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六章『六億二千万年前の遺産』10

 西暦2035年。

 オーストラリア大陸西部グレートサンディー砂漠の一画に築かれた人工の楽園。

 オーストラリア国民だけではなく海外からの移民や戦災に遭った難民の子弟をも受け入れて高度な教育を与える特別な自治都市。

 多額の寄付金を払えない大半の学生たちは、高度な教育と衣食住、そして将来の就職先の斡旋の対価として、シルエットキャリバーを使っての遺跡調査と発掘回収をこなしている。

 発掘と回収は極端に危険ではないが、時として遺跡から湧いて出てくる〈収穫者〉の存在もあり、それなりの戦闘能力も要求される。

 先史文明の遺物の調査と解析、そしてシルエットキャリバーの運用と武装のテストには絶好となるこの地には世界各国の軍需企業や研究機関がこぞって進出していた。

 戦災復興の特例として、実質的にタックスヘイヴンとなる税制が敷かれていることも大きな理由だ。

 古代トゥーレ文明の遺跡を隠蔽しつつ発掘するために築かれたそこは、クトゥルー神話というフィクション大系にあやかり、ゾシークと命名されていた。

 

「生きてもいなければ死んでもいません。あの時のまま、周辺ごと時が停まった状態になっているんです」


 ゾシーク中央政庁の地下深くに設置されている医療施設の特別室。

 幾重にも重ねた半透明のカプセルに安置されたセーラー服姿の玖堂タマモ。

 病人を見舞うかのようにその傍らに立つのはミランダ・バーネット。

 ただし機体は、かつてロデリック・ギルバートの下にあった往時と近い少女の姿。

 そして、もうひとり。


「なあ姉貴……起きてくれよ」


 黒い学生服の少年だった。


「きちんとお姉ちゃんと言いなさい……って……怒ってくれてもいいんだぞ。このままじゃ俺、来年は姉貴と同い年で同じ学年になっちまうじゃねーか」

「出席日数不足で落第するという可能性もありますよ社長」


 ミランダは場を和ませようとしてそう言ったのだが、いつもであれば混ぜっ返したり冗談で反撃する少年が無言だという事実に気まずい思いで黙り込んだ。


「……俺の出席日数を減らしてる張本人は、勝手にポンポン仕事を取ってくるおまえのせいじゃねーかよミランダ」


 いつもより反応こそ遅いが、大久保警備保障の社長は、その秘書にふてくされ気味の愚痴を言った。


「仕方ありません。先代である彼女が作ってしまった負債は相当なものですからね」


 少しだけ安心してミランダもいつものように愚痴に反応した。

 

「ところでミシェルお姉さまから依頼内容、わたしはまだ確認していないのですが……具体的な行き先と内容は?」

「あ、ああ……それなんだけどなミランダ……」


 秘書である自分に知られると面倒になりそうだという場合に、彼はよくそんな風に言葉に困って視線をそらすのをミランダはもう知っている。

 

「……過去よ。あなたとわたしが砲火を交えて敵対し、殺し合ったあの時と場へ、彼は行くの。そして帰ってくるわ」


 足音が響き渡り、ミシェル・バーネットが入室してくる。


「どういうことですか社長?」

「現在から過去に行き、ほんの少し先の未来に戻る。そういう大がかりな仕事だとさ。しかも聞いて驚けミランダ。うちの会社の借金、これでチャラにしてくれるらしい」

「そういうことだからミランダ、後のことはお願いね。行きましょうか大久保ハヤトさん。この時間軸から確実に移行できる座標を維持できるのもそろそろ限界です。もっとあなたの成長を待ちたかったけれど」

「ま、常在戦場ってやつだ。俺は本番に強いんで、そこんとこ期待してくれ。じゃあなミランダ」


 ハヤトは近所に買い物にでも行くような気楽さで声をかけると姉が横たわるカプセルに背を向けた。


「ダメです! 勝手な真似は許しませんよ社長! ミシェルお姉さまもです!」


 ミランダは二人の間に立って、大きく両手を広げて阻止しようとする。


「おいおい、せっかく社長の俺が勤労意欲に燃えてるのになんだよ、それ」

「ウソです! あなたは、わたしの欠けた記憶やお姉さんやヒナギクさんや……わたしの知らない他の人たちのために……そうなんでしょう?」

「買いかぶりすぎだ。俺は借金借金で秘書のおまえにガタガタ言われるのがうんざりしてるから、ここでチャラにして気持ち良く進級したい。それだけだ」

「それもウソ! とにかく、そんな危険な仕事キャンセルです! ミシェルお姉さまもあきらめてください! 打つ手がないからって、そんな悪あがきにイサミさんを巻き込まないで! わたしの家族を勝手に連れていかないで!」

「あきらめているのはあなたの方よミランダ。あなたこそ、彼を怠惰な日常に埋没させて何もさせず、最後の瞬間まで家族ごっこに付き合わせて終焉を待つつもり?」

「ごっこじゃない!」


 語気荒くミシェルに告げたのはミランダではなくハヤトだった。


「姉貴と俺とミランダは同じ屋根の下でメシを食って寝た家族だ。ミシェル、あんたが誰だろうとそれを否定はさせない。上から目線でうちの社長秘書をバカにすんな」

「……ほんと、あなたは父親と同じでヒューマニッカ殺しなセリフがすらすら出てくる天然ジゴロです。良かったわねミランダ」


 ミシェルは、うらやましそうに妹を見て、それから軽く頭を下げた。


「ミランダ、わたしの発言があなたとハヤトさんを不快にさせたことは謝罪するわ……でも、彼には旅立ってもらいます。わたしの復讐のために。それと、彼の目的のためにね」

「ミシェルお姉さま!」

「安心しろよ。俺は今までだって依頼、先代からの引き継ぎ分も含めて、全部こなして帰ってきてただろ。な、ミランダ?」

「予算オーバー! 赤字ばっかり! 要らない人材採用しすぎ!」

「そこは有能な社長秘書を信頼してるからだ。ミランダ、姉貴と、ここを頼む……俺は……最後の賭けの大前提になるあれを手に入れて、必ず戻ってくるからさ」

「イサミさん……いえハヤトさん、たとえ最悪の予測が実現したとしても……わたしは必ずあなたが帰ってくるまで、この場所とこの人たちを守ってみせます。ですから、必ず無事に帰ってきてくださいね?」

「ああ、行ってくるよミランダ。戻ったときは、またうまいピザ焼いてくれ」


そう言って彼はミランダに背を向けてその部屋を出た。

大久保ハヤトの長い旅の始まりだった。


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