断章『まぼろしのマイフレンド』Side-A
一文字キクカは田舎育ちの娘だった。
東京と山梨と神奈川の隙間にある、ほとんど知られていない国立自然公園の奥深くにある禁足地で15歳になるまで育てられた。
彼女の存在は秘密であり、ごく一部の政府要人や国家鎮護の祭祀を担う者たち以外には知られることのない皇女だった。
第三次世界大戦後の荒廃した2009年の春、霊的な祭祀を放棄することが決定したことで、朝廷は人身御供としての彼女を利用する目的を失い、充分すぎるほどの支度金を下げ渡して自由を与えた。
知識でしか現代社会というものを知らずにいたキクカが望んだのは、寮生として住み込むこともできる学園に入って、同年代の少年少女たちと接点を持ちたいということだった。
「これは……もしかしてテレビゲームという娯楽の機械ですの?」
キクカは同じクラスの少年、藤原ヒロミや彼の友人たちと共に、放課後、大型家電店に立ち寄っていた。
制服姿の彼女は店頭に置かれているノートパソコンの画面に見入っていた。
スクリーンセーバーが延々と続くだけだったが、家電製品は冷蔵庫しか触れたことがなかったキクカにとっては見るのも聞くのも興味深い。
「ちがうよキクカ、それはパソコンって言ってね、ゲームもできるけど、ネットで遠くの人と通信したり、いろんな情報を交換したりする道具なんだ」
「まあ? そんなすごい道具があるだなんて、わたくし存じませんでしたわ」
彼女が文明の利器とは隔絶した環境に置かれていたのは、その霊的な資質の妨げとなる可能性を考慮しての措置だった。
世間一般と切り離され聖別された幼い少女という意味では、ネパールにおける、クマリが近いかもしれない。
だがキクカの場合、祭祀が破棄されることがなければ、その命を捧げて文字通りの人身御供となることがさだめられていた。
キクカは、関東に眠る恐るべき災厄の化身、禍津火神を封じる巫女としてその生命を散らすべく育てられていたのだった。
ヒロミや友人たちはパソコンやインターネットの概念や具体的な説明をあれこれとしてくれて、その結果、キクカは一括払いでそのノートパソコンを寮に持ち帰ることにした。
設定その他はメカにくわしいルームメイトの中島クルミがやってくれた。
「はじめまして。東京にいるキクカですの」
中島クルミがBLマンガのデジタル作業に没頭しているその隣で、キクカはいちいち口に出しながらチャットルームに入室してキーボードを打ち込む。
無知と好奇心のままネットサーフィンしたキクカがたどりついたそこは、不特定多数が交流目的でとりとめもない会話をするサイトだった。
「ミシュリーヌです。パリジェンヌなのでおしゃれです。しかしキクカさん、日本語はおぼえたばかりですが珍妙な語尾ですね。もしかして萌えキャラのなりきりというやつでしょうか?」
「まあ、失礼ですわよ! それに萌えキャラってなんですの?」
「天然キャラのふりまでするとは徹底していて恐れ入ります」
「きいーっ! よく、わかりませんけれど、バカにされているような気がしますわよ!」
「気がする、のではなく、バカにしているのです。日本のように辺境の島国は、誇れるものはカニカマくらいのもの。サブカルだなんだと言っても、芸術の本流はパリにあるのですから――」
「カニカマ! お昼の学食でカニカマとワカメのサラダをいただきましたわ!」
「あ……え……そ、そうですか」
伝統的な差別意識のまま、東洋人を悪し様に批判して自尊心を満足させようとしていたはずのミシュリーヌは、いかにお昼のカニカマがおいしかったか力説を始めたキクカに毒気を抜かれてしまい、自分もお昼に食べたカニカマ入りオムレツがおいしかったという話をする羽目になってしまった。
「まあ、ミシュリーヌさんはお料理のお仕事をなさるかたですの?」
「ええ、官公庁の食堂で……見習いですが、すぐシェフに昇格間違いなしですね」
キクカは自分が特別な生まれであったことは伏せていたし、ミシュリーヌも自分が落ちこぼれヒューマニッカであることは隠し通していた。
それでも、いつしか毎晩、同じ時間帯にチャットルームであいさつするのが当たり前の習慣となり、面倒だからとメールアドレスを交換して、直接、二人は私信を交わすようになっていった。
「そうですか、そうですか、しょせん女の友情なんて、男ができてしまえばおしまいなんですね。ミレーユ姉さんがいつだったか、そう言ってた通りです」
「ごめんなさいですの。この埋め合わせに、今度、日本に来て会える時は、ミシュリーヌさんの大好きなリンゴサイダーをごちそうして差し上げますわ」
「何度言ったらわかるんですか。リンゴサイダーではなく、シードルです! では次の休暇の予定が決まったら、すぐ連絡しますから、その藤原ヒロミという人物にも引き合わせてくださいね?」
「うふふふ♪ もちろんですの♪ たっぷりとイチャイチャして、見せつけてあげるのが楽しみですの♪」
「ふう、せいぜい成績が落ちない程度にバカップルしててください」
キクカは藤原ヒロミとの恋を育み、ミシュリーヌに冷やかされながらも自慢して幸せな交流が続いた。
ヒロミがトゥーレ最後の王アッシュールを宿す魔人と化す、その直前まで。




