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六章『六億二千万年前の遺産』17

「アッシュール陛下」


かりそめの玉座から立ち上がり、地球全体を模した立体映像に指を向けていた少年王に、ジュゼッペ・バルサモが呼びかける。


「ためらいがあるように見受けられますが……トゥーレの再興こそがあなたさまの悲願であったはずでは?」


 6億2千万年前に栄華を誇ったトゥーレ。

 その最後の王アッシュールの忠実なる信奉者を自称するジュゼッペ・バルサモは少年王が現実と仮想空間のふたつの領域を同時に認識しつつ行動できることまでは知らずにいる。


「いや、なに、見知った者たちと近しい気配をあの場から感じるものでな。少しばかり、あいさつをと思っている。それすらも余を見限る材料とするか?」


「しかし陛下、陛下はその戯れが過ぎて、37年前も大久保ハヤトに不覚を取られたではありませんか。もはや猶予の時は限られております。一刻も早くケルゲレンのあの場を神罰の業火でお浄めください」


 ジュゼッペ・バルサモは彼がようやく確保した器に顕現したアッシュールに対して、うっとうしそうに行動を促す。

 37年前――西暦1962年の大西洋で生じた戦いを思い起こして、ジュゼッペ・バルサモは嫌悪に顔を歪ませた。

 大久保ハヤトと名乗る剣士との長い因縁は、その戦いに前後して産まれていたからだった。


「ここで余が、そなたの不興を買えば、この写し身の心臓に仕掛けられた術式が炸裂するというわけだな。臣下の者に生殺与奪を握られてしまうとは余もよくよく徳のない男だ」

「致し方ありません。トゥーレの王は一個の人格である前に、王であらねばならぬのですからな。トゥーレの民には指導者として、大断絶以降の人間もどきたちには絶対の支配者として、君臨していただかねばなりません」

「だがなジュゼッペ・バルサモ、いや伯爵。余はこの写し身を譲り渡してくれた、ラネブ・アカナという少年に報いてやらねばならぬのだ」


 唐突にアッシュールが口に出した名はルクソール近郊の隠れ里で細々と古来の信仰を守り抜いてきた貧しい村の男児の名である。

 ハーメルン症候群を発症したこの男児は、自分自身の自我を喪失することでその身体にネフレン・カーとしての転生を経ているトゥーレ王アッシュールを宿しているのだった。


「彼の家族には、過大な報酬を与えております。今さら陛下が――」

「偽りを申すな伯爵。余は知ったぞ。ふむふむ、なるほど、そなたは口封じを兼ねて……砂漠の一神教を奉じる者たちのしわざに見せかけて隠れ里ごと消し去ったか……むごいことをする」

「……陛下?」


 ジュゼッペ・バルサモはアッシュールの前から姿勢はそのままに後退した。

 額を汗が伝っている。

 これまで嫌味や軽口は言うが、臣下の代表としての助言には何一つ逆らうこともなかった王の変化に戸惑っているのだ。


「余とアムルの血を伝えし愛し子とその女官が、今の世において、知るべきことを言上してくれたのだ伯爵。トゥーレに殉ずるそなたに報い、傀儡となってやっても良いと考えてはいたが……余はラネブと、そして、ドニヤザードのために生きたいと考え直した」


 アッシュールは軽く右腕を払う。

 すると表示されていた地球の立体映像は消失した。

 同時に、周囲の空間も無味乾燥な白い壁のドーム状の場所となる。

 音響加工に用いる無音室のサイズを極端に拡大したような殺風景で無味乾燥な情景だった。


「サロメと同じで、あなたも失敗作だったようですな!」


 伯爵とも呼ばれた男は、殺気をはらんで身構える。

 キル・スイッチとして設定した心臓を爆破する術式を使う意図は伏せて、まだ、少年王を翻意させる素振りを見せて、油断を誘っていた。

 ほんのわずかな時間ではあるが、術式が


「サロメ……ああ、トゥーレにて、最後まで余に尽くしてくれた天空の女王(カレン)のための器か。その者の隠れ里も、ラネブの故郷と同じようにしたのだな。わざわざ、つがいとなるように配慮してくれていた……というよりは、交配させるのが目的か。しかしあの者は余が拾い育てた娘。余計なお節介というものだ」


 伯爵と対峙しながらアッシュールは、仮想世界でのドニヤザードとミシュレットと会話を並行させ、必要な情報を取り込んでいく。

 狂王ネフレン・カーとしてなら、いざ知らず、トゥーレ最後の王アッシュルとして覚醒した彼に限界はなかった。


 なぜならば、その異能の本質は往古のトゥーレ絶頂期においてさえ反則だとまで言われたものだからだ。

 知るべきことがあれば、知っていたこととなる、あるいは即座に知る。

 生じるべきだと思えば、それもその結果をもたらす事象として顕現する。

 ミランダ・バーネットがVA艦マシュー・ペリーを不完全なマグナキャリバーに変化させる際に、軌道上の古代トゥーレ兵器群から複数照射させたいくつもの光の柱。

 それはアッシュールのその力を限定的に再現したものに他ならない。

 次元干渉兵器の本質とは、発動者の願望を結果として発生させるこの恐るべき力なのだった。

 戦乱の果てに星の海を渡り、氷結した地表に降り立ってから、なおも争いを続けた果てに、トゥーレという文明圏が生み出した究極的な力でもある。

 

「おしゃべりは堪能なさいましたな。これでお別れでございます陛下!」


 伯爵は起動が完了した術式を発動させるべく、懐から取り出した野球のボール大のダイヤモンドを素手で握り潰す。

 心臓に見立てたそれが破砕されることで、霊的に紐漬けされていたラネブ・アカナの心臓が爆散するという共感呪術めいたものだった。

 

「そなたは常に……余を欺き……裏切るのだな――よ」


 万能を誇るアッシュール王の異能ではあるが、その発動に際しては、精神の集中が必要であることを忠実な臣下ジュゼッペ・バルサモは知悉していた。

 最後の王は、ジュゼッペ・バルサモの古代トゥーレ人としての名を口にしながら息絶えていく。


「これで振り出しに戻ったか……いや、まだ、候補者がひとりだけいるのだったな……どうする?」


 ジュゼッペ・バルサモはトゥーレ最後の王アッシュールの器となる可能性を秘めた、もうひとりの男児を思い出した。




「うぐッ?」


 ドニヤザードとミシュレットの眼前で、アッシュールは吐血し、倒れ伏す。


「ご先祖様っ!」

「アッシュール王っ!」


 二人は駆け寄るが、接触したその時点で少年王の投影体は希薄になっていて、消失するのは時間の問題であるように思えた。



そして――


「ミシェルおねえちゃんたすけて! ハヤトが! ハヤトがいきをしてないの! いっばい、いっぱい、ちがでてるの!」


マーズ・フォリナーからの通信がマリー・アントワネット戦闘指揮所に鳴り響くがミシェル・バーネットはそれに答えるいかなる言葉も持ち合わせてはいないのだった。


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