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六章『六億二千万年前の遺産』22

「ミシェルくん、何がどうなっている?」

「少佐っ?」


 デシャルム、そして戦闘指揮所内の乗組員たちがミシェルに呼びかける。

 軌道上からの高エネルギーに直撃を受けたのか、それともこれが超光速航法の過程にあるのか判別が付かないままだからだ。

 メインスクリーンはブラックアウトしていて、あらゆるセンサー類が機能不全の状態に陥っている。艦長席を含む全乗組員の操作パネルがリセットされた状態となっていた。


「……重ね合わせの状態にあります。わたしたちは今現在、生きてもいなければ、死んでもいない、同時にそのどちらでもあるという不安定な状態にあります」

「少佐……電子的仮想空間と……並行して行動しているんですね?」


 カトリーヌ・フォルタン中尉は上官のこのたどたどしい言動の理由が、電脳空間での活動と同時だからなのだと納得した。


「はい。カトリーヌ、あらゆるセンサーに目と耳を配りなさい。状態が確定したらその瞬間に何が起きるのか不明です。我々は当初想定していたアデリーランド基地ではなく、地球上の他の座標に出現する可能性もあります」

「了解っ!」


 マリー・アントワネットの戦闘指揮所内は、いつの間にか非常灯だけの薄暗い場となっていたが、カトリーヌは自分が担当する総合管制用の操作卓に向き直る。


「……マーズ・フォリナーと捕虜は回収できたのか確認できるかね?」

「はい。ドクトル・ライヘンバッハが格納庫で二人のメディカルチェックをしています。艦長、少しだけ時間をください。この艦を通常空間に出現させるのに必要なことがあるようです」

「了解した。ミシェルくんに委せよう」

「ありがとうございます」


デシャルムにそう伝えると、ミシェルは副長席のシートに座ったまま、まるで死体に変じたかのように脱力してしまった。

 カトリーヌ・フォルタン中尉には、ミシェルが電子的仮想空間内での思考と活動に専念したからだというのが理解できていた。




「お別れって……あなたはこの艦のVA源動基そのものなんですよキクカさん。まさかこの艦の制御を降りるという意味ですか?」

「はい。存じておりますわ。でも、わかるんですの」


 一文字キクカのイメージで構成されているそこは、ミシェルにとってもなじみ深い場所だった。

 かつて彼女がミシュリーヌ・バーネットとして暮らしたことがある東京の外れにある――まだこの世界では建築さえされていない一軒家を借り切った学生寮の一室――そのリビングルームの畳張りの広い部屋。

 

「この世界のヒロミさまが……わたくしたちとはまだ出会っていないあの方が……トゥーレの王として目覚めてしまいましたの」


 すでに消滅した世界で過ごした学園の制服姿の一文字キクカは、ちゃぶ台の上にある緑茶をミシェルに勧めると、自分もお茶請けのあんパンをもしゃもしゃと口に含んで一息つく。


「それは、わたしにもわかります。だからこそ、あなたとはこれからも力を合わせて――」

「わたくしとミシュリーヌさんとでは、できること、できないこと、それぞれ別ですの」

「VA源動基の制御はどうするんですか? この艦があって、始めてわたしの反攻作戦が成立するんです。第三次世界大戦で――西暦2000年の内にボストーク湖のあれを討ち滅ぼさなくてはならないんです!」

「わたくしの背の君でしたヒロミさまとあなたの背の君でしたヒロミさま、そして身体を無くして霊結晶そのものに宿ったことで見えてきたいくつもの似て非なる世界のヒロミさまたち……気付いたことがありますの」


 キクカは自分が実体を喪失した魂のみであること、そして彼女自身とミシェルがそれぞれ異なる運命と滅びをたどった世界からの来訪者であることを明言する。


「トゥーレの王アッシュールとしてのあの方が作りかけでほったらかしにしていた(ヴリル・)木刀(ロッド)……それを顕現させて使うヒロミさまもいれば使えないヒロミさまもおりますの」

「あの武器を扱えるヒロミさんは比較的安定した状態でアッシュールとしての力を御すことができるのは確認済みです。……結局は、わたしの恋人だったヒロミさんのように……身体が耐えきれなくなるようですが。しかし、そのことがどう関係するんです?」

「ハヤトさんの(つるぎ)……KGMさんから、うかがいましたの。どうやってご自分が産まれてきたのか。だから、わたくしもそれを真似て、ヒロミさまの剣になって、ずっとお側にいようと決めたんですの」


 ずずす、と下品に音を立ててキクカはぬるくなっているお茶をすすった。

 それからていねいにあんパンの入っていたビニールの包みを折り畳む。


「ミシェルさん、あなたがその不死不滅の心と身体で界渡りとなって、戦いを続けているのと同じように……わたくしも剣となって、戦い続けますわ。それが……愚かしい妄執の世界で浅ましい悪鬼に変じていたわたくしを救ってくださった、あなたへの恩返しにもなると思いますの」


「キクカさん……わたし……あなたと二人で……今度こそ手を取り合って――」


 言いながらもミシェルは理解してしまった。

 かつて彼女が侵略の尖兵となり超越者の一部であった頃もそれは謎だった。

 製作途上で放棄されたはずのアッシュールの武器。

 たとえハーメルン症候群の最終段階に至り、アッシュール自身と化したとしても未完成であったその剣を顕現させることはできやしないはず。

 だが藤原ヒロミはごく自然に、当たり前のようにそれを使いこなしていた。


 しかし今まさにここで、藤原ヒロミが振るう霊木刀が存在を開始し、無限大に枝分かれしていく平行世界に分岐派生していくのだとしたら、つじつまは合う。

 過去も未来も含む異なる時空連続体である平行世界。

 すでにミシェルやキクカが見聞きしている以上、いつかはそれは存在を開始するさだめにあったのだ。

 ただしそれは、ミシェルがこれまで経験してきたのと同じかそれ以上の、永くてつらい時空の遍歴になることだけは確実だった。


「未練ですのミシェルさん。なんのために名前を変えたんですの? あなたはとても似てはいるけれど、わたくしのお友達のミシュリーヌさんとは別人ですの。あなたにとってのわたくしが、あなたに裏切られた一文字キクカと別人であるのと同じように」


 優しい口調ではあるが、キクカはミシュリーヌとしての贖罪を願うミシェルを冷淡に突き放した。


「ええ、わかっては……います。結局、わたしはわたしのキクカさんにはもう会えない……本当、未練です。情けない。ご忠告ありがとうございました」


 ミシェルは指で涙をぬぐい、顔を上げた。

 ちゃぶ台の上には遠い思い出の日にキクカが使っていた寿司屋風の大きな湯飲みと、りんごサイダー(シードル)の瓶があった。


「これを飲んで仲直りしましょう、と、あなたの思い出の中のキクカがわたくしに教えてくれましたわ♪」

「……大人になったらお酒を飲もう……そういう約束も……しました……」

「だからカトリーヌさんに、いつもいつも非番の時はりんごブランデー(カルバドス)をお相伴させていたんですのね♪」

「……はい」


 神妙な面持ちでミシェルは湯飲みのシードルをぐいっと飲み干した。

 彼女が遠い過去に失った幸せな日々の優しさとほろ苦さと涙の味がした。

 

「艦の制御はミシェルさんがバックアップ用に育てておいた、シャルルマーニュさんにお譲りしますの。それにもしも、わたくしのキャリバースキルが必要な時は、この子に――」


 キクカは視線を横に向ける。

 つられてミシェルもそちらを見ると、玉砂利が敷き詰められた樹木のドーム内に立つサロメとハヤトが映し出された。




「え……サロメにおてつだいしてほしいのキクカ?」


 サロメの目の前には半透明で薄紫色に輝く宝玉が浮遊していた。

 それが霊結晶(ヴリル)であり、古代トゥーレ文明と因縁ある者たちに強大な力と過酷な運命を与える超古代の遺産(アーティファクト)であることをハヤトは知っていた。

 

『はい。サロメさん、ハヤトさんとミシェルさんのお手伝いをよろしくですの』


 ハヤトにもキクカのその精神感応で伝える言葉がわかった。


『それからハヤトさん、ごめんなさいですの。あなたの知っている一文字キクカと……このわたくしは平行世界の同一人物で、同じ者ではありませんの。あなたの世界につながる可能性があるこの世界のわたくしは……山奥の田舎で、書道のお稽古に七転八倒しているはずですの』

「なんとなくそんな気もしてたから別にいいよ。それより……どっか遠くに行くのか? 俺の姉貴もそんな雰囲気だったからわかるぞ」


 ハヤトは玉砂利の上に落ちていた霊木刀を拾い上げてそう言った。

 サロメの前で死とは言えず、遠くに行くのか、と言うしかなかった。

 

『悪の大魔王に喝を入れて、正気に戻すための旅に出ることになりましたの。ですからサロメさんに、いざという時にはこのふねの子守をお願いですの』

「うん」


 サロメが、こくこく、うなずくと薄紫の宝玉は彼女の胸元にふわふわと寄ってきて、そのまま、すうっと吸い込まれて身体に溶け込んでしまう。


「キクカねーちゃん、こっちに来てから世話になった」

「その分、あなたの世界のわたくしが面倒をかけても許してあげてくださいな」

「上手いこと貸借関係が成立するもんだな。確かに面倒かけられた。俺のとこのあんたが養子にした一文字ヒナギクってやつにはさんざん面倒かけられてる」

「うふふふ♪ ヒナギクちゃん、ですか♪」


 別の可能性の自分が養女にしたという娘の名を聞いて、楽しそうな雰囲気のままキクカの気配はハヤトサロメの前から遠ざかっていく。

 ハヤトが持ち上げたはずの霊木刀もその時、姿を消していて、代わって見慣れた白銀のハードケースが置き換わっていた。




 炎に包まれた上海のその一画を藤原ヒロミは事も無げに歩いていた。

 人身売買オークション会場とそこに集う者たちを皆殺しにしただけでは彼の怒りは鎮まることはなかった。

 もしもそこにカフラの姿があれば、あるいは正気を取り戻すきっかけになったのかもしれない。

 だが幸か不幸かカフラは落札したアメリカ人のプライベートジェットですでに離陸していた。

 アッシュールの転生体として万能の願望達成能力を顕現させつつあるヒロミではあったが、怒りという感情が、その異能を効率良く扱う理性を奪っていた。


「……最低の生き物だ……人間は。このままぼくが全部……街も人も……まとめて灼き焦がして――」


 灰となって雲散霧消していく人、建物、鳥、小動物、草花。

 彼にとって意味ある存在が見当たらない以上、すべては悪意ある敵だという認識が働き、すべてを熱エネルギーとして転換して焼き消しているのだ。


『お待ちあそばせ、ですのっ!』

「ッ?」


 虚空を引き裂いて出現した白い輝きが、光の矢となりヒロミの心臓に突き刺さっていた。


『わたくしの全身全霊を賭けて、お側でお仕えしますわ……ですからどうぞ、お気を確かに……優しいヒロミさまに戻ってくださいませ』

「サティ……なのか?」


 アッシュールとしての記憶が霊木刀と化したキクカの気配を認識してそう言わせていた。


『いにしえのトゥーレの世にて、あなたさまにそう呼ばれた思い出はありますわ。でも、わたくしはこれからも……これまてだも、そして今もあなたの剣……一文字キクカですの』


 精神感応で語りかけるキクカ。

 ヒロミの身体を串刺しにした霊木刀は、サロメが受け継いだ霊結晶と同じようにその身体に吸い込まれていき同化していった。




 数時間後、事態の収拾のために特異事象専門家として招かれた老人は、炎の結界が弱まるのを待ってその内部に侵入した。


 何もかもが灰と化して、地面はテクタイト化した異様な場で彼は倒れ伏している藤原ヒロミを見つけて駆け寄る。


「この子供なんと恐ろしい力を……しかし、何かがそれを押し止めている?」


 着流しに足袋、そして白い総髪という古武士然とした、いかつい風体の小柄な老人の名は宮川ユウゴという。数年前まで非公式ながら大久保ハヤトと名乗り活動していた人物だ。


『ユミネさんのお祖父様ですわね? わたくし、ゆえあってこの藤原ヒロミさまに取り憑いた者ですの。あなたさまの剣をヒロミさまに指南していただませんか? 折り入ってお願いですわ』

「……なんと伝承院様?」


 宮川ユウゴの目にヒロミに重なって立つキクカの幻影が見えていた。

 その姿は彼の若き日に、狂王ネフレン・カーとの戦いの中で御佩刀KGMを授けてくれた少女とまったく同一だった。

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