六章『六億二千万年前の遺産』16
「10と3番めのキラキラ星さん、ぼくの言葉は届いていますか?」
席を立ち上がったその瞬間、ドニヤザードは星の海のただ中に身を置いている自分を認識していた。
ミシュレットがその機能を発揮して、VA源動基間の超光速ネットワークに二人の意識を投影させているのだ。
「ご主人様、もう少し威厳ある言葉遣いの方が」
ドニヤザードの傍らにはミランダ・バーネットの姿と似通ったヒューマニッカの少女――ミシュレット・バーネットがある。
こちらはバギルスタン王家の正統継承者としての民族衣装をまとうドニヤザードとは異なり、イギリス風の古典的なメイド服という姿だ。
「変に言葉だけ飾ると気持ちが伝わりにくいから、これでいいんだよ。ハヤトおじいちゃんが、内戦の時にそう言ってたよ」
白い肌に青い目、そして豪華な金髪というのは、夜空や宇宙といった場所だと、見栄えするなあと思いながらミシュレットを見つめ、ドニヤザードは言い返す。
浅黒い褐色の肌に銀の髪、そして赤い目というバギルスタン王家の特徴も、第三者からすれば比肩しうる美的特徴ではあるのだが、彼女には自分よりもほんの数センチだけ背が高いミシュレットへのあこがれが強い。
「そういうものですか」
納得してはいないが、とりあえず妥協しましょうかという場合に良く使う言葉で受け答えたミシュレットは、変容した空間の動静に意識を研ぎ澄ます。
この超光速ネットワーク上では何が起きても不思議ではないからだ。
20世紀末に至り、人類は発展した通信ネットワーク上に仮想空間を構築して利用することを当たり前としている。
仮想空間それ自体はあくまで電子機器操作上のたとえ、置き換えでしかない。
そのはずだった。
だがハーメルン症候群の発症者の一部が特異な能力を発現させることで、電子世界は人類にとって未知の異界となった。
そこは、一部の神秘家や霊能者、魔法の使い手たちが霊的アプローチで認識する異界と酷似する奇怪な領域へと変貌を遂げた。
卓越した技術を備えたオペレーターは、電子世界において自我を投影し、魔法さながらの力を発揮することができる。
霊的な力に長けた能力者が、霊界、精霊界などと呼ぶ異界で同様に活動できるのとなんら変わりなくだ。
そして、心霊的な異界と電子的な異界とは、いくつかの制限付きではあるが……その異能により、元来であれば接触することのなかった領域へと干渉を可能としている。
ミシュレットに与えたら機能は、電子技術の精髄を極めながらも、心霊的な呪装を施すことで、性質の異なる二種類の異界での活動を可能たらしめるものだった。
「もしもーし、10と3番めの――」
日本人の観光客が山登りをしている時のような仕草で両手を口の前で拡声器代わりにして、ヤッホーとでも言い出しそうだったドニヤザードが動きを止めた。
「回答ありました。7秒後にこちらにも投影体が出ます」
ミシュレットが予測したそれよりも、2秒ほど早く、その姿がドニヤザードの前に出現する。
「なつかしい波動だ。そなたは余がネフレン・カーとして生を受けたのちにもうけた子らの……末裔であるようだな」
ジュゼッペ・バルサモがアッシュール陛下と呼んで、頭を垂れた少年だった。
彼はドニヤザードに対しては慈しみに満ちた微笑を向ける。
「ぼく知ってる! その人、遠い遠いご先祖様だよ!」
「幼子よ、余はアッシュール。かつてネフレン・カーとして黒きケムの地にて滅ぼされた王でもある。そなたの名は?」
「え? ええーっ? ご先祖様でアッシュールで……それって古代トゥーレの方の王様で……頭がこんがらがっちゃうよ」
「ご主人様、トゥーレ最後の王アッシュールが、バギルスタンの太祖ネフレン・カーとして転生を遂げ、そして現代にも、と考えればツジツマは合います。ハーメルン症候群は現代で確認される以前から存在した、という大前提は必要ですが」
ミシュレットに軽く肩を叩かれて、ドニヤザードは難しそうな顔をするが、すぐ快活そうな明るい表情を取り戻した。
ドニヤザードは太祖ネフレン・カーが、単なる伝説上の祖先であるという程度の認識しかない。
しかしミシュレットにはその名で知られた少年王が、エジプト古王朝のある時期に存在し、善政ののちにナイアルラトホテプなる邪神崇拝に傾倒し、残虐極まりない祭祀と供儀に没頭した狂王だということを知っていた。
ネフレン・カーが古代の勇者たちによって討ち取られた魔王とも言うべき悪であり、口伝とわずかな記録を除いてはその存在自体がエジプトの史書である神聖文字碑文からも削り取られているということも含めて。
「ぼくはドニヤザードだよご先祖様。このミシュレットは専属のお手伝いさん」
「お目に掛かり光栄です、トゥーレの王。ミシュレット・バーネットと申します」
ドニヤザードは会釈、ミシュレットもその真似をする。
彼がまとうアメリカ戦略機甲軍の制服については言及しない。
「繰り返すことになるが余はアッシュール。さて遠き子孫ドニヤザードよ、用向きを申すがよい」
「ご先祖様が復活させた10と3番めのVA源動基……それで……何をするつもりなのか教えて?」
「あなたが本当に禍津火神アッシュールその人であるというのなら、ドニヤザード様のバギルスタンはネフレン・カーとしてのあなたの血脈。敵対したくはありません」
バギルスタン王家に仕えるようになってから、ミシュレットは異なるもうひとつの伝承を学んだ。
それは狂王ネフレン・カーその人はその政務の半ばから重臣たちに欺かれて神殿奥深くから出ることなく、偽りの生を与えられたのだという内容だった。
邪神崇拝とそれに伴う残虐非道な祭祀と供儀も、すべては真の救世主たる存在を降臨させんとする神官たちが企てに失敗し、その罪すべてを幽閉同然にしていた少年王に押し付けたのだ。
夭折した英雄に付きまとう生存説と同じく、すべての罪を背負わせられた失意のネフレン・カーはエジプトを落ち延びて中央アジアの秘境バギルスタンに至った。そしてサバ湖ほとりの神殿で血を残し、短い生を終えたという。
これがバギルスタン王家発祥の伝説である。
「ミシュレットとか申したなドニヤザードに仕える女官よ。余とて、無益な殺生も破壊も好むところではない。ドニヤザードよ、おぼえているぞ……ネフレン・カーとしての生を。そなたは打ちひしがれていた余を慰めてくれた……あの娘……アルマの面影がある。傷付けるものか」
浅黒い肌の少年王は、無造作に歩み寄ると、きょとんとして彼を見上げるドニヤザードの髪を優しくなでた。
「やめてよーご先祖様? ぼくもう10歳で、お嫁にだって行けるんだからね」
「ふふ、その大人ぶった物言い、まさしくアルマに瓜二つだな」
トゥーレの王が危険な存在だという姉ミシェルからの警告は何かの間違いでしかないのでは……主の傍らで平和的な会話に立ち会うミシュレットはそう考えた。




