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六章『六億二千万年前の遺産』24

「お待たせしました……本艦は現在、極めて特殊な座標に退避しています」


 ミシェル・バーネットが生気を取り戻して明瞭な言葉で語った。

 その目尻に涙が伝っている理由を、戦闘指揮所内の誰もが知りたかったが、状況が状況ということもあり口には出さない。

 

「軌道上からの広域エネルギー放射は、実のところ超光速航法に遷移するよりも早くて、本艦は撃沈されてもおかしくなかったのです」

「でも少佐、全部のセンサーが何も検出できない今この状態こそが超光速航法の過程なのでは?」

「違うのよカトリーヌ、これは……この艦のVA源動基にさっきまで宿っていた魂が起こした奇蹟なの。彼女が認識した座標の中で彼女が認識した存在の位置を任意に再設定するキャリバースキル〈座標内再配置(チェックメイト)〉よ」

「具体的に、ここはどこなんです少佐?」

「私もそれが気になる。できれば安心させてくれんかねミシェルくん。艦の被害も大きい。休息は可能なのかね?」

「デシャルム艦長、それに乗組員のみなさん、ここは世界と世界の隙間、便宜的に狭間の領域と呼んでいるところです。超光速航法の過程でも垣間見ることがありますが――説明はこの子の初仕事にしましょうか」


 ミシェルの視線が戦闘指揮所正面の巨大なメインスクリーンを向く。

 一同もそれに釣られるが、そこにまず表示されたのはアルファベットの連なり。

「シャルルマーニュ?」

「はい。この艦のVA源動基に宿る新たな魂の名前です。わたしたちヒューマニッカの中で、いちばん新しくて幼い心ですが、強い子です」

 

 ミシェルは自分が人間ではなくヒューマニッカであるという事実をしれっと告白していた。キクカとの別れが彼女の中に覚悟を呼び覚ましていた。


「了解した。本艦の守護神としての働きを期待させてもらおうシャルルマーニュ。そして引き続きミシェルくんにもな」

「超過勤務分は、またカルバドスとおつまみ、ごちそうしてくださいね」

「俺らはシャンパンでよろしく」

「……ありがとう、みんな」


 従来と同じく自分を受け入れてくれるという意志表明の言葉を得たミシェルは、涙を指で拭って、凛とした表情を作る。


「ぶっちゃけて言うと、ここは時が止まった亜空間というやつです。補修作業や休息にはもってこいです」


 ミシェルの言葉から類推したのか、シャルルマーニュはメインスクリーン上に、周辺の座標とマリー・アントワネット、そして通常空間とが重なり合う概念図を表示させた。


「ですが、あまり長くは留まるべきではありません。いずれVA源動基が発生させるよりも消費するエネルギーの方が多くなってしまいます」

「宇宙のサルガッソーというわけかね。滞在可能な艦内主観時間は?」

「現時点では4時間弱といったところです。もっとも、エネルギー消耗が多ければ、その分、滞在可能時間は短くなりますが」

「了解したよミシェルくん。ではまず傷を癒し、次なる一手を思索しよう」


 ミシェルからの説明はその後も続いたが、最終的にデシャルムはこの亜空間での補修整備と負傷者の治療を命じた。




 キクカから霊結晶を託されたサロメを見た直後、ハヤトの視界は マーズ・フォリナーのコクピット内に回帰していた。


「サロメ無事か?」


 振り返ると後部座席のサロメが当惑気味の表情だった。

 霊結晶を受け継いだことで自分自身の感覚が変調しているからだった。

 自分も母親から霊結晶を受け継いだハヤトは、そのなんとも言い難い感覚は理解できた。


「……うん。でも、なんだかへんなかんじだよハヤト」


 たとえるのならば、心臓や呼吸器官が倍回しになって活力を異様に持て余してしまうというか、とにかく順応するまでの間は心身共に不安定となる。


「少しずつ慣れてく。俺も母親のを引き継いだ時に、同じような気分だったから、わかるぞ。もし調子が悪いってならミシェルに医者の代わりをやってもらう」

「そうだ! ハヤトもおいしゃさんにみてもらうんだよ! ミシェルおねえちゃんにおねがいしてたから、きてくれてるはず」


 戦闘状態ではなくなったマーズ・フォリナーのコクピットは、全周囲視界モードとなっている。

 ハヤトは眼下を右往左往している整備員たちの中に、ひとりだけ超然と立つ老人の姿を認めた。


 くたびれた黒いスーツの上下。その上に白衣というその姿は医師らしくは見えない。むしろ危険な研究にでも手を染めていそうな狂的科学者を連想させる。

 操縦者であるハヤトの視線を追従する形で、アルトゥール・ライヘンバッハの姿が拡大される。

 ご丁寧に日本語表示で彼の姓名と簡単な略歴までが字幕で出るが、音声解説は英語だった。


「医者は後回しでいい。まずミランダとあっちの艦長さんを――」

 

 マーズ・フォリナーはハヤトの意志に応じて保護フィールドを解除する。

 そのまま直立不動の状態から、右のひざを床面に接触させての簡易駐機姿勢になり、捕虜の二人を解放した。

 ミランダが、ロデリック・ギルバートに支えられて立ち上がり、マグナキャリバーの掌から離れていく。

 

 保安要員の兵士たちが武装して駆け付け、銃口こそ向けてはいないが武装解除を要求する。


「当然の要求だろう。異論はない。そもそも私たちは捕虜だ」


 緊張するミランダの肩を軽く叩き安心させてから、ロデリックは携帯していた拳銃とナイフを兵士に引き渡した。


「しかしミランダの処遇だけは確認させてもらう。彼女は……私の娘だ。人として扱ってもらいたい」

「パパ……」


 上官であるミシェル・バーネットから、捕虜の扱いに関しては念入りに指示を受けていた兵士たちはその要求を聞き届けると答えてから二人を連行していく。


 ハヤトはそれを見送ってからコクピットハッチを解放する。

 KGMを革ベルトで肩に吊り下げ、サロメを背中におぶったままで、軽々と着地した。

 

「じいさん、あんたがミシェルの手配した医者だな。悪いが俺は絶好調でもう診てもらう必要は無くなった」

「だめー! ちゃんとみてもらうの!」


 サロメはハヤトの背中から降りると、老人に背を向けようとしたハヤトの学生服の裾をつかんで、ぐいっと引っ張る。


「その肩に下げた銀の剣――小僧、おまえは、宮川ユウゴの血縁か弟子筋の人間なのか?」

「適当に想像してくれ、じいさん。俺は大久保ハヤトだ」

「マーズ・フォリナー……そして大久保ハヤトを名乗る少年……では、やはりおまえこそが予言にある恐怖の大王……その化身……なのだな」


 アルトゥール・ライヘンバッハは敵意に満ちたまなざしでハヤトを見つめていた。

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