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七章『北極ギツネはアデリーペンギンの夢をみる』2

 陰謀論では合衆国政府と異星人の秘密交渉の場であり、エイリアン・テクノロジーの実験施設とされることが多かった軍事拠点。

 その正式名称はグルーム・レイク空軍基地という。


 1992年にアルトゥール・ライヘンバッハによりVA源動基が公開され、STセルと共に世界に普及していく過程において、この基地の実態の一部が明らかとなりUFOマニアたちを失望させた。


 グルーム・レイクの中枢は地下施設が主体であり、地表部分の施設は移動用航空機の滑走路と管制・格納という程度。

 地下に存在する太古の先史文明の遺物を発掘調査しつつ、STセルの効率的運用を模索する研究施設が主体となっている――そういう情報だった。


 これは事実の一部でこそあるが、真の意味での実態を隠蔽するカムフラージュでしかない。


「ここが人体実験その他ろくでもねーことやらかしてる秘密基地か」


 寝そべっていた黒い学生服の少年が、トラックの荷台上で起き上がり、軽く跳躍すると資材搬入用ゲートの前に降りた。

 左肩に吊り下げている白銀のハードケースの用途は、おそらくショットガンか何かを収納していると誤解されるだろう。

 大久保ハヤトは眠たそうにあくびをして、兵士たちが迫るのを待った。

 午後3時を何分か過ぎている。

 陽射しはまだあるが、風は冷たい。

 かつてはUFOマニアたちが監視と警戒をかいくぐって接近し、何か目新しい情報を記録しようと集うこともあったが、この場にいる民間人は彼ひとりだけ。


「東洋人のガキ! これ以上動くな! 動いたら心臓をブチ抜く!」


 資材搬入ゲートに詰めていたセキュリティ要員の兵士たちは、警告としてその足下に威嚇射撃をしてから、距離を詰めて包囲の輪を狭めていく。

 基地の監視システムは旧態然とした監視カメラや集音マイクといったものから、各種の複合センサーや複数の偵察衛星による監視といった最新のものに更新されている。


 それだけに、この小柄な少年に、基地ゲート前まで侵入されてしまったのは失態であるといっていい。

 本来であればゲート手前の1キロメートル以内で侵入者を検知して排除するのが任務なのだから。


 始末書と今後の対策を報告書として提出しなければならないその手間が、彼らの悪態と少年への敵意として反映されていた。


「なあ、あんた。サロメとかいう名前の美人がここにいるって聞いて来たんだけどよ、面会させてもらえないか?」


 ハヤトはそう言いながら、軍隊式の格闘技を披露しようとしたひとりの機先を制して軽く右手だけ動かしてひねり、アスファルト上に叩き落とした。


「みぎゃはッ?」

 

 受け身も取れず頭から地面に激突したそのひとりは、運良く脳震盪程度で済んだようで崩れ落ちる。敵意と攻撃そのものを自滅させる合気道めいた対応だった。


「このガキがナメやがってェ!」


 兵士たちはハヤトの質問の答えなど知らない。

 ただ単に、不法侵入者であり自分たちに無駄な仕事を追加した迷惑な犯罪者を相手に正当な法執行を装った私刑を加えて、憂さを晴らそうとしているだけ。


 だから発砲はしない。

 あくまで、拘束する際に侵入者が暴れたので、やむなく最低限の自衛行動を取ったという体裁のためだ。


「ナメてんのはあんたらだ。邪魔するんなら遠慮なくぶっ殺すぜ兵隊さん」


 ハヤトはズボンのポケットに右手を差し込む。

 拳銃でも取り出すのかと判断した兵士たちは、あっさりと対応を切り替えて、手にしたライフルをためらわず発砲する。

 だが、彼らは自分の行動が極端なスローモーションに変化してしまうような錯覚を抱いていた。東洋人の小柄な少年の動きだけが異様に速いからだ。

 実際にハヤトが超加速しているのではない。

 彼が独特な歩法で間合いを詰め、視覚の錯誤を利用しているだけだ。

 

「まあ、あんたらも公務員ってだけだ。大人しく寝ててくれれば、それでいいさ。いちいち首を落とすのはめんどーだしな」


 ハヤトがポケットから取り出して投げたのは無数の爪楊枝だった。

 アジア圏の食材や雑貨を扱うスーパーで買い求めただけの、ありふれた木製のそれらは、兵士たちの首筋に突き刺さり、彼らを麻痺状態に陥らせ転倒させていた。 26年後に玖堂タマモがサンフランシスコの夜で使ったものと同じ技法だ。


「巻き添えで死んだら運が悪かったとあきらめてくれ。大久保警備保障は、有能な社長秘書がいないとアフターフォローは利かないんだ」


 ハヤトは気の毒そうに言い残すと地上施設として存在する格納庫に足を向ける。当然ながら、セキュリティ要員たちが戦闘不能になったのを確認した基地側は、重武装した大人数の兵士たちを緊急展開させて侵入を阻止しようとしてきた。


「侵入者はハーメルン症候群の発症者であり、なんらかの特殊能力を使用していると思われる。殺せ! だが遺体は回収せよ!」


 およそ50名は集まった兵士たちには基地地下司令部からの命令が下される。

 充分な訓練と実戦を積んだ優秀な軍人たちは、動揺することなくたったひとりの少年を相手に重火器を含めた装備で発砲し、無力化を試みる。


「めんどくせーって言ってんだろーがッ!」


 兵士たちの視界から消失したハヤトは、苛烈なまでの銃弾の嵐を突破して彼らを背に格納庫シャッター前に立っていた。


「化けもの……ガキの姿をした怪物……地下のケダモノどもの同類……」


 兵士たちが装備していた武装はすべて野菜かフルーツのように小分けされた状態にカットされ地面に落ちていた。手にしているのは保持していた部品だけ。

 そして首筋に爪楊枝刺さった数名は意識を残したまま麻痺。

 他のすべては急所に痛烈な打撃を受けて悶絶して寝転がっている。


「住んでる家を焼かれて身内を殺された連中も、あんたらのお仲間を見て、化け物とか思っただろうよ」


 その場にあっては最上位らしき階級章を持つ白人将校の顔に、ハヤトはツバを吐き捨てた。50歳前後の厳格そうな男だった。


「東洋人め! 貴様らなどタイプBより扱いが単純というだけの劣等民族なのだ。たとえ私をここで殺しても――」

「死ぬか?」


 ハヤトは 軽くその将校の脇腹を蹴った。


「ぐぬおおおおおおおおおッ!」


 それなりには軍人として鍛え抜かれたはずの男だったが、ハヤトの蹴りは痛覚の集中するポイントを心得たものだった。苦痛を与えることが目的の責めだ。


「なるべく殺すなとは言われたが、害虫駆除するなとは依頼になかったからな……さあ祈れよ中佐さん。死ぬ前にあんたの神に」

「ひいいいいいッ! 殺すなッ! 殺さないでくれええええいッ!」

「ダメだ。あんたは獣人種をタイプBと呼び、地下でどう扱われているかを知っている。おまけに同盟国日本出身の俺にまで差別発言だ。これまでの軍人生活でどんな悪事をやらかしてきたか想像するのは簡単すぎる」

「せ、せいぜい、金銭(カネ)を取って推薦を出したり、使えない部下を素行不良で追い出した程度――」

「戦地では……女を何人犯した? その中に子供はいたか?」

「ベトナムでは……俺はまともな方だった! ゲリラの女の数なんかおぼえちゃいない! 子供にだって俺たちアメリカの偉大さを思い知らせる必要があった!」

「言い残すことは?」

「娘が! 娘が来週、結婚するんだ! 頼む! お願いだ! 殺さないで! 殺さないでください!」


 中佐の階級章を持ち、部下たちからも恐れられる白人男は今や、命乞いのために格上の相手への卑屈な態度を取るまでに至っている。


「ベトナムで犯されて死んだ女や子供に比べたら、幸せな娘さんだな」

「娘は! ジェシカは何も知らない! 何の罪もない!」

「……いいだろう。その何の罪もないジェシカって娘があんたを裁く」


 ハヤトは数秒ほど思念を凝らすと、しゃがみ込み、右手の人差し指でその将校の額を突いた。単に触れたというだけで痛みはなかった。


「ひいッ?」


 悶絶していたはずの自分の股間や下腹部から苦痛が遠退いていくことで男は驚愕する。これもハーメルン症候群発症者の特殊能力なのかと強引に納得した。


「じゃあな」


 ハヤトはそのまま警護する者もいなくなった格納庫内へと歩いていく。

 無防備な背中だった。苦痛から回復したその男は武器を探して目を血走らせる。すると、どういうわけかバラバラに分解されたはずの装備の中に、彼が使い慣れた拳銃――コルト・ガバメントがなぜか転がっていた。


「油断したな化け物めッ!」


 背中から心臓を撃ち抜かれたハヤトの身体が崩れ落ちる。

 大量の血液が流れて絶命は確実だろう。


「ハハハハハ! 東洋人ごときが調子に乗るからだ! おまえら劣等民族どもは、我々白人に奴隷として仕えるだけの存在なのだ!」


 男は勝利の高揚のまま高笑いすると、先刻の復讐のためハヤトの死体に近付いていく。蹴り飛ばしてツバを吐くためだった。


「お父さんひどい……私は……アジアの人と結婚するのよ」

「ジェシカっ?」


 ハヤトの死体は純白のウエディングドレスに身を包んだ彼の娘ジェシカに変化していた。その心臓がえぐられて血に染まってはいるが。


「誰が……誰がこんなことを!」

「お父さんよ……お父さんがベトナムで英雄になるために……たくさんの女の人や女の子にひどいことをして……だから……こうなったのよ」

「うおおおおおおおおおおッ! 神よ! 神よ!」




 男は、自分が自分の左肩を鋭利な刃物のようにとがった金属部品で突き刺す痛みに意識を取り戻す。


「い、今の……は?」

「天尽夢想流・水鏡(みかがみ)流し……あんたは内心で最も見たくなかった光景を見た……それを現実にしたくないなら、自分が何をやってきたか娘とそのダンナに全部告白――」


 ハヤトがガラにもない説教めいたことを言おうとするよりも早く、周辺の空間を何者かの意志が支配する。


「くッ?」


 ハヤトは軽く腕を払い、その攻撃的な意志を拒絶する。

 KGMを納めた白銀のハードケースが淡く光り輝き、その思念を増幅して防御の場を作った。


「……甘い男じゃな」


 ボロ切れのようなフードと外套に身を包む何者かがそう言う。

 ハヤトの眼前には水鏡流しを使った将校も含めたすべての兵士が胴体や首を切断されて転がっていた。


「こやつらには血の償いをさせねばならぬ……わしらの同胞(はらから)のな」


 フードと外套を脱ぎ捨てたその少女は、26年後に玖堂タマモがまとっていた古風なセーラー服姿。


「あんた誰だ」


 そして、獣人種であることを示す耳――それは猫か獅子か。

 つり上がった目尻が鋭くハヤトを見据えている。


「わしはイシスという。おぬしの先代とは知らぬ仲ではないぞ。大久保ハヤト」


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