指揮所後方にある座席で、ぬるいカフェオレをすすって舌打ちした。


「艦隊とは名ばかりの単艦で無茶をしろとは……また同じ目に遭わせるつもりか。老人を労れとは思わんかね。なあミシェルくん――」


 一度は退役し旧フランス領を中核とするアヴェロワーニュ連邦政界に転じ活躍、その後の事情で政界を去って予備役編入、現役復帰という異例の返り咲きを果たしたデシャルムは、すでに齢80歳を越える老人である。

 タヒチ島出身の旧植民地出生者(クレオール)である彼は、日焼けした浅黒い肌の大柄な体格をたゆまぬ鍛錬によって健康的に維持している。ただし頭髪だけは軍服の制帽抜きでは残念な状態になって久しい。


「いかんな。ミシェルくんは、もういないのだったな」


 呼びかけてしまったその名は大戦時に補佐を務めた有能な部下の名だが、すでにその人物が去って、もうここにはいないことをデシャルムは思い出す。

 半月前からこの艦の搭乗員は、ごく一部の例外を除き一新されている。

 最初期のVA艦であるマリー・アントワネットを運用することで、その特性を理解し練度を向上させるという意図での異例の演習が実施されているためだった。

 アデリーランド条約機構軍は指揮系統こそ、それぞれの出身国と別個に独立したものとなっている。だが、ある国家に所属する艦艇を、まるごと貸与するのも同然に他国の軍人に運用させるというのはこれが初めての試みだった。


「アデリーランド条約機構軍・第3艦隊司令として貴官らに命令を伝える」


 一読した通信文の書類をもみくしゃに丸めてから彼は言う。

 艦隊とは名ばかりで、事実上、現時点で彼が統括するのはこのマリー・アントワネットだけといっていい。戦前は世界でも12隻しか存在しないVA源動基搭載型艦艇でもあったが、今はもう、そうではない。


「ハワイの環太平洋合同軍(パシフィックス)本部から急な命令が入った。アメリカ西海岸への接触は中断。マドモアゼル・アヤト回収は後回しにさせてもらう。本艦は反転し、彼の地に接近する造反者の艦を拿捕あるいは撃沈する」


 老提督の命令に戦闘指揮所の各配置がどよめく。

 彼らの大半は旧アメリカ合衆国の国民であり、現在はハワイと西太平洋の島々を領土とするアメリカ海洋連合国の正規軍人だったからだ。


「よろしいかな艦長?」


 提督の座席から前方に位置する艦長席。

 そこに座す女が振り返る。

 作戦行動自体は第3艦隊司令であるデシャルム提督が命令を発するが、具体的な戦術や艦そのものの運用は艦長である彼女の領分だ。


「大久保ハヤトの名をフランス式の発音で呼ぶのは、やめていだたきたい。我々はかつての合衆国に誇りを抱く者でもあるのですデシャルム提督」


 第三次世界大戦前のアメリカ海軍の軍服を踏襲した姿の女は戦闘指揮所内の空気を代弁するかのように上官に訂正を強要した。


「ではきみのことも英語風にバーネット艦長と呼ぼう。艦長、アメリカ人の覇気が未だ衰えてはいないところを見せてもらおうか。艦隊司令としてVA源動基(モーター)の発動を許可する。不毛な愚行を夢見る放蕩息子どもを返り討ちにしてやれ」


 デシャルムは自分の席の操作盤に手のひらを置いて、戦闘行動を認証した。


「彼らにはブリオッシュを食べさせなさい」


 固有生体情報に続いて、設定されていたパスワードの認証が終わる。

 それと同時に各配置の席にある操作パネルにも暗号解除された作戦指示の内容がオープンになる。

 女艦長はそれを見届けると戦闘指揮所の前面に向き直り艦内放送を始めた。


「艦長のミランダ・バーネットだ。本艦はハヤト・オオクボの回収を一時中断。ハワイ本部からの命令による緊急作戦に移行する。総員戦闘配置。VA源動基の稼働に合わせて索敵範囲を拡大、警戒せよ」


 ミランダの見た目は20代半ばの白人女性だが、ハニーブロンドの甘ったるい色とは正反対に軍人らしい峻厳さが印象深い声音だった。

 部下たちもそれは知っているのか、かつての同胞を敵とする命令であっても反発はなかった。


「バーネット艦長、差し出がましいのは承知しているが保険をかけておきたいな。先の大戦での時のように後悔したくない」


 中身に葉を詰めていない木製のパイプを手に握るデシャルムが声をかけた。


「御著書の〈オーロラ戦記〉102ページ、ケルゲレン海戦のくだりにある、VA源動基と武装の機能停止ですか?」


 予備役時代にデシャルムが回想録として出版したそれは、いくつか意図的に伏せた事実こそあるものの、VA艦そしてシルエット・キャリバーを主体とする現代戦のお手本ともなっている。


「きみは読書家だったのか。では理解が早くて助かる。搭載してある射出型の弾頭すべて。それと格納しているシルエット・キャリバーにアルケミック・チャージを最優先で。最悪でもそれで、逃げる戦い方はできる」


 逃げる戦い、という言葉にバーネットは眉をしかめたが、それでも上官の戦歴を思い出し、艦長席のマイクを手にして通達する。

 軍人としても政治家としても、毀誉褒貶甚だしい男ではあるがカミーユ・デシャルムという男は危難に自ら飛び込み、そして必ず生き延びてきたからだ。


「艦長、改ズムウォルト級を3隻、本艦の後方700キロの地点で捕捉しました。50ノットで本艦に向かっています」


 索敵機器をにらみながら、バーネットのすぐ前の席で管制要員が報告する。艦長であるバーネットを除けば戦闘指揮所内の士官内では紅一点となっている、栗色の髪の若い娘だった。


「180度回頭後に、シルエット・キャリバー射出体勢に入れ。モルフェウス弾を4発射出後、間を置かずシルエットキャリバー全機も発進させろ」


 マリー・アントワネットはゆっくりとその巨体を海流の流れに逆らって転舵し、回頭を終えた。

 くすんだ灰色の艦は全長400メートル余り。

 その形状は女性用の革靴の右足側と左足側とをぴったりと密着させたようなもので、艦の後方になだらかな曲線の艦橋部分を隆起させている。

 靴で言えば先端の部分は、ほとんど衝角めいた矛状の突起になっていて、上部甲板に設置されている三連砲塔二基よりも目立っていた。


「VA源動基からの動力伝達、15パーセントに達しました。ダブリュー・デバイス使用可能。アルケミックチャージ可能です」


 管制員がバーネットの次なる指示を待つ。

 だが彼女は即答しない。

 違和感でも生じたのか、眉をしかめる。それより少しだけ早く、デシャルムも、いぶかしげな顔になっていた。


「対象を変更。本艦全体にアルケミックチャージ」

「は、はい?」


 先刻からの発言を裏切る指示に管制員の娘も含めた士官たちが、けげんそうに、顔を見合わせる。


「復唱はどうした! 急げ!」


わずかにあせりさえ匂わせる怒号が飛び、管制員は操作パネルを手順通りに動かして上官の命令に従う。

 するとマリー・アントワネット全体の表面には青白い霊気の光が宿る。

 芸術品としての武具に装飾されるエングレーブめいたそれらの光の線は、大久保ハヤトがKGMと呼んだ白銀のハードケース表面に浮かんだ幾何学的・秘術めいた紋様と酷似していた。


「艦内の慣性制御レベル3に設定。艦外装甲(サクリファイザ)展開!」

「はい!」


 バーネットの指示を受けて管制員は防御を主体とする機能を発動させるが、それが完了するより、わずかに早く、数百キロメートルの彼方から飛来した赤黒い光の槍がマリー・アントワネットに直撃して爆裂し、閃光の中にすべてを消し去った。

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