六章『六億二千万年前の遺産』26
マリー・アントワネット艦内は、戦闘状況から解放はされたが、負傷者の手当や破損箇所の処置、そして通常空間への帰還に備えた座標の算出と、山積みの問題を抱えて騒然としていた。
それでも、これ以上はダメージや負傷者が増加するという最悪の事態が終わったことで、活況にある街の市場や工場のような勢いがある。
武装解除されたロデリック・ギルバートとミランダ・バーネットが、それぞれ同性の兵士からの身体検査を受けた後で連行されたそこは長方形状になっている食堂だった。
人種・国籍・性別・年齢のいずれもバラバラだったが、そこに集い飲食し、あるいはカードゲームでくつろぐ数十名の兵士たちはミランダからすれば軍人としての規律に欠けた不逞の輩であり、ロデリックとしては羽目を外すのを許すとしても、日常的には許可できない振る舞いに思えた。
交戦相手であり、死傷者を含む被害を出した間柄である自分たちを、衆人環視の場で尋問するというのはスマートではない。
ミランダはすでに大久保ハヤトの御霊鎮めによって、ジュゼッペ・バルサモからの精神的呪縛を破られたいるのだが、それでもミシェルからのネガティブな感情が自分たちに向けられているのではないかと不安になる。
「かけたまえロデリック・ギルバート大佐。それとミランダくんだったな」
カミーユ・デシャルムは、うまそうにパイプの紫煙をくゆらせながら敵将に着席を勧めた。
「アメリカ合衆国戦略機甲軍大佐ロデリック・ギルバートです、デシャルム閣下」「マシュー・ペリー専任ヒューマニッカのミランダ・バーネットです」
ロデリックを見習い、ミランダも慣れない敬礼をする。
「マリー・アントワネット艦長カミーユ・デシャルムだ」
デシャルムも、専用のパイプ立てが備わった灰皿に愛用のそれを置いて立ち上がり敬礼を返した。官職を名乗らないのは反乱者としての立場を自覚しているからだろうとロデリックは認識する。
「同じく副長のミシェル・バーネットです」
ミシェルは敬礼を人数分のコーヒーと菓子を載せたトレイをテーブル上に置いてから自分も敬礼する。
「さ、かけたまえ。まずは一服させてもらおう。その後で話がある」
「……タバコを吸う口実にして欲しくありませんけれどね。一服というのはあくまで小休止という意味で使うべき言葉ですよ」
「艦長室と戦闘後のここでは喫煙自由だというのは約束したはずだミシェルくん。それと言っておくがこれはパイプであって、普遍的な紙巻きタバコとは違うものだよ。まあ、そんな揚げ足を取るような真似はしないがね」
「テレビアニメをマンガだと言われて反論する思春期の子供みたいな言い草はやめてください。ええ、おぼえていますとも。安易に妥協してしまった過去の自分に対して大いに幻滅しているところです艦長」
ミシェルお姉様はタバコもそれを吸う人も嫌いなままだ……昔の……まだ優しいミシェルお姉様だった頃と同じなんだ……ミランダの心のわだかまりが少しだけ、その言動でほぐれた。
「座ろう、パパ?」
「ああ、そうさせてもらおうか。話というのが穏便なものであるのを祈りたいところです」
敗軍の将となり、ミランダただひとりだけを残して部下も艦も喪失したロデリックの声はひどく疲れていた。
「正確な人数は不明だが……マシュー・ペリーと乗員たちの霊のために……乗艦してくれている神父に祈祷させてもらった。感傷であり慣習なのだが事後報告させてもらおう」
「それについては痛み入ります……ですが……私とこの子は人質の役には立ちませんよデシャルム閣下。あなたが、もとフランス大統領だという経歴が無意味であるのと同じように」
砂糖を入れないままのコーヒーから苦みだけをすするロデリック。
敵将に慰労される自身が情けなかった。
「ミシェルお姉様……このような衆人環視の状態でパパを……ロデリック様を辱めるのはやめてください」
「ちっちゃいミー、わたしたちは軍隊という形を取ってはいるけれど共通の目的で行動する同志なの。だから必要だと思う情報は共有するわ。確かに殺し合っている相手ではあったけれど……戦いが終われば……そう割り切るしかないのよ。外人部隊の傭兵でもあったわたしたちのルールだから」
「どうしても、というのであれば別室に移るが」
「どうするパパ?」
「……結構ですデシャルム閣下。続けてください」
「希望するのなら安全な中立地帯で解放する……そう言いたいのはやまやまなのだがね……我々は世界の敵なのだよギルバート大佐」
「バギルスタンあたりにコンタクトを取れば、仲介をしてくれるでしょうけれど、それをさせてしまえば、あちらの立場が悪くなるでしょうしね。もっとも、仮にそれが可能だとしても、メサイア・プランが認めるはずありません」
メサイア・プランとは組織の名前だと文脈で理解するロデリックとミランダだが二人のどちらも聞いたことがない。
「そもそも、なぜ、あなた方は無謀な反乱を起こした?」
「聡明なミシェルお姉様がこんな行動を取るのは……理解に苦しみます。わたしを売り飛ばした時と……同じように」
もうミランダにはそれがジュゼッペ・バルサモの仕組んだ悪意の連なりによる誤認だと自覚していたが、それでもミシェル本人からの言葉が欲しかった。
「大久保ハヤトという少年は……わたしにマシュー・ペリーのVA源動基が仕込まれていると……そう言いました……説明してください。だとすれば機関室にあった超古代の遺産と、そこからエネルギーを引き出す動力装置は、なんだったんですか?」
「許されるなら私もそれを知りたい。みすみす死なせてしまった部下たちの前で、地獄で、すべてを語って詫びを入れなければならないのだから」
「……よろしいですね艦長?」
ミシェルは隣りに座るデシャルムの表情を確認する。
軍需産業との癒着という一大スキャンダルで政権発足後すぐに大統領の座を失った過去を持つ老人は、こくりとうなずくと、ポケットから何かを取り出す。
「ギルバート大佐、ミランダくん。まずは先入観無しにこれを見てもらおう」
デシャルムがテーブル上に置いたそれは5インチほどの縦長の物体だった。
ミランダにはそれが、携帯電話の一種であるように思えたが、黒いそれには操作する物理ボタンもなければ充電用や通信用のプラグさえ存在しない。
スマートフォンと呼ばれる研究段階にある機器のように液晶タッチパネルというわけでもなかった。
「ごめんなさい。ミランダでもギルバート大佐のどちらでもかまわないから触れてみて。危険は一切ないことをお約束します」
ミシェルに促されて、こわごわとミランダが右手の指先を黒い長方形に向けて伸ばしていく。
しかし、ぎりぎりのところでためらうように動きが止まった。
そして、ちらっと振り返る。
ロデリックはそれがミランダからの、一緒に来てパパ、という意思表示なのだと理解して、自分も手を伸ばし、それに指先で触れた。
その瞬間――
ミランダとロデリックは、ミシェル・バーネットが異なる名前で経験してきた、もうひとつの世紀末と未来を垣間見た。
「ミシェルお姉様は……ミシュリーヌお姉様だった? だからこの歴史にはミシェルお姉様が存在しない……」
「デシャルム閣下が在職中に暗殺され……私が……マシュー・ペリーで反乱を起こしていた……だと?」
そして二人は2009年に南極の地下から出現して世界を終焉に導く恐るべき怪異の姿を間接的に目にする。
トゥーレ最後の王アッシュールのマグナキャリバーと、それに付き従う無数の怪物たちの群れを。




