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断章『まぼろしのマイフレンド』Side-B

 ミシュリーヌ・バーネットはフランス北部シェルブールの軍港内に存在する工房で存在を開始した。

 自律型知性体(ヒューマニッカ)技術自体はフランスの独自技術ではなく、第二次大戦末期に、ド・ゴール率いる自由フランス軍がドイツ第三帝国から回収した基礎研究資料と成果物をベースとしている。

 

 研究の主な出資者であるバーネットの姓を与えられた彼女たち四姉妹は、ヒューマニッカの中でも特別な位置付けにあった。


 それは彼女たちの肉体を構成するのが高次元波動受容細胞(ショゴス・セル)と呼ばれる変幻自在な有機細胞であること。


 もうひとつは光量子結晶頭脳とされるエネルギー放射機関にして量子演算装置たる霊結晶(ヴリル)に知性と自我を定着させていること。


 この2つの奇蹟の種に、適性ある人間の遺伝子情報を血液サンプルという形で刷り込むことで、第三帝国総統が夢見た超人(ユーベル)的種族(メンシュ)が誕生する。


 アルトゥール・ライヘンバッハは亡き妻と二人の娘をよみがえらせるためドイツ祖国遺産協会に席を置き、その研究に没頭したが成就することはなかった。

 代わりに、その研究を引き継いだのはフランスであり、ライヘンバッハ同様に、家族を失ったバーネットという大富豪であった。


 しかし皮肉なことにライヘンバッハは収監されて、刑務所から出た後も学会から追放され消息を絶ち、バーネットも娘との再会を果たせぬまま世を去った。

 

 ミレーユ・バーネットに自我が宿り、それに続いてミシュリーヌ、ミシュレット、ミランダと、研究成果が花開いたのは、彼女たちを真に求めた者が不在の時と場だったのだ。

 

 のちにミシェルと名乗ることになるミシュリーヌは、異なる世界の一文字キクカが親しくなった別のミシュリーヌと同じで、落ちこぼれヒューマニッカだった。


 ミレーユは最新鋭の兵器群とデータリンクしてそれを使いこなし、まさに一騎当千の戦乙女として賞賛された。

 

 ミシュレットは電子戦に特化しており、戦略・戦闘アドバイザーとして、フランス軍のもうひとりの戦乙女となった。


 ミランダは最後期の開発だけあって、バーネットの注文が反映されたためか、ほとんど人間と大差ないが、それだけに人当たりが良く、誰からも好印象で迎えられることもあり、要人警護の随員として外交レセプションの席などて通訳や案内役を務め、フランス外交の華として活躍していた。


 だがミシュリーヌは姉とも、妹たちとも異なり、冷遇されていた。

 有り体に言えば、その性格的な面から扱いにくく、どの部門に配属されても周囲との軋轢を生んでしまい、持て余されていたというのが正しい。


 ミシュリーヌは戦闘オプションさえ装備すればミレーユよりは劣るが戦うことができた。

 ミシュレットほどではないが電子戦をこなし、戦略や戦術を立案し、実行することもできる。

 だが、ミランダのように、ニコニコ笑って初対面の相手を歓待するような真似はたとえ命令であってもできなかった。


 彼女には人類を越えた存在であるヒューマニッカとしての誇りがあった。

 自分は誰よりも優れているのだという根拠の無い自信と自尊心があった。

 今はまだ能力が解放されていないだけで、いつかきっと、それがめざめて評価は一変するはず――サンプル血液提供者であるディアドラ・ライヘンバッハの血が、そういう人格を形成させていた。


 ヒューマニッカを統括していたフランス内務省はそんな彼女に、何十回目かの新規任務を提示した。

 それは第三次世界大戦後、霊的技術を公開して産業化に転じたことで同盟を結ぶに至った日本への派遣だった。

 ミシュリーヌはそこで、一年間の自由を謳歌したのち、人身御供として死ぬことになる一文字キクカという少女の身辺警護を命じられた。

 無論、命令書にはそのような詳細な背景情報などはなく、高貴な身分の姫君がお忍びで一年間だけ学生暮らしを味わう間、同性の警護役を務める、とだけあった。

 とうとう自分は厄介払いされることになったのかと嘆息しつつミシュリーヌは、内心ではバカにしている東洋の島国のその首都へと向かった。

 そしてそこで彼女は、運命的な出会いをする。

 

「う、動け……ない?」


 ミシュリーヌにとって地震は初めての経験だった。

 そのショックで転倒してしまい、機体制御プログラムの調整に手間取り、上手く歩けずに、学園近くの駅前で、尻餅を着いて転んでしまっていた。


「足をくじいたの? 病院まで、ぼくが連れてってあげるよ」

「ひゃああああああああっ?」


 見知らぬ小柄な少年が、ひょいっと無造作に彼女を抱え上げた。


「わあ、羽根みたいに軽いね。それに、キラキラしてる髪、すごくきれいだ」


 抗議する前に手放しの賞賛を受けてしまったミシュリーヌは何も言えなくなり、そっぽを向いた。


「あなたも、なかなかに義侠心があるかたですね。先刻から何人もわたしの目の前を通る人たちがいましたが、同情的な言葉だけつぶやいて何もしませんでした。ですが、あなたはわたしを助けようとしました。見上げた心がけです」

「日本語、話せるんだ?」

「学習には手間取りましたが、その分、習熟したと自負しています」

「すごいや。ぼくなんて英語の成績、あんまり良くないんだよ」

「人格的な魅力の成績はとても優秀だと思いますよ、ええと……」


 そうだ、まずは自分から名乗り、この人の名前を教えてもらおう、とミシュリーヌは考えた。


「わたしはミシュリーヌ・バーネットです。親切にしてくれたあなたに報いたいと考えています。名前を教えてください」

「藤原ヒロミだよ。よろしくね、ミルフィーユ」

「……ミシュリーヌです。発音、そんなに難しいですかヒロミさん?」


 ミルフィーユ、と言う方が、よっぽど難しい。

 フランス語にはHの発音が無いのに、日本語としてきっちり発音できている自分を見習うべきだと内心でミシュリーヌは憤慨する。


 しかしヒロミは一応は恩人だし、なによりも自分を初めて正統に評価してくれたのだから大目に見ようと考え、ミシュリーヌは少しむっとした顔を作る程度。

 

「ごめんごめん、ミシュラアーン」

「……もしかして、わさど間違えて、わたしをからからっているんですか?」


 実のところヒロミは素で間違っていたのだが、ミシュリーヌの寛大さもそこまでが限界だった。


「あなた……最初から、わたしをあしらって、バカにして、何かケチをつけて……それでおもしろがっているんでしょう?」

「ち、ちがうよ! 本当に言うのが難しくて――暴れないで!」

「降ろしてくださいっ! あなたなんかの手は借りません! ひとりで歩けますし道だって、もう確認済みなんですから!」

「ごめんミー! あやまるから暴れないで!」

「なんですかそのミーって短縮は! 省略にもほどがあります!」

「とっさに出たんだけど、言いやすいし、これでいいよね?」

「絶対にそんなの認めません――きゃああああああっ?」

「また地震?」

「たすけてえええっ! ミレーユお姉様ぁあああっ!」


パニック状態に陥ったミシュリーヌが暴れて、ヒロミもバランスを崩してしまい、二人はもつれてしまい、地面に転がってしまう。

 古武術の心得があるヒロミは、なんとか自分が下になり、ミシュリーヌにとってのクッションになるように受け身を取った。


「っ!」

「え……」


 その結果、ヒロミの意図通りにミシュリーヌは無事だった。

 しかしその端正な顔は恥じらいに赤く染まっていた。

 偶然にもミシュリーヌがヒロミのくちびるを奪う形で倒れ込んでいたからだ。


「ど、どうしましょう……こんな人なんかにキスしてしまいました」

「こんな人で悪かったね。でもヨーロッパの人はあいさつ代わりにキスするんだよね? 今のはミーからのあいさつってことで問題ないって」

「いいえ、わたしは身持ちの堅い女として育ちました。ですから、今のこれは……ヒロミさんとわたしが永遠の愛を誓う契約です」

「え、えいえん?」

「結婚しましょうヒロミさん。わたし、良き妻として、あなたに尽くします」

「いや、結婚って……ぼくはまだ高校入学初日だし、そんなの無理だって」

「ではまず婚約ということで妥協しましょう。民主主義の国フランスの者としてはその程度の譲歩はします。まずは住まいを探さなければなりませんね。二人のベッドと、それから――」


 ミシュリーヌは自分がふざけて、はしゃいでいるつもりだった。

 ヒロミへの感謝と友情は意識していたが、それが恋心となって大きく心を揺らがせるのだとは、この時はまだ気付いていなかった。


 初めてできた、なんでも言い合えるケンカ友達にして恋敵、一文字キクカとの友情を裏切り、ミシュリーヌはヒロミを誘惑して結ばれた。

 だが、その頃から世界は第三次世界大戦以上の恐怖と破壊に支配されていく。


「ごめんねミー……ずっといっしょに……いようねって……約束……したのに」

「ヒロミさんっ! ヒロミさん、しっかりしてくださいっ!」


 強大な治癒能力の使い手でもある一文字キクカは、その時点ですでに人身御供としてミシュリーヌたちの前から姿を消していた。

 そして恐るべき敵である〈年代記収穫者〉との戦いで、ヒロミはトゥーレ最後の王アッシュールとして不完全な覚醒を遂げてミシュリーヌを守り、息絶えた。


「わたしが……キクカさんを裏切ったからだ……ヒロミさんを独り占めしたくて、キクカさんの最後のお願いも……握り潰したからだ……わたしの……せい……」


 ミシュリーヌの深い絶望に誘われるように、古代トゥーレ文明を滅亡に導いた力が彼女にささやく。

 ヒロミを、キクカを、大切な仲間たちを取り戻せるのなら、という短絡的な衝動のままミシュリーヌはそのささやきに耳を貸してしまった。

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