八章『この世の彼方の夢海』14
赤の女王の機体は、空中に浮遊したままかろうじてその形状を留めていたが、コクピットから上に位置する上半身は消し飛んでいる。
「……ハヤト。ほんとに来たのね」
入間ナナミが持ってきた幼児向け雑誌で見た魔法少女アニメのドレスを模した高次元波動変換想衣をまとう五歳児は、目の前に立つ少年の名をつぶやく。
体力も霊力もほとんど尽きているタマモは、なんとか顔を上げて口を開くことだけはできた。
「約束しただろタマ? おまえがそうしろってお願いしてくれるなら、俺はたいていの雑用は手早く簡単に片付けてやれるって。おまえがそういう風に育てたってこともあるけどな」
ハヤトは白銀のハードケースに納刀したKGMを強引にタマモへ手渡した。
「……さて、ここから先は、そいつがタマを守ってくれるから安心しろ。俺の務めはこれで終わりらしい。この時と場が俺の死に場所だっていう話は正解だったの……かもな」
黒い学生服の赤い髪が変化していく――赤から黒へ。
同時に、それまで増幅されていた彼の霊力が極端に低下する。
消し飛んだコクピットハッチの前で少年は、あやうく倒れかけたが、なんとかバランスを保って姿勢をまっすぐに戻す。
「元気でやれよタマ。さっきも言ったけど、おまえのお父さんとお母さんは前世がミミズだろうがバッタだろうが、おまえのことをかわいがってくれる、そういうバカップルだ。そのうち生まれてくる弟や妹の面倒はよろしく頼む」
そう言って大久保ハヤトは玖堂タマモに背を向けた。
「どこに行くのハヤト? わたしを守ってくれたなら、きちんと最後まで責任を取りなさいよ! もうすぐお父さんが来るなら、ちゃんと会って、お嫁さんにしたいですって、あいさつしなさいよ!」
「そいつはお断りだ。藤原ヒロミって男には会いたくない。説明するのが面倒だ」
「だらしないのね! いいわ、あなたが五歳児のわたしに夢中で特殊な性的指向の持ち主だということは秘密にしておいてあげる。だから戻ってきなさいハヤト!」
「戻るさ……すぐに会えるんだから。おまえが日本に帰国したら、すぐ会える。そこで俺は待ってる」
「ハヤト?」
「また会おうなタマ」
そう行ってハヤトは虚空によろよろと足を進め、タマモの視界から消え去った。
空間転移の兆候は一切感じられなかったが、数分前までのマグナキャリバー対マグナキャリバー、そして生身でのマグナキャリバーとの戦闘という超人的な身体能力を目にしていた彼女は、それが単なる疲労による転倒と落下で、彼が直下に生じているマグマ溜まりに消え去ったなどとは夢にも思わなかった。
「待ってハヤト……行かないでイサミっ!」
過去を夢として見ていたタマモは、今現在の能力と知識でハヤトの落下が何を意味するのか、そして誰ななのかをわかってしまったからこそ、そう叫んで身を乗り出して手を伸ばす。
だが、ハヤトの腕をつかむことはできないし、彼が振り返ることもない。
「ハヤトーっ!」
タマモはマーズ・フォリナーのコクピットでそう叫びながら意識を回復させた。
着衣は馴染み深いセーラー服に戻っている。
「おかえりタマちゃん」
「おかえりー」
後部座席からサロメが、左隣からナナミが顔を寄せてくる。
「ただいま……イシスさんは?」
同じセーラー服を着ていた獣人種の女の姿はなかった。
すると、メインスクリーンにサブウインドウが生成されて、そこに獅子の耳を持つ娘の姿が映る。
マーズ・フォリナーが彼女の意思に応えるように通信回線を開いてくれていた。
『霊結晶のリミッターは強固に施されてはおるが、万が一ということもあるからのう。念のために獅子王との融合を解いてもらい、わしはこちらの操縦席に移らせてもらった。ハヤトが戻るまでは、おぬしがその機体の主となったのじゃ』
「かりそめの、でしょうけれどね。でもそれはKGMだって同じことですから」
補足説明するようにベノサブウインドウが展開して、獅子王に騎乗する形でサンフランシスコ上空を飛翔するマーズ・フォリナーの映像が複数の異なる角度で映し出される。
マーズ・フォリナーはグルーム・レイク基地に出現した時点の10メートル前後の白銀の機体に戻っていた。だからその胸には獅子王の雄々しい姿は宿っていない。
「イシスとシシオーをたすけるまえのかたちにもどってる!」
「えっと……男の子向けのロボットアニメみたいに、合体してからまた分離してるってことかな?」
「イシスさん、わたしハヤトのところに行きたいの。接近してくる部隊はお願いします」
ナナミとサロメには応じず、タマモは通信先のイシスを見て頭を下げる。
『300秒じゃ。マーズ・フォリナーがおぬしにすべての制御を預けて保つのはそれが限界だと伝えるようにほざきおった。それをゆめゆめ忘れぬようにな』
「はいっ!」
獅子王の背から白銀の戦士が飛び跳ねて離脱していく。
「見たくはないものを見てしまったのう……あれがハヤトのさだめ……いや、その因果とて、絶対のものではないと……せめて今はそう信じようではないか」
タマモの意識と部分的に同期してしまったことで、シュトレゴイカバールでの結末を垣間見てしまったイシスは、獅子王の背中の上に立ったまま、飛び去っていくマーズ・フォリナーを見つめるのだった。




