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一章『見知らぬ再会』

「そう、間に合わないのね」


 大久保ハヤトはそう言ったが、声音にさほど失望の色があるわけではない。


「悪いことは重なる、そういう時もあるわ」


 現地時刻は深夜三時。

 左肩に黒革のベルトで吊り下げた銀色のハードケースが微動する。

 細長い長方形のそれは持ち主の姿からすれば楽器でも収めた箱のように思える。

 古風なセーラー服姿の少女が立っているそこはサンフランシスコの街並みを一望する巨大な鉄塔の頂点だった。


 自殺の名所として有名なゴールデンゲートブリッジではあるが、それを志願する不幸な人々には二〇〇メートルを超える高所に登る気概はない。

 こうした観点から考えてもこの少女の存在は明らかに異常だった。


「いいえ。目を閉じて、少し仮眠していただけよ」


 少女は何者かと会話を続ける。

 左手首に巻かれた無骨な腕時計が通話を成立させていた。

 かなり大振りなサイズだ。

 時計というより宝飾品としての腕輪を連想してしまう代物だった。


「それで嫌な夢を見てしまったの。忘れてしまいたい過去のひとつね。だから悪いことは重なると言ったわ」


 凪いでいるも同然のかすかな海風に軽く髪をなびかせハヤトは腕時計を使った交信を続ける。


「さっさと引き揚げろ? 冗談はやめてちょうだい。遅れているのは、マリー・アントワネットの方よ。わたしは予定通り待機しているのに」


 それまでと打って変わり強権的、断定的な口調に切り替わるハヤト。

 微風にそよぐ長い黒髪も、そのわずかな怒気に呼応し、ふわりと浮かぶ。


「お金の問題ではないの。とにかく迎えだけ出して。あとは、ひとりでなんとかする」


 ハヤトはうざったそうに左手を払う。

 カチっと音を立てて腕時計が反応すると通話はそれで終わった。


「あ……また言ってしまった」


 乱暴な失言だと自覚していたようで整った顔立ちのハヤトの表情がくもる。

 だが、それはほんのわずかな間だけのことだった。

 通行車両が皆無となっているゴールデンゲートブリッジ。

 そこに北側のマリン郡から、サンフランシスコ市街地目指し猛スピードで一台の高級車が侵入してくる。


「見つけた! わたしのたからもの!」


 数知れぬ自殺者には許されなかった高度からハヤトは恋人を待ち焦がれたように興奮して叫び、目に見えない複数の足場を蹴り地表に自ら飛び込んでゆく。


KGMケー・ジー・エムっ!」


 落下というか突進してゆくハヤトの左肩が動いた。

 それまで背中側に吊り下げられていた銀のハードケースの位置を、背中から脇の下の側にずらす。

 左手はハードケース自体を握って保持、さっきまで天頂を向いていた先端部分を腰の位置に合わせた。

 するとバネ仕掛けのようにケース先端が割れて何か飛び出してくる。

 刀――その柄までの部分と、かすかに見える白銀の刀身。

 鞘の見かけは異様だがそれは居合い――抜刀術の構えとして成立していた。


 次の瞬間、真夜中に鋭い金属音が走った。

 ハヤトは路上に悠然と着地していた。


「入間ナナミは返してもらうわよ」


 言いながらハヤトは白銀の兇器を銀のハードケース内に納刀した。

 どういう機構か不明だが銀色の長い箱が刀の鞘に相当し、ハヤトの意思に応じ右手で握る柄の部分を展開させる仕組みになっているようだった。




「な、なにこれ……」


 入間ナナミは絶句する。

 大昔の子供向けアニメさながら、きっちり後部座席側だけ切り取られた状態の高級車には二人の屈強な男が座っている。

 ナナミは彼らに左右をはさまれて座っていた。


 全員が信じられないといった驚き顔でハヤトを見つめている。

 切断された運転席側の車体が、アスファルトを削りながら無秩序に回転していたが、それも動きを止め物言わぬスクラップとなり停止した。


「武器を捨てろ!」


 動揺から立ち直った男たちは英語で叫び、背広の内側に隠していた拳銃を取り出して構える。

 しかし大久保ハヤトが右手の指と指との間に挟んでから投げつけた何かが彼らのそれ以上の行動を妨害した。


 悲鳴すら上げず男たちは立ち上がろうとした姿勢のまま動きを硬直させた。

 首筋にはハヤトが投げた木製の針――平たく言えば爪楊枝が刺さっている。


「聞こえなかった? こっちへ来て。その連中が領事館の人間というのはウソよ」


 いらだちさえ感じられる声音でハヤトは促す。

 だが修学旅行の最中に両親の交通事故を伝えられ、緊急帰国するつもりでいたナナミには、目の前の少女を信じる理由がなかった。


「こんなすごいことできるなんて……ハーメルン症候群の子?」


 それは、およそ十五年前から存在が知られるようになった、世界中のすべての人間が発症する可能性を持つ奇病の名だった。


「ええ、そうよ。この程度は子供だましの部類ね」


 ハヤトの返答にはわずかながら間があった。

 その刹那に垣間見えた表情は後ろめたさ。


「さあ、こっちにいらっしゃい」


 ハヤトは右手を伸ばしてもう一度促すがナナミは見知らぬ少女からの予想外の呼びかけに応じない。


「あたしんちお金持ちじゃないから誘拐しても身代金はもらえないよ」


 そう言って、ホノルルの日本領事館の職員という触れ込みで宿泊地のホテルを訪ねてきた男たちの肩を叩いた。

 つい数十分前に初めて会った他人だが引率の教師の信頼も勝ち得た存在だ。

 現地の日本領事館職員という肩書きと身分証の効果は大きい。


「田中さん、鈴木さん、逃げましょ?」


 だがナナミの左右に座っている精悍な男たちはまるで時が止まったかのように驚きの表情を浮かべたままで静止している。

 二人は凍り付いていた。

 呼吸音は聞こえたが眠っているも同然の静かなものだった。


「誰から逃げるというの?」


 焦れたようにナナミの前に進み出ながらハヤトが問う。


「あ、あなたからに決まってる! 擬力でテロとか誘拐とか、とにかく、たくさん悪いことやってるんでしょ!」

「……ひどい言われようね。決めつけは感心しないわ」


 二〇〇メートルを超える高度から足場もなしに無傷で駆け下りて、その動作に合わせ刀で堅牢な車体を分割するのは確かに超能力や異能のたぐいでしかない。そもそも車体の横幅より短い刀身で両断するなど、まともな方法では不可能。

 現代では、この手の特殊な異能は擬力と総称されている。


「わたしは――」


 ある言葉を口に出そうとしてハヤトは言いよどむ。

 その言葉を口にする資格が自分にないとの自責の念がそうさせた。


「誘拐とか内臓売るとか、そういう怖いことする気なんでしょ?」


 ナナミはこれまで出演したことがあるテレビドラマや映画由来の知識で反論する。


「逆よ。あなたがそういう目に遭わないように……そう、依頼を受けたの。女優としても売り出し始めた子役タレントさんが、無事に帰国するまで護衛して危害を加えようとする相手や組織があれば、すみやかに排除しろ、とね」


 とっさに口に出した言い訳にしては悪くないとハヤトは満足する。


「もし、そうなんだとしても、どうしてこんな乱暴なことするの!」


 ナナミの言い分は至極もっともだった。


「時間がないからよ。その男たちはどうせ、はした金で雇われた下っ端でしょうけど裏には、メサイア・プランの連中がいるもの」

「なにそれ? そもそもなんであたしが狙われるか、わかんない!」


 その質問はハヤトにとっては自明の理であり痛みを伴うものだった。


「あなたが五歳児だった頃、ハーメルン症候群になりかけだった子供と接触があった。当時は感染することなく済んだけれど、夕べ、あなたは覚醒してしまったからよ」


 ふう、とハヤトはため息をつく。

 日付が変わる前日の夕方、ハワイ修学旅行の旅程から特別に外出し、ナナミは戦前を舞台にしたテレビドラマの脇役としてドラマ収録をしていた。

 ヒロインの妹として姉をかばいテロの凶弾に倒れる一幕だった。

 その撮影自体は何もトラブルなく無事に終わっている。


「覚醒したって……まさか、あたしが?」

「わたしの目の前にいるのはあなただけよ。入間ナナミ」

「で、でもでも、前世の記憶とか、そういうの全然ないし二重人格みたいになってないし、そもそも擬力なんにもないし使えないよ?」


 ハーメルン症候群の発症者は例外なく異能あるいはそれに相当する超絶的な技巧や知識を獲得するが、それに伴い発症以前までとは異なる別人格と知識を後天的に得る。

 歴史上の偉人としての人生と経験であったり、まったく無名のまま世に埋もれていた在野の異才の場合もある。

 いずれにしても異なる人格と記憶との同居は発症者の精神を大きく失調させることに変わりはない。


 無邪気な幼児が、凶悪な殺人鬼としての前世とそれを再現する異能に覚醒した場合の悲劇は言うまでもないだろう。

 最悪の場合、この後天的に得た人格が身体の主導権を奪い、発症者は精神的には死も同義となる例も珍しくはないのだ。

 ナナミが言ったようにハーメルン症候群発症者=擬力の使い手=犯罪者やテロリストだという偏見は、その手の危険な発症者たちがこの十五年間に悪い意味で目立った結果だった。


「何事にも例外はあるわ。たまたまあなたが初めてハーメルン症候群の発症者の中で、前世抜きに異能にだけ覚醒したのかもしれないし」


 前世、前世とハヤトもナナミも当たり前のように言っているが、それが本当に誕生以前の別の人生だったかどうか、まだ厳密な検証は完了していない。

 ハーメルン症候群発症者が増加するにつれ、いわゆる俗語として定着している。


「五歳のときの……そのなりかけだった子供って……タマちゃん?」


 長い間もう口にすることもなくなって久しい、なつかしい名前が出た。

 ナナミの両親はタマちゃんとの思い出を塗り潰すかのように彼女を児童劇団に入れ、まずCMに出る子役タレントとして芸能界での経歴が築かれている。


「ねえ、タマちゃんのことを言ってるんだよね?」


 ハヤトの目線が所在なさげにナナミから反らされた。


「玖堂タマモのことね。ええ、そうよ。あなたにとっては、災いをもたらした疫病神ということになるわね」


 ナナミはハヤトからそう伝えられたことで、忘れ果てていたタマちゃんのフルネームをはっきり思い出していた。

 タマモ……極東の地での神話や伝承では、邪悪で危険な怪異として有名な九尾の狐が使ったことでも知られる魔性の女の名前だった。


「できるだけ、希望はかなえるわ。あなたを危険に巻き込んだ玖堂タマモには、それにふさわしいつぐないをさせるし」

「タマちゃんを知ってるの?」

「え、ええ。一応のところはね」


 ハヤトの言葉の歯切れが悪い。

 だがナナミは、そんなことに気付く余裕もなかった。


「わたしは……大久保ハヤトというの。歌舞伎や能の芸名みたいなものを襲名したから……戸籍名とは違うのだけれど……とにかくハヤトと呼んでくれて、かまわないわ」


 未練を断ち切るようにハヤトはそう名乗った。


「じゃ、じゃあ大久保さん! 悪い人じゃなくて、あたしを護衛するってなら、まずこの田中さんと鈴木さんをなんとかしてよ! 一時停止したままだよ!」

「心配ないわ。その二人にはメッセージを届けてもらう役目があるから生かしておいてあるの。首筋に打ち込んだ針が抜ける頃には目を覚ますはずよ」


 ハヤトに言われてナナミが男たちの首に注目する。

 そこには割り箸の袋に同封されていそうな爪楊枝が浅く刺さっていた。

 出血は、蚊に刺された直後と同等で致命傷には見えない。


「う、運転手の人は?」


 ハヤトの刀で両断され派手に転倒した運転席側にも、名前は知らないが領事館の者が座っていたことをナナミは思い出す。


「多少の打撲傷はあるでしょうけど問題ないわ」


 横転していた運転席側の残骸から黒服の男をぞんざいな扱いで引っ張り出し、路上に置いてからハヤトがそう説明した。

 ナナミも名前を確認していないその男は彼女が木製の針を打ち込むまでもなく気絶していた。


「殺す方が簡単だった。この連中は運が良かったということね」


 しれっと事もなげにハヤトはそう言うがナナミからすれば物騒な述懐だ。


「大久保さんって、あたしより年下に見えるけど……悪い人じゃないなら、どういう仕事してるか聞いていい?」


 ナナミは中学三年生。

 身長や見た目は日本人としては平均値に入っている標準的な姿。

 短めのくせっ毛で、明るく元気なおてんば娘という印象の外見だ。


 対してハヤトは古風なセーラー服の印象のせいで、やや大人びて見える。

 が、身長やその他の印象からすると、どう見ても中学一年生。

 もしかしたら小学五、六年生という感じだ。


「社長よ。この名前をもらったときから、ずっと」

「はあ? 社長って会社のいちばん偉い人の、そういう社長?」


 ナナミが不審に思うのも無理はない。

 アイドルや芸能人が広報活動で請け負う一日警察署長のたぐいならともかくとして、この大久保ハヤトという少女とは不釣り合いな職業だ。


「そういう社長よ。あなたが想像している通りでお飾りだから広報活動用の猫の駅長みたいなものね」


 ハヤトは自嘲気味に笑う。

 長い黒髪と白い肌の物憂げな美少女のそれは、ナナミが直面した非日常の光景に合致していたが、それだけではどこかさみしい気がした。


「な、なんの会社なのかな、そこは?」


 なんとかこの不思議な少女を素直に笑わせてみたいとナナミは思ってしまう。理由はわからないが、そうさせてみたいという気持ちが強くなっていた。


「そうね……解体業……のようなものかしら」


 考え事があるときは小首を傾げてしまうハヤト。

 ナナミは、同じような仕草をする知り合いがいたような気がしたが、それが誰だったのか、もう思い出せなくなっていた。


「これでよし、と」


 ハヤトはメモ用紙らしきものを取り出すと、それに何事か素早く書き込む。

 活動停止状態の田中と鈴木の左胸ポケットにそれぞれ押し込んでいた。


「そのメッセージ、なんて書いたの?」


 英語が苦手なナナミは遠目で見えた筆記体の文章を把握できない。


「ざまあみろ、と書いてやったわ。要約するとそんなところね」


 淡々と答えるその表情に変化はなかったが、ナナミにはハヤトが自慢げであるように思えた。それがおかしくてなんとなく彼女のことが好きになった。


 ハヤトが迎えに呼んだ垂直離着陸移動機(リフター)が夜空に姿を見せると同時に、海中から伸びてきた不気味な触手に貫かれ、撃ち落とされたのは、その数分後だった。

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