六章『六億二千万年前の遺産』19
「ふむ……そなたはこの時と場から、およそ36年後に相当する座標から来訪せし招かれざる客というわけか」
心を読まれた!
歯を食い縛って苦痛をごまかしながら起き上がったハヤトは、アッシュールに、特別な出自を言い当てられたことに戦慄する。
厳密には異なるが、単純に言うならば黒い学生服の少年大久保ハヤトは、あり得る可能性の36年後のひとつから、ここへやってきたのだ。
その事実を知るのはこの世界ではミシェル・バーネット、そしてマリー・アントワネットに宿る伝承院・一文字キクカのみの秘密だった。
「妙心独覚? 余の力を後世ではそうも呼ぶのか。しかし、おまえがべらべらと一人語りしているのも同然なのだから仕方あるまい。不快に思うのならば自らの心身を律し、整えるがよかろう宮川イサミ」
「そいつは……ご親切に、どーも」
戸籍名として学校で呼ばれる本名を使われた事に対する反発はあったが、それにいちいち食ってかかる余裕はなかった。
乱れた呼吸を整える。
身体の感覚を研ぎ澄ます。
そうするだけで不思議と折れたはずの右腕の苦痛も和らいでいく。
「ここは思念のみ――しかも、おまえ自身のそれで構成されている領域なのだからな。森羅万象はすべて、おまえの思うところとなって当然。何も不思議なことなどあるまい」
「俺はあんたに精神攻撃ってやつを仕掛けられてるわけ……か」
「ある意味では」
「また、それかよッ!」
宮川イサミ――大久保ハヤトは予備動作を感じさせない凄まじい加速でアッシュールに迫り、牽制の拳打をいくつも放つが、トゥーレ最後の王は先刻同様の数ミリ単位の見切りですべてかわしてしまう。
「ふむ、なかなかの体術だ。天尽夢想流とかいう流派名だったと思うが、余を封じた技といい、やはりキュベレの奥義を継ぐ家門であったのだな」
「今さら心を読まれても動揺なんかしてやらねーッ!」
ハヤトはアッシュールの回避動作パターンを把握しつつあった。
数ミリ単位の見切りだったそれは、少年王自身の両腕を使ってのブロックへと変化して短い間合いの攻防としての態を為していく。
「案ずるな。もはや、おまえの思念は断末魔の醜態からは回復している。余はかつてトゥーレにてキュベレから、そして、おまえの曾祖父から受けた技を思い出したというだけのこと」
「むぐッ?」
アッシュールが身体を沈め、右の肘をハヤトのみぞおちに叩き込む。
「楽に死ねるなどと思って甘えるな――」
ハヤトの身体が崩れ落ちる筑前、追い打ちをかけたアッシュールは掌打を繰り出して肋骨の上から心臓を打つ!
「ッ?」
かつて経験したことがある衝撃だった。
気、あるいは霊力などと呼ぶ圧縮された思念の力を打撃に上乗せしてくる技だ。その使い手の名は黄玉鈴といった。
彼の目の前で永遠にその存在を消滅してしまった少女だった。
大きく後方に吹き飛ばされて、再び地面に突っ伏してしまうハヤト。
「今の技は……おまえを自己欺瞞と破滅願望から引き上げる際に見せてもらったものを貸してもらった。しかし、肝心のおまえがその状態では、死んだユイリンという娘も浮かばれまい」
わずかな挙動だけで瞬時にハヤトの前に立ったアッシュールは、つまらなそうに蹴った。
「くそッ! なんで俺は……てめえなんかにッ!」
耳からだらだらと血を流しながら、ふらふらとした頼りない足取りでハヤトは起き上がって仕掛ける。
「まったくその通りだとも宮川イサミ。余とて、愛し子たるドニヤザードからの口添えがなくば、ここまで世話を焼くこともなかった」
「ここにいる俺は大久保ハヤトだッ!」
ただひたすら早く、正確に、連続して、ハヤトは打撃技を繰り出していく。
先刻のアッシュールの掌打のように、いつしかそれらの技には闘気そのものもを体現するような力強いエネルギーが宿っている。
「見せてもらっているぞ。その姿のままで良いのか? おねえちゃん、に頼ってもいいのだがな?」
アッシュールはハヤトのそれと対照的な、ゆるやかな動作で五体を駆使して防御に終始していた。
その動作は中国拳法の一派を連想させると同時に、ハヤトの父親が天尽夢想流を用いる場合の間合いの取り方とも酷似していた。
「女に化けるのは宮川イサミの時だけ限定だッ! KGMを受け取った今の俺は、大久保ハヤトっ!」
ハヤトの動きが加速してアッシュールの予測を超える。
渾身の一撃となった拳打が少年王の顔面を捉えた。
「舐めプレイもいい加減にしやがれアッシュール! てめえ、どこまで人んちの親父の真似しやがる気だよッ! そっちも仕掛けろッ!」
ひたりとその拳を激突寸前で制止させたハヤトが怒鳴る。
アッシュールは涼しい顔のままだった。
「ドニヤザードが教えてくれたのだ。余のこの時点での器となった者……ラネブ・アカナという者の弟が……カフラ・アカナは里子に出されて存命しておると。もしもおまえが余の施しを感謝するのならば、カフラを救うのだ」
「施し?」
「まだ、わからぬのか? おまえは霊力の過剰な消耗で死にかけていた。さいわい余も死にかけた直後だったので、少々骨は折ったが、冥府の淵にまで潜り、霊力を分けてやった。余は命の恩人ということになる。よって、カフラ・アカナを救うのは、おまえの義務でもある」
「おいアッシュール?」
「さらばだ大久保ハヤト。次に会う時に……おまえやドニヤザードのことを、おぼえていられれば良いのだがな」
言いたいことだけ一方的に伝えると少年王の姿はかき消える。
強烈な閃光に目をやられた、と思ってハヤトは両手で視界を覆った。
「ハヤト! よかったー! ハヤトがおきたよー!」
わあわあ泣きわめくサロメの顔が目の前にあった。
タイプBと蔑視される獣人種の特徴である耳――サロメのそれはキツネ耳――が目に映った。
「……サロメか。悪い……少し休憩させてもらってた」
「ハヤトのばかあーっ! おばかさーんっ!」
一文字ヒナギクの泣き顔とサロメのそれが、なぜか似ているような気がするハヤトだった。




