六章『六億二千万年前の遺産』28
「あんたがミーねえと同一人物だってのか?」
大久保ハヤトの名とその証たるKGMを受け取った宮川イサミもまた、ミシェルから手渡された黒い長方形のそれを介して異なる歴史をたどった世界を垣間見た。
そして、彼が属しているこの2035年という時代の存続に関わる大きな戦いの中で果たすべき目的も知った。
南極ボストーク湖に眠るトゥーレ最後の王アッシュールのマグナキャリバー。
それが完全に覚醒する前に破壊してしまわなければならないのだと。
今現在もこの世界を脅威にさらしているのは同じ存在だ。
彼の父である藤原ヒロミが、強引にその搭乗者となって活動を抑制させてはいるが、トゥーレ王アッシュールとして覚醒してしまい自我を失うまでの時間的余裕はもうそれほど残されてはいない。
病室に眠る姉のタマモを少女の姿のミランダに託し目的地に向かう途中でのことだった。そこはゾシークの中央政庁の地下深くに通じる巨大な地下空間。
巨大な開口部の外周に築かれた螺旋階段をミシェルの後に続いて歩いている。
「平行世界の同一人物というだけですよハヤトさん。あなたが子供の頃、タマモさんやご両親の留守中、乳母代わりをしてくれていた、ちいさいミーと、わたしは別人です。別にあなたのお父さんがわたしと浮気をしたわけではないの」
母親である宮川ユミネと父親の藤原ヒロミ。
二人は高校時代にミシュリーヌ・バーネットを含む数名の仲間たちと親交を結んでいて、姉のタマモの前世のひとつでもある大妖魔九尾のキツネ・玉藻を討ち滅ぼしたという。
その友情は今に至るまでも続いていて、彼も姉も幼い頃から何かと両親の仲間たちに面倒を見てもらっている。
「クリスチーネ中島先生から教わらなかった? あなたのお父さんがユミネさんと結ばれた先にあるのがこの世界で、他の仲間と結ばれている、また別の可能性の世界もあるのよ」
マンガ家として活動している当時の仲間のひとり中島クルミのペンネームを持ち出してミシェルは語った。
「問題なのは……あなたが1999年のあの大戦に存在していないと、わたしが知っている過去が成立しなくなってしまう。それは藤原ヒロミさんという人が誰かと結ばれて幸せになると言う可能性が否定され成立できなくなるということよ」
「……つまり姉貴も俺も存在しなくなるってわけか?」
「単純にそうはならないでしょうけれど、原因となる過去と切り離されてしまうことで、この世界、この歴史の連続性はひどく不安定になり、結果としてメサイア・プランや超越者たちの干渉がやりやすくなるでしょうね。タマモさんやあなたたちだけでなく、ちいさいミーとヒロミさんの子や、ヒロミさんとトキエさんの子、くるみんとヒロミさんの子、とにかく、あなたたちにとっての危機です。ついでにそれぞれの世界もですが」
「……少しだけクリスせんせーやミーねえから、それっぽい話は聞いてるぜ。けどミシェル、あんたがそれを経験して知ってるんなら、どうなろうとも同じ結果ってやつが導き出されるんじゃねーのか?」
「……わたしは異なる平行世界からの放浪者――異邦人です。この世界に生きて、存在するあなたが、第三次世界大戦を経験して認識することで、その理屈がようやく成立するんですよ。それに、古代トゥーレ文明を滅ぼした超越者の話はしましたよね。ああいう手合いが干渉しやすくなる、そういう特別な時代と場所なんです。20世紀末は」
「世界史の勉強も、ちゃんとやっとけば良かった」
「あなたの指示で、あなたの活躍はすべて、わたしやサロメさんにキド大尉たち、それとデシャルム司令の功績という形に記録されていますから無意味ですよ。歴史好きや戦史研究をする好事家の一部には、眉唾なエピソードの一部が伝わっているようですが」
「依頼は受けると言った。別に逃げ出す気はねーよ。ただ、そういう仕組みが今ひとつ実感が湧かないんで質問したってだけだ」
「そう言ってくれて助かります。なんといっても、ハヤトさんに出向いてもらわないと、サロメさんとの約束が守れなくなってしまいますからね」
「キド大尉はわかるけど、さっきから出てくるサロメってのは誰だ?」
「……その人物はあなたに対して多大な貸しがあるんです。あなたとこの2035年で再会するためには、あなたを1999年に送り出す必要があると教えたら、何がなんでも送り出して欲しい、功績に見合う報酬の全部はそのために使っていいからと懇願されています」
「女っぽい名前だな。美人の予感がする……けど、2000年頃の美人ってことは……この2035年の現代じゃ立派なおばさん、下手すりゃ、ばあさんか」
「クリスチーネ中島先生こと、くるみん的な言葉を使うなら、まあわたしなりに骨を折って、夏への扉は開けておきましたからご心配なく」
「?」
「あなたが無事にこの時代に帰ってきたら、男性からすればとてもロマンティックな内容のSF小説を貸してあげましょう。それを読めば今の言葉の意味もわかりますよ」
「んじゃ、ヒナギクにでも朗読してもらうか」
「それだけはお勧めできません」
「なんでだよ?」
「……女の嫉妬は恐ろしいからですよ。さあ、そろそろですよ」
「なんかごまかされたって感じだな」
ミシェルの後に続いて、ひたすら螺旋階段を下り続けたハヤトだったが、途中からは上下感覚が狂っていた。ハヤトたちは、天地逆さまになって、螺旋階段を登り続けていた。
「重力制御か?」
「いえ、因果の逆転ですよ。わたしたちは下方向に向かって階段を登り続けていてそうすることで過去へと前に進んでいる……そういう矛盾の塊の中に入りました」「なんか頭がこんがらがってくる。そういう面倒そうなのは日頃ヒナギクとかラネブに委せてるからな」
「ふふ、そういうところはお母さんのユミネさん譲りですね。彼女と同じで、あなたも自分の感情から無意識に、もっとも最善とする行動を自然に取れる」
「褒められてもなんにも出さねーぞ」
「……わたしね、あなたが作ってくれた世界……たくさんのヒロミさんやユミネさんやちいさいミーたちが……泣いたり笑ったり苦労はするけど、でも幸せになれる世界をいくつも見守って……うらやましいって思ってきました。でも――」
「……本当にそいつは俺なのか?」
「ごめんなさい……そいつになってもらえるように……根回しはしました。キクカさんにも叱られました。ヒロミさんにもユミネさんにも……タマモさんにも」
ミシェルとハヤトの前にはやがて、荒涼とした世界が広がる。
少なくともそこは月面で、形が歪んだ地球が空に浮かび上がっていた。
「……まあ、あんたにも確かに世話になった。根回しの件は貸しにしといてやる。その分、留守中は俺の身内の面倒きっちり見とけよミシェル」
「ありがとう」
ミシェルが案内したのは古代ギリシャの円形劇場にも似た場所だった。
彼女が手をかざすと、大理石状のその物質の表面には奇妙な刻印が光となって浮かび上がり明滅する。
「どうせ、こういうのは中央に俺が行けばそれでいいんだろ?」
ミシェルの返事を待たずにハヤトは魔法陣めいた光の線が綾なす中心に進み出て立ち止まる。
「ハヤトさんの使命はボストーク湖に眠るアッシュール王のマグナキャリバーを破壊することです。それも第三次世界大戦が起きて終結するまでの間という時間制限内に。そうすることで、この世界を含む派生する可能性の流れの中では対応可能なレベルで立ち向かえるようになります」
「完全にぶっ壊しても自己修復するってことかよ」
「とりあえず今はその認識でかまいません」
「あとはサロメとかいう美人を見つければいいんだっけか?」
「ぜひサロメさん本人に美人だと言ってあげてください。大いに喜ぶでしょう」
光が明滅する間隔が短くなっていた。
ハヤトはなんとなく、1999年に移動する瞬間が迫っているのだと察した。
「どうやら時間らしいぜ。なあミシェル、カンニング情報なんかくれよ」
「……わたしが好きなのはアップルブランデーではなくてカルバドスです」
「そうだ! あっちで、あっちのあんたに事情を説明するのに――」
「ごめんなさい……さっきの情報端末だけで七転八倒してくださいハヤトさん」
ミシェルは申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げた。
「ふざけんなーッ! 腹黒金貸しーッ!」
だが次にミシェルが顔を上げた時にはもう、大久保ハヤトを名乗る宮川イサミという少年の姿はどこにも存在していなかった。
「ねえ、ねえねえ、おにいさん」
気が付くとハヤトは何か硬い床の上であおむけになっていた。
意識があいまいで、はっきりしない。
「おまえがサロメとかいう美人か?」
覚醒に伴い記憶と意志が回復する。
ミシェルに案内された月面の古代トゥーレ文明の遺跡を経由して1999年という過去の世界に跳んできた……はずだ。
「えーっ? どうしてぼくが女の子だってわかったの?」
意識の混濁から回復途上にあったため、ハヤトが言ったサロメという名前は相手に認識されず、美人だという部分だけが強調して伝わったらしい。
「めんどくさい母親とメリハリがありすぎる姉と妹、それと苦手な同級生どもの薫陶ってやつがあるからな。それにしてもキラキラしたきれーな髪だな」
「えへへー、ありがとー♪」
「俺は大久保ハヤトっていう。日本人だ」
サンダル履きにジーンズにTシャツという庶民的な服装との落差がある美しい銀の髪と赤い眼の女の子にハヤトはそう名乗った。
「えっ? 大久保ハヤト?」
名乗った途端に、その10歳前後の女の子は驚いて目を見張る。
彼女はそう名乗る別の東洋人とつい半年前に別れたばかりだからだ。
「ところで今は1999年だよな。何月だっけ?」
「むむむむ! そんな意味深でバレバレな質問するってことは、おにいさんタイムトラベラーでしょ?」
王宮をも兼ねたVA艦アストライアから抜け出して、市井での買い物をしている途中だったドニヤザード・テクフールは、井戸の脇で横たわっていたハヤトに対して核心を衝く質問をぶつけてくるのだった。




