六章『六億二千万年前の遺産』2
ミランダ・バーネットは、バーネットの姓を与えられた他の姉妹たちと同様に、フランス北部の軍港都市シェルブール近郊で開発・育成された。
彼女たちアダリー型ヒューマニッカは、その左胸に搭載された光量子結晶体に宿る自我と意思を人間と近しい成長時間を経験することによって発達していく。
ヒューマニッカというカテゴリーに分類される先天的自律知性体の彼女たちは、人間と同様の社会性と肉体感覚を学ぶため、その精神と自我の発達に応じて幼児期から少女、成熟した女性への機体の換装さえ実施している。
ミランダが人間の幼児と同様だったその頃、彼女の姉たちはすでに、それぞれの配属先で活動を始めていて、たまの休暇に帰ってきては、ミランダに自慢話をしてくれた。
いちばん上の姉ミレーユはオーストラリアのエワルド商会という個人企業で社長秘書兼護衛を務め、たくさんの人形やお菓子をおみやげに持ち帰ってくれた。
ざっくばらんでおおざっぱだが、包容力たっぷりのミレーユは硬軟どちらもバランスが取れた理想的な長女で、ミランダは姉たちの中で、ミレーユに最も親しみを感じていた。
真ん中の姉のミシュリーヌは、フランス国家憲兵隊の配属となったが、そのひねくれた人格と高圧的な言動には問題があるようで評価は高くない。だが人間や社会を冷静に分析するその観察眼は鋭く、今でもミランダが人というものを図る指針となっている。
それになんだかんだ言ってもミシュリーヌはほめられると調子になって機嫌が良くなり、ミランダの宿題を偉そうな物言いで手伝ってくれるし、食堂でのつまみ食いや街での買い物や買い食いにも良く連れ出してくれた。
不器用ながらも妹であるミランダのために、と、あれこれ気を配ってくれるのがうれしくて、好きだった。
下の姉のミシュレットは、VA源動基とフェッセンデン疑似粒子の世界唯一の供給国である中央アジアのバギルスタン王国で研究職に就いている。
物静かで無口だが何かと面倒を見てくれたミシュレットをミランダは慕った。
ミランダの公的な記録上の姉、同系機は上記3名のみだが、非公式な内々での関係性においての『お姉さま』が存在する。
それがミシェル・バーネットという彼女たちヒューマニッカにとっての母親代わりであり教師でもある、半機械半有機ボディのサイボークだった。
厳密にはミシェルはサイボーグでなくヒューマニッカではあるのだが、1999年の時点では、その事実はカミーユ・デシャルムとカトリーヌ・フォルタンにしか打ち明けられていないので、ミランダはミシェルを、もと人間だと見なしていた。
とはいえ、四姉妹の全員にとって、そしてミランダにとってもミシェルという存在は、赤子の頃からかわいがられた飼い犬や飼い猫が無条件に飼い主を慕うようになついていた相手だった。
「降伏勧告をしたのは、ミシェルお姉さまから受けた恩義を返すためでした。ですが拒絶した以上、もうあなた完全な敵……」
メイド服姿のままで仮想空間に立つミランダは、フランス海軍の制服をまとったミシェルと対峙していた。
「わたしたちの本当の敵は〈年代記収穫者〉だけよ、ミランダ」
フランス領ギアナの外人部隊、そしてケルゲレンでのVA艦建造という激務にも匹敵する時間と労力を割いて育ててきた妹をミシェルも見据えた。
「あれはVA源動基と同じでこれからの世界と人類にとって必要な資源となるものです……時間稼ぎには付き合いません」
ミランダは右腕を掲げた。
暗黒の虚無と緑色胃のグリッドパターンだけが視覚化されたその仮装世界に、M240機関銃が出現し、両腕でそれを保持したミランダは躊躇なく姉を撃つ。
身体能力としては人間並みに出力が抑えられているミランダは、これが現実であれば持ち上げることさえ困難な重火器。
だが、それは電子戦における攻撃的なプログラムを擬似的に表現したものでしかないために、この仮想空間に限っては軽々と扱えている。
「アメリカ宇宙軍はヒューマニッカを備品として扱っているそうだけど……その服……ギルバート艦長の趣味かしら?」
ミシェルは不愉快そうに両腕を旨の前で組んでいたが、弾丸として表現される攻撃プログラム群は逆五芒星状の光の薄膜が瞬間的に明滅してすべて防いでいた。
「彼、離婚して奥さんと娘と別れたそうだけれど、代替品として、かわいがってもらったのね。女としての代替品? 娘として? それとも両方まとめて?」
「人間ッ! やっぱりあなたは人間よ! わたしやミレーユお姉ちゃんたちとは別で……間に合わせの代替品だと思ってるッ!」
深い感謝と愛情を抱くロデリック・ギルバートとの関係を下品な中傷で汚されたことでミランダは激怒し、それが引き金となって彼女の足下が地割れのように崩れる。
「おまえはあの女に捨てられた……いや、失敗作、欠陥品として、ガラクタ同然のくず鉄として売り飛ばされたのだよ」
ミシェルからミランダを買い取って、アメリカ宇宙軍に転売したというジュゼッペ・バルサモという男は最初にそう告げた。
人間で言えば睡眠に相当する自己診断モードから目覚めたミランダを待っていたのはアメリカ宇宙軍でのVA艦制御機構開発・製造作業。
だがそれは人間と同様の言動や生活様式を基準としていた幼いミランダにとっては、人間の8歳児が不眠不休での労働を強いられるのに等しいものであり、結果としてその精神と機体性能は低下する一方となった。
ゆえにミランダは自分を捨てたミシェルを憎み、離ればなれとなり連絡も取れなくなった3人の姉たちを慕い、高度な計算装置件工業ロボットとして自分を虐待する人間すべてを憎悪した。
脱走や反抗はシェルブールにいた頃にはなかった制御装置によって、電場パルスで物理的なダメージを与える首輪という形で封じられた。
ミランダが心を許したのは奴隷状態の自分からその制御装置を取り外して、かつてのミシェルや3人の姉たちのように一個の人格として遇してくれた男ロデリック・ギルバートただひとりだけだった。
「人間の出来損ないのサイボーグのくせに……わたしたちをもてあそんで……売り飛ばして……挙げ句の果てに人類そのものへの反乱だなんてお笑いですよ。わたしがお葬式ごっこした時、怒ったことありましたよね? 今度はちゃんと、あなたを殺して正式なお葬式、出してあげます……ミシェルお姉さま!」
ミランダの足下から出現したそれは巨大な機械の手だった。
手から先の腕、そして機体全体も仮想空間を引き裂くようにして姿を見せた。
「これは……サロメさんが言っていた隠れ里のマグナキャリバー?」
数メートルだけ後退したミシェルは、全高30メートルを超える緑色の巨人と、その左肩に乗って自分を見下ろすミランダを見上げ、眉をひそめる。
「マシュー・ペリーのVA源動基の中では、これが生まれ出ようとしています……ここに作り出したのはそのデータを応用した影ですけどね。ところでシェルお姉さま……その背中に隠しているのはマリー・アントワネットのVA源動基へのアクセスルートなんでしょう? 通してよ?」
「力ずくでやってみればいいわミランダ。すぐにそれが無謀な挑戦だったと後悔するだけよ」
ミシェルは軍服の左肩から先の袖を右手で強引に引きちぎった。
腕と胴体部分に見えるパーティングラインは彼女が半機械半有機体であることの証明のひとつでもある。
「何の真似ですか?」
「聞き分けの悪い妹に、お説教とお仕置きをするだけよ……ついでに、あなたを苦しめているその悪い病気も治療してあげる!」
だがミシェルの左腕は次の瞬間、肩の部分ごと胴体から分離して落ちた。
一瞬、何か未知の攻撃プログラムでも展開してくるのかと警戒したミランダではあったが、単なる自滅行為だと知って安心する。
「ウィッチクラフト・デバイス起動」
ミシェルがそうつぶやくと、欠けた左腕に代わって、小柄な少女としての機体には、いびつで不釣り合いな大型の戦闘用アームが展開する。
あくまでこれも攻撃・防御プログラムを視覚化したものだ。
「へえ……ミシュリーヌお姉さまと同じ戦闘用アームが切り札だったんだ」
「いいえ、それは誤解よミランダ。これは戦闘の余波から大切な友達を守るための盾で、わたしの切り札はこの子」
「ッ? いつの間に?」
ミシェルの隣には、奇妙な服装をまとった赤い髪の少女が立っていた。
その手には大久保ハヤトの愛剣である白銀のハードケースが握られていた。




