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五章『ソードマスター・シルエット』5

 一面の銀世界が濃紺と灰色のシルエットキャリバーの周囲に広がっている。

 陸上競技の前屈姿勢に近い状態でその機体は擱座していた。

 機体表面のいくつかの部分が発光し、機体名と所属を示している。

 強襲揚陸艦エルドラド所属ペガサス1――判別できるのはそこまで。

 高速機動を可能とする後背推進翼も半分折れた現状では痛々しい。


「くそッ! こんなところで!」


 胸部装甲がパージされて雪煙を上げる。

 続いて、気密処理が施されたパイロットスーツとヘルメットを装着した若い男が

雪原に転がり落ちる。

 時刻は22時を回っているが空は黒く染まっていない――白夜だ。

 西暦1999年12月。

 のちにアデリーランド攻防戦と呼ばれる、人類初の大規模なシルエットキャリバーを運用する勢力間での戦闘直後だった。

 そしてこれは公式記録における南極大陸での初の戦争行為でもあった。

 日系4世ブラジル人の青年トオル・キド曹長は卓越した戦闘能力を発揮して、まさに獅子奮迅の活躍を果たしたが帰投直前のトラブルで部隊とはぐれていた。


「エルドラドっ、こちらペガサス1だ! 応答してくれ!」


 まだ二十歳を過ぎて日も浅いキド曹長は身体を起こすと、左腕の手首に巻いている、ひどく大きな腕輪上の端末に呼びかけるが雑音しか帰ってこない。

 エルドラドはブラジル海軍が保有するシルエットキャリバー運用空母としての側面が強いVA艦であり、彼の部隊が所属する母艦の名だ。

 この当時12隻しか建造されていないVA艦の中では最も戦闘能力に欠けている。

 だがアメリカ合衆国、不完全ながら発足した統合ユーロ、ソヴィエト=ロシア連邦、そして清朝を前身として中国大陸の大半を領するしん帝国といった大国のVA艦に追い回され続け、激戦に次ぐ激戦で疲弊の極みにあるマリー・アントワネットにとっては最初の友軍となってくれた心強い同盟者であり、補給物資の観点からも欠かせない存在となっていた。


「やはり通信妨害されているのか……それとも、アメリカ戦略機甲軍ではなくて……デシャルム艦長が言っていた例の〈収穫者〉の干渉能力というやつなのか?」


 天敵ともいうべき脅威の存在を複数の大国が隠蔽しているのは、それがもたらす

莫大な利益を失いたくないためでもあるが、すでに稼働させてしまった危険極まりないその成果物を封印することができなくなっているからでもある。

 アルトゥール・ライヘンバッハが復元解析したVA源動基は複製ができない。

 シルエットキャリバーも本来の性能を発揮するには母艦が供給する無線充電が不可欠であり、その範囲外に出てしまえばバッテリー残量を気にしながら使うしかない。

 だが〈収穫者〉から採取した細胞もしくはその不定形の肉体そのものはいくらでも再生産することが可能だった。


「どうする?」


 キド曹長は自問自答する。

 すでにバッテリー残量は残り少ない。

 サバイバルパックはあるが、それは南極圏での生存を助けるには心細い代物。

 再度、救難信号を発振すれば後退したソヴィエト軍の哨戒機に探知される危険性もある。


「アデリーランド基地まではここから20キロ……」


 気密が保たれているパイロットスーツとヘルメットだけを頼りに雪上装備なしで味方勢力圏に徒歩で戻ることを選んだ彼はサバイバルパックを背中に背負い、コクピットの戦闘データを左腕の手首に巻いた大型の端末に複製する。


「すまないペガサス。必ず回収してもらう。それまで僕を待っていてくれ」


 折れた翼を強風に揺られながら愛機は静かにその主が去っていくのを見送る。

 ひざ近くまである雪をかき分けながらの絶望的な行進が始まった。

 白い闇のような世界をトオル・キドは歩み続ける。

 だが体温を維持してくれるパイロットスーツとヘルメットの機能も、急速なバッテリー消耗で次第に無意味になりつつあった。


「死んでたまるか……まだセアラを抱いてもないのに……こんなところで!」


 もはや邪魔な外皮でしかなくなったヘルメットを外して放り投げた時点で彼は心身の疲労で正気を失いかけていた。

 婚約者セアラの幻影を追いかけるようにして彼は感覚が消えかけた足を動かそうとするが、一歩だけ前に進んだと思ったところで前のめりに倒れ伏す。

 トオル・キドの意識はそこで途絶え――虚無の中に落ち込む。

 次に彼が意識を回復した時、そこには複数の人間の気配があった。

 敵か味方かわからないが、自分は救助されたらしいと察して、目を閉じたまま状況を探ろうとする。


「おきたみたい」


 それは戦場には似つかわしくない子供の声だった。


「ああ、タヌキ寝入りしてこっちの様子を観察してるみてーだな。おっかねえ」


 もうひとりの声は男……変声期を経てさほど経ってはいない少年のものだ。


「安心しなトオル・キド大尉。ここはアデリーランド基地の医務室だ」


 そう言われてから初めて彼は目を開けた。

 ベッド上に横たわっていて、手当を受けた後らしい。


「戦死して二階級特進しても大尉には届かない。僕は曹長待遇で現地任官された、もと民間人なんだしね」


 士官としての教育を受けずに同様の務めを果たさざるを得ないのがキド曹長の現状ではある。


「いずれ大尉になる。もっとも大尉どまりだけどな。本来ならもっと出世してもいいはずだと俺も思う」


 軽口で応じたのは見たところ15、6歳の少年だった。

 軍服かとも思ったが少年のそれは、ブラジルに移民した祖先の写真で見たことがある日本の学生が着る詰め襟の黒い学生服だった。


「きみは預言者かい? それとも最近ウワサのハーメルン症候群の発症者か?」


 もうひとりこの場にいる幼い少女を見てキド曹長は少年に問いかけた。


「俺はただのケンカ屋だ。売られたケンカを買って、それでここにいる」


 キド曹長からの視線を避けて、その幼女が少年の背中に隠れてしまう。


「心配すんなサロメ。このおっさんはしばらく凍傷の治療で何もできねーからよ」


 サロメと呼ばれた幼児は、その特徴的な耳、そしてスカートの下から伸びている尻尾を不安げに揺らしながら少年の足にしがみつく。

 トオル・キドも彼女がタイプBという悪意ある俗称で差別される危険な古代種族だと見た目でわかってはいた。


「……僕はまだ20歳を過ぎたばかりだ」

「悪い悪い、ここでは、まだ、そうなんだよな」

「僕が認識番号を言うまでは、そちらが名乗るつもりはないと解釈していいか?」

「必要ない。あんたはトオル・キド。エルドラド、いや世界最高のシルエットキャリバー乗りだ。ただ、サロメに礼を言ってやってくれ。こいつがいなければ、あんたを探すのにもっと時間がかかった」

「ありがとうサロメ。きみのおかけで命を拾ったらしい。戦争が終わったらお礼に妻のアップルパイをごちそうする」


 キド曹長は会釈をして実現するかどうか不明瞭な約束をした。

 セアラの料理の腕前は芳しくないが、それまでには上達するだろうと踏んだのだ。


「……サロメは木イチゴのパイのほうがすき」


 サロメが少年の後ろからひょいっと出てきてくれた。


「わかった。木イチゴのパイにしよう。それでサロメ、そこにいるきみの騎士ナイトの名前を僕に教えてもらっていいかい?」


 するとサロメは、いいの? と許可を求めるように少年を見上げた。


「……大久保ハヤトだ。たぶん、あんたとは長い付き合いになる」


 小柄な黒髪の少年はサロメの頭をなでながら、そう答えるのだった。


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