六章『六億二千万年前の遺産』1
ケルゲレン諸島と総称される島々の中で最大面積のラ・グランド・テール。
ポルトーフランセ基地は、元来、この島で気象観測基地として築かれたはずだった。 1999年、この島では、ある女性士官と彼女の私兵と化した者たちが、健全な指揮系統と規律を無視してフランス国民の財産を湯水のごとく蕩尽している。
よって、フランス海軍あらため統合ユーロ海軍はこの地を制圧し、犯罪者たちに公平な裁きを与え、フランス国民のみならず全人類の貴重な財産を保護する。
――というのが、カミーユ・デシャルム退役元帥を領袖として迎え入れたミシェル・バーネット特務少佐と彼女に忠実な兵隊ヤクザどもに与えられた罪状だった。
フランス領ギアナを拠点に活動していたという彼女の指揮する外人部隊とはデシャルムも多少の縁はあったが、1960年代の荒くれ者たちとはまた別な意味で、風変わりな軍人ばかりだと彼は当初、頭を抱えたものだ。
だがデシャルムはタヒチの海岸でミシェルから、知りたくもなかった世界の実相を、断片的ながら伝え聞いてしまっている。
やるしかないのだろうな、と戦闘指揮所の副長席で意識を失い人事不省に陥った彼女の黒髪を見つめ、決断した。
ミシェル・バーネットは敵艦との交戦開始直後、突如として意識を喪失している。
事前に、電子戦に入っている間は副長席から自分の身体に一切触れるなとの短い言葉がなければ軍医を呼ぶなり医務室に運ぶなりさせていた。
彼女が非人類の高度な知性体であり半有機・半機械の身体を持つヒューマニッカだとの事実を打ち明けたのはデシャルムと、もうひとりだけだった。
「管制員、フォルタン中尉だったな。敵艦との回線をつなげてくれ」
そのもうひとりであるという凛とした若い女性士官にデシャルムは命じる。
「降伏する、とか言いませんよね艦長?」
あからさまに不機嫌そうな返事が戻ってきた。
戦闘指揮所内の男女からの視線がそれに同調するように老軍人に突き刺さった。
マリー・アントワネットは艤装もままならぬ不完全な状態でポルトー・フランセの港湾施設を脱したが、その代償として多数の死傷者を出している。
強襲してきたのは統合ユーロ軍の特務艦艇と最新鋭のシルエットキャリバーである、フランス製の機体シュペル・ミラージュ十数機。
今もまだポルトーフランセ基地でこれらの敵と戦っているであろう大久保ハヤトの赤い機体が足止めしてくれなければ、この艦はとっくに撃沈されていたはずだ。
「安心したまえ逆だ。つないでくれ。バーネット嬢からVA源動基を使う艦艇は、相手が拒絶しない限り超光速通信が可能だと聞き及んでいる」
「その頼みの綱だったVA源動基も、どうかしちゃってるみたいですけどね。音声のみ受話する返答です。艦長席のスピーカーだけに音を絞りますか?」
器用に操作卓をいじりながら、ヘッドセットを頭に装着したフォルタンは、副長席のミシェルを心配そうに見ていた。
「必要ない。艦内すべてに私と敵艦との交信を聞かせてやれ」
政治家としても活動した経験があるデシャルムは、部下の人心を掌握するすべを心得ていた。
ひゅううっ、と、操舵手席に陣取る巨漢の黒人士官が口笛を吹いた。
「生きてアデリーランドまでたどり着けたらデシャルムさん、あんたに一杯おごる」
そう言ったのはどこか影のあるやせた中年男の砲雷長。
彼は兵装管制席に座っていた。
「そいつは楽しみだな。私はストリチナヤをチェイサーにしてテキーラを飲る主義だ。二杯おごってもらうぞ。おっと、バーネット嬢からは事が成ったあかつきには、世界一うまいカルヴァドスをもらう約束もあった。そろそろ真の実力を発揮するか」
戦闘指揮所内に笑いが起き、余裕が産まれる。
「敵艦から交信来ます。メインモニターに投影」
音声通信のみで、と注文を付けたはずだがそうなったのは敵艦側が映像を介しての接触を求めている、つまり撃沈するよりは降伏させ拿捕したい意図がある、とデシャルムは推測した。
「……こちらアメリカ宇宙軍所属VA艦マシュー・ペリー艦長ロデリック・ギルバート大佐だ。貴艦のVA源動基の状況は承知している。デシャルム元帥閣下には降伏をお勧めする」
戦闘指揮所前面に展開するメインスクリーンにはアメリカ海軍から宇宙軍に転属したのち、最新鋭のVA艦を預けられた英才として名高い男が立っていた。
そして、その傍らにはミシェル・バーネットよりはいくらか背丈は上だが、やはり、少女といっていい軍艦には不似合いなメイド服姿のミランダ・バーネットが立っていた。
「ミシェルお姉様はもう二度と目を覚ましません。お姉様の助力を期待しての時間稼ぎなど無駄です」
ミランダの目は虚ろだった。
「電子戦の相手は……あの子?」
カトリーヌ・フォルタンがそう断定したのは敬愛する上官が一度だけ、電子戦と並行して日常的な言動をやってのけた場に立ち会った経験があるからだった。
「ギルバート大佐。私の……いや我々の切り札はバーネット嬢だけではない。降伏勧告するのは私だ。12隻のVA艦のプロトタイプともいうべきこの艦には、公開されていない数多くの秘匿機能と秘匿兵器が存在する」
それはハッタリだった。
「なるほど。では少なくとも、このミランダが得意とするVA源動基への干渉を阻害する機能だけは搭載されていないとわかった」
デシャルムはそこで顔をしかめる。
だがそれは過剰な演技でもあった。
「そう思わせておいて裏をかくのが戦争というものさ、お若いの」
「やはり交渉は決裂ですね。それでは、せいぜいご健闘を」
「ごきげんよう、世界の敵のみなさま。ミシェルお姉様のついでに、あなた方のお葬式もしてあげましょう」
交信はそこで切れてメインスクリーンには拡大望遠された敵艦の姿が映る。
そこには黒曜石めいた輝きを放つ装甲をまとう、矢のような形の大型艦があった。
「さて諸君、私から作戦案があるのだが……どうだろう?」
ミシェルは頼りにならず、ハヤトの来援も期待はできない。
デシャルムに残されたのはバッテリーで作動し、通常兵装しか運用できない艤装途上で出航し、満足な補給の当てもないガラクタ同然のVA艦、性格と言動に難はあるが、それぞれの分野では超一流だとミシェルがお墨付きを与えた不良軍人たち、それと、無駄に長生きしてきたと自称するおのれの小賢しい悪知恵だけだった。




