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七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』5

「もはや何も言うまい。さらばじゃ大久保ハヤトよ」


 イシスがそうつぶやくと、巨大な鋼の獅子が突進する。

 野生動物としてのライオンを機械的に戯画化した上で、体長10メートル前後の怪獣めいた大きさにしたそれ。これを前にしては人間などは吹けば飛ぶような代物でしかない。


「ッ~~! デタラメな真似してくれやがってえッ!」


 イシスも、そしてサロメも見た。

 大久保ハヤトは健在だった。

 イシスが獅子王と呼んだそれは、右前脚の爪部分で少年の身体を引き裂くあるいは押し潰そうとしていたが、軽く腰を沈めたハヤトは刀でそれと打ち合い、信じがたいことに力比べで拮抗していた。


「でたらめなのは……ハヤトのほう……」


 白銀のハードケースが周囲に形成した半球状の見えざる障壁に守られたサロメは思わずそうつぶやいていた。


「獅子王と力比べじゃと?」

 

 イシスは舌打ちすると獅子王の尻尾を伝い、その頭頂部まで走って眼下のハヤトをにらんだ。


 彼女は知っている。

 大久保ハヤトが使う天尽夢想流は動作や呼吸法を併用することで霊力をコントロールして増幅し、超人的な身体能力を発現させると武術だということを。


 イシスが扱う力はそれに酷似しているが、身体的な素養や呼吸法よりも、思念による霊力の発動と増幅が主体である。


 天尽夢想流が洗練された武技として発動させる力を、イシスは思念の集束により同等の効果として発生させることができる。


「獅子王は我がアケトアテンの民に受け継がれしマグナキャリバーの写し身ぞ。いかに天尽夢想流とKGMとはいえ、そう長くは凌げまい」


 だが、それにしても生身の人間が巨大な質量を備えた鋼の獣と押し合うのは短期間に限定されるはずだとイシスは推測した。


「イシス……俺もあんたがしてくれた分は……2回だけは忠告してやるよ。これがその1回めだ。大人しく手を引いてくれ。俺はサロメとエリザとミリアムってのを連れてここをさっさと離れる」

「わしも今一度だけ忠告してやろう。おぬしの先代とは子まで為した仲ではあるしのう。たとえ今は無力な童女であったとしても、いずれあれは忌まわしき天空の女王としての前世に目覚めて世界の敵となる」

「……周りにまともな大人と、対処法を知ってるやつさえいれば、あとは本人次第なんだッ! 俺と姉貴がその実例だッ!」


 曾祖父である宮川ユウゴが嫁以外を相手に子供を作っていたという話は驚きではあったが、それよりもハヤトはこの状況を打開する方に気を取られていた。


「対処法じゃと? 宮川ユウゴですら、御霊鎮めで器の自我を引き出して封印を成功させるのが精一杯であったのじゃぞ?」

「あんたが器の自我と言ってるのは……9の9乗ほど存在するって話の天空の女王自身の一部だ……対処法ってのは外からあれこれとケチつけるんじゃなくてな……本人の安全と安心を確保してやった上で、きっちり自分で選ばせるだけだッ!」


 ハヤトは怒号と共に全身から深紅の霊気を放つ。

 増幅される身体能力が一挙に跳ね上がる。

 後退するのは鋼の獣の方となった。


「百歩譲って、おぬしの言葉が事実だとすれば……トゥーレにおいてのおぬしの名は……」

「夢の中で俺を殺したアッシュールとかいう、すかした野郎は、アレスと呼んでたぜ。超文明とか抜かすわりには未来からいろんな名前を盗んで使い回すふざけた連中だよな」

「アッシュール王による叛逆のさきがけとなった破壊神……か。しかし前世のすべてを思い出してはおらぬだろう? なんといっても戦神アレスはわしら獣人種の最初の守護者じゃしのう」

「そう言うあんたは生まれ変わった新しい自分の心を塗り潰したってわけか?」

「この身体……器の主だった娘は……わしにすべてを託す代わりに滅びかけた一族の再興を願った。大久保ハヤトよ、おぬしはその祈りを否定するつもりか?」


 イシスの声は穏やかになり、表情も優しげなものになっていくが、ハヤトはそこに潜む怒りを感じ取ることができた。


「俺の姉貴は5歳児の時、初めての友達を助けるために前世すべてをまとめて受け入れたんだ。否定はしねーよ。納得したくもねーけど」

「待て! おぬしの言葉が事実だとすれば……すでに天空の女王はこの現世に器を得て降臨しているということになる!」

「信じてもらえるとは思わねーけど……俺って実はこの世界にとって、可能性のひとつとしてあり得る西暦2035年の未来……から来たタイムトラベラーなんだ。そーゆーわけでこの時代の天空の女王がどうなってんのかは知らない」

「なんとも都合良く虫の良すぎる設定じゃのう」

「ミシェル・バーネットとかいう依頼主にも同じことを言われたぜ。ひでえよな、あいつが俺に依頼したってのに、こっちにいる過去のあの女は俺をメサイア・プランの手先とか迷惑がってやがる」

「サロメというその娘を連れて、どこへ行くつもりじゃ?」


 イシスは白銀のハードケースを抱えてしゃがみ込んでいるサロメに視線を転じた。それと同時に獅子王がわずかに後退して力比べをやめる。


「雇い主のミシェルとサンフランシスコで合流する予定だ。連れがサロメ以外にも二人追加ってのは予定外だかな」


 イシスの戦意が薄れたことで、ハヤトも正面を向いたまま大きく後ろに跳躍してサロメの前に立つ。


「それ、しまうんだよね?」

「おう、お利口さんだなサロメとかいう美人」

「ひゃあ?」


 わしゃわしゃと頭とキツネ耳をなでてやってからハヤトは白銀のハードケースを受け取り納刀する。革ベルトで左肩に吊り下げてから獅子王の頭上を見上げた。


「引いてくれるってことでいいんだよなイシス?」

「勘違いするな小僧。わしは、獣人種に最初の救いの手を差し伸べてくださった戦神アレスの名に敬意を示すために祈りを捧げるだけじゃ。その間にわしの視界から天空の女王の器が消え失せるのであれば……それもまた運命なのじゃろう」

「連れを回収して消え失せるまで祈っててくれると助かる。おいサロメ、ミリアムとエリザはどっちにいるかわかるか?」

「まって……」


 サロメはキツネ耳をぴくぴくと震わせてから目を閉じて精神を集中する。

 その表情はたちまち苦痛と恐怖にゆがみ、涙がぽろぽろこぼれ落ちた。


「ひどいことされてる……いたいのが……くるしいのが……サロメにわかる……わかっちゃうよう……どうして……こんなこと……にんげんにできるの?」

「もういい! 精神感応はやめとけ!」

「その娘……非凡な霊的素養を備えておる。おぬしの姉とやらと同等かそれ以上と考えて対処することじゃな」

「あっちだよ……そこのてつのとびらのあっちがわから……いたいいたい、やめてやめてえって……ミリアムとエリザのこえが……」


 サロメは一度発現した精神感応の力に引きずられて入神状態となっている。

 指先が示す方向には巨大な耐爆仕様の金属扉が見えた。


「さて、これは独り言になるが……戦神アレスへの祈りが終われば、わしは獅子王と共にこの忌まわしき場所を破壊したのち浄化する。先を急ぐ愚か者がおるのであれば、そうした方が良かろう」

「このサロメっていう美人と約束しちまったんでな。ミリアムとエリザってのも、まとめて回収する」

「たわけが! その器の娘に見せるにはむごいものがあると忠告したのがわからぬでもあるまい? 精神的な衝撃で覚醒が始まりでもしたらどうするのじゃ?」

「俺が対処する。もしかしたら俺は……南極のラスボスをぶっ壊す以外に……サロメとここで出会って、面倒見るために……来たの……かもな」


 ハヤトはそう言い放つと、夢遊病めいた頼りない足取りのサロメと手をつないで瓦礫の中に潜む悪意の中枢を目指すのだった。

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