七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』3
イシスと名乗った少女は浅黒い肌に赤い眼、そしてボリュームがある長い金髪。加えて獣人種としての特徴である獣の耳と尻尾を備えている。
背丈はハヤトと大差ないが、グラマラスな肢体が際立つ。
「悪いが俺はあんたを知らない。こっちの目的はサロメとかいう美人を助け出すのと、そのついでに人体実験されてる連中を解放することだ」
ハヤトは相手が敵かどうか見定める意味合いも含めて正直に自分の目的を言う。それに対してイシスは微笑で応じた。
「わしの目的は獣人種をさらい、苦しめたメサイア・プランの連中を討ち滅ぼすことじゃ。二代目大久保ハヤトよ、先代と同様に共闘もしくは互いに不干渉というのは?」
「不干渉という線で折り合いを付けよう。それでいいなイシス?」
「よかろう」
「あと、俺は三代目だ」
「……それは面妖な。しかしその剣と共にある以上、おぬしが大久保ハヤトであるのは間違いないしのう……」
イシスはけげんそうにするが、それでも会話による妥協が成立した。
ハヤトはそのまま格納庫のシャッター前に進んでいき、そこで立ち止まる。
その間にイシスは、彼女が斬殺した兵士たちの死体と血だまりを踏みしめて滑走路の方へと歩いていく。ハヤトとは正反対の方向だった。
「……こっち来てから、だんまりが続いてるよな。そろそろなんか言えよKGM」
ハヤトは居合いの構えを取って、数秒の集中を経て抜刀する。
KGMの機能で増幅された彼の思念は斬撃の間合いを拡張して衝撃波に変化させていく。すると格納庫そのものは鋭い切断面を示して半壊する。
その衝撃波が、まるごと建築物を斜めに切断したことで崩落しているからだった。
「地下の人体実験施設に通じる道はどこか教えろよ」
整備兵らしき男が両手を挙げて投降の意志を示しているのを見ると、ハヤトはKGMを鞘に戻してから詰問する。
「わ、我々のセキュリティランクでは隔壁の前までしか行くことはできない」
「そこまででいい。案内しろ。それが終わったら解放してやる」
整備兵は従順だった。
監視モニターか何かでハヤトの戦闘を目視していたからだ。
「そ、それはできない」
「口で指示するだけでもいいんだが」
「あ、あなたがさっき……格納庫を切り裂いて天井を崩落させたことで……地下への入口もまとめて……下敷きに……」
「……もういい、行けよ」
ハヤトが不快そうな渋面を作ったのにビクビク警戒しつつも、解放を示唆する言葉が出たことで整備兵は足早に逃げ去っていく。
「こうなったら……多少は強引にでも――」
地下施設への侵入方法を考え始めたハヤトだったが、背にしていたイシスの行き先から感じる異様な気配に振り返った。
「……なんなら、おぬしもわしに同行してもかまわぬのだぞ」
イシスの足下には魔法陣めいたものが展開していた。
それらを構成する線はすべて、イシス自身が殺害した兵たちの血だまりから伸びている。
「太陽が沈む冥府の深淵へ……道を開けよ!」
霊力がこもった呪文と共にイシスは右手を使って周囲をなぎ払うような仕草を見せていた。
「へえ……」
ハヤトは感嘆の表情でそれを見つめていた。
血で刻まれた魔法陣の上に、イシスの身振りの直後、巨大な獣の爪のような傷跡が刻印される。
その傷跡はイシスが立っている位置中心として螺旋状に舗装された滑走路を刻んで最終的には限定された範囲内での意図的な地割れを発生させた。
「相乗りさせてもらうぜイシス!」
ハヤトは意識して自身の身体能力を増幅すると、超人的な加速と跳躍で、落下していくイシスの近くにまで接近する。
「貸しひとつ……いや、わしの知るハヤトの分も込みじゃ。たっぷり利息をつけて返してもらう」
崩落する構造物の瓦礫の雨の中、2人は地下20メートル以上は降下したところで着地する。
「そいつはまだ存命してる宮川ユウゴとかいう男に請求してくれよ。もらってないお年玉と小遣いの分で相殺してもらう」
軽口を叩きながらハヤトはKGMを抜刀し自分に向けられた攻撃を防いでいた。3メートルほど距離を置いて、気絶したまま全裸のサロメを肩に抱えたジュゼッペ・バルサモが見える。
「き、貴様、大久保ハヤト? しかもイシスまで?」
右手に握り締めた疑似霊結晶から放射する力で防御することで大崩落から難を逃れ、直前にはその力を転じた衝撃波でハヤトを狙ったジュゼッペ・バルサモ。
イシスを連れてこの場を離れようとしていた彼にとって、この急展開は予想外のことだった。それゆえ動揺も激しい。
「久しいなアルハザード、いやジュゼッペ・バルサモの方が良いのかえ?」
「イシスよ、チカナの民はおまえたちとは袂を分かっている。報復するいわれは、あるまい。手を引け! 我らは前世では、共にアッシュール陛下に仕えた同志ではないか!」
「前世は前世、今のわしの使命は……獣人種すべてに災いを招く天空の女王がよみがえりし時に……その器を砕くことにあるのじゃ」
殺気をはらんだイシスの鋭い視線はジュゼッペ・バルサモの左肩に抱えられたままのサロメに向けられていた。
「その子供が……今回の器か。哀れじゃが……これもさだめ」
イシス右手の指先に霊力を集中させる。
ハヤトは黙っていたが、兵士たちを瞬殺したイシスの技の原理が自分の扱うそれと似通っていることに気付いた。
「まあ待てよイシス。その前にだ――」
ハヤトの抜刀とそれが産む斬撃をイシスも、そしてバルサモも認識することができず、事が終わってから遅れて知覚する。
「き、きさま……一度ならず……二度までも……私を……」
疑似霊結晶が造り出す強力な防御の場ごと、ハヤトの一閃はジュゼッペ・バルサモの身体を文字通りに脳天から唐竹割りに分断していたのだった。
「ほう……さすがじゃな。とはいえ、このジュゼッペ・バルサモという男は」
「器にする身体を常に複数用意してて、しつこいくらい復活してくるってのは骨身に染みてるぜ」
中に浮いて落ちるところだったサロメの身体を抱き留めたハヤトは、苦い後悔が混じる口調で答えた。
「……さて大久保ハヤト、わしに務めを果たさせてもらいたい。その子供は――」
「悪いが、それはできない。こいつがどこのどいつかは知らねーけど、ロクでもない前世だからって殺すってんなら、俺が相手になる」
イシスから伝わってくる殺意に背筋が冷たくなるのを自覚しながらハヤトはそう宣言する。




