八章『この世の彼方の夢海』13
「いいだろう。その大久保ハヤトという名にかけて、あんたの全力でかかってこい」
マーズ・フォリナーは軽く腰を下げ、右腕を天に掲げるように示すと、そこに霊力を集中させた。
「この拳を喰らったら、あんたはコクピットに戻る。俺はイサミのために上空で周回して待機を続けさせてもらう」
マーズ・フォリナーは眼の前のタマモにではなく、どこか遠くから聞こえる何かに対して不快そうに眉をしかめた。タマモには彼にとってこの戦いを早く終わらせる理由ができたのだろうと推測できたが、深くは追求しない。
「つまり、わたしがそれを凌ぐなり、かわすなりして、あなたに一撃を与えたら勝ちということね」
タマモは両手で握るKGMを大きく頭上に掲げた。
高次元波動変換想衣の胸元に灯る混沌の霊結晶の輝きが増す。
それは黒髪の少女の全身を包むオーラとなって広がり、KGMの刀身に注がれていく。
「万が一にもありえんが、もし実現したら、妥協して通常形態でのコントロールはくれてやる」
「だめよ。一切合切すべて預けてもらうわ。イサミをコクピットに連れ戻すまでの間だけは」
「安心しろ。イサミは必ずあんたのところへ帰る。因果が破れようが世界が書き換えられようが、筋金入りのお姉ちゃん大好きな弟だからな」
「そういうセリフは、イサミではなくて、わたしたちの父親の真似よね?」
「いいや、あんたの知らない宮川イサミの再現だ。そもそも、今のあんたが知っているイサミは低学年のちびっ子だろう」
その言葉にタマモは、少し前にイシスが口にした意味深な言葉を思い起こす。
『そもそも因果など破れている』という発言だったはず。
面影があるとはいえ、KGMを手にしているからとはいえ、あの少年をイサミだと断じることができたのかを。
それはイサミが……さっき会ったイサミが……イスタンブールからシュトレゴイカバールまで五歳児だったわたしを守ってくれた大久保ハヤト――あの人そのものだったから……まだあれを経験してはいないようだけれど……。
でも、そもそも……わたしがあの人に出会っていなければ……マグナキャリバーに囚われたまま死んでいたら……半年前のイサミは誰が守るの?
これこそが因果など破れているという……そういう意味?
「ええい、もうやめよ! こんなことをしている場合か! すぐそばにうるさいカトンボどもが迫っているのじゃぞ!」
タマモの心のうちの葛藤をさえぎるように、獅子王の傍らに出現したイシスが叫ぶ。
さっきのマーズ・フォリナーの不快そうな顔の理由はそれでタマモにも完全に理解できた。
マグナキャリバーが彼女の愛機を取り込んでいるという前提もあるとはいえ、意識だけをこの仮想領域に投射してのける技量に感心したのはその後でだった。
「無粋な真似はするなイシス。これはようやく巡り会えた俺と姉さんの乗り手との勝負だ」
「そういうことだからあなたは立会人ということで見守っていて」
期せずしてタマモとマーズ・フォリナーは、争いをやめろと説くイシスを拒んだ。
「では、早々に勝敗を決するがいい! イチャイチャとしゃべくっているのはやめよ!」
愚痴めいたイシスの怒号が合図となって二人は正面に突進した。
「玖堂流廃刃剣・金剛破あっ!」
大上段から振り下ろされた刀身は、接触した空間そのものを振動破砕せしめる力場をまとっている。
生身の相手ではなく古代トゥーレの遺物を排除駆逐するために編み出された剣技ならではの技だ。
「天尽夢想流・断空掌ッ!」
それに対する拳は金剛破の力場にふれる直前に五指を開いて、そこから高圧縮した霊力の波動を爆発的に放出する。
「マーズ・フォリナーめ断空掌で金剛破の力場を相殺しおったか……」
もはや観戦することしかできなくなったイシスは二人の攻防に注目していた。
「じゃが、まだKGMにはタマモが霊結晶から注ぎ込んだ霊力が残っておる。先制の一撃で勝敗が決するのであればこれはタマモの――」
イシスの言葉を裏打ちするように、タマモはその勢いのまま霊力を注ぎ込んだ一刀で打ち掛かる。
しかし、その刀身は、人間の腕ではない拳によって握り止められていた。
「イサミならこういう時は真剣白刃取り、とか言うだろうな」
マーズ・フォリナーの両腕は、宮川イサミの姿のままで、肘から先だけはマグナキャリバーのそれに変化していた。
「くっ……この重さ……見た目と違って実物と同じ質量なの?」
再び、タマモの胸元で混沌の霊結晶が激しく輝く。
「勝負ありだ。アッシュールの縁者の転生体とはいえ、人の身でよくやったと褒めてやる。ここであきらめて剣を引け玖堂タマモ」
マーズ・フォリナーは皮肉でもなく純粋に褒め称えていた。
そのまま無言で力比べを続けていれば、彼の言葉通りにタマモはあきらめていたかもしれない。
「イサミの剣であり鎧たる俺が主を守り、導く。後は任せておけ。悪いようにはしない――む?」
「あなた……なんにもわかってない!」
タマモが振り下ろそうとしている力が、じりじりと強まっていた。
混沌の霊結晶の輝きは爆発しそうな勢いだった。
タマモに供給する霊力増幅の限界を越えようとしていた。
「あの子を……イサミを迎えに行くのは……わたし……お姉ちゃんなんだからっ!」
「よせ! いくらここがイメージで構成した我が領域でも、無秩序に混沌の霊玉を暴走させるとその魂と身体が砕けるぞ!」
「無秩序じゃないわ! フェザー・シュバリエっ! 多重想衣っ!」
タマモの姿が変わっていた。
魔法少女を思わせるそのドレスのさらに上に加わったのは、彼女の愛機となった復元級シルエットキャリバーのそれを人間サイズの装甲として意匠したものだった。
「なん……だとっ?」
フェザー・シュバリエの黒い翼が光の粒を生み出して前進する力を作り、それを御すタマモはKGMを怒涛の勢いで押し込んでいき、体当たりも同然にマーズ・フォリナーを文字通りに吹き飛ばしていた。
「タマモ! 早うそれを解け! 取り込まれるぞ!」
両腕以外はイサミの姿をしたマーズ・フォリナーが、後背にある朽ちた機体に激突したことには目もくれず、イシスは獅子王と共に少女へ駆け寄る。
「はあ……はあ……へ、平気……わたし……イサミのお姉ちゃん……だもの……まだ180秒は過ぎて……ないし……」
息も絶え絶えにタマモは余裕ぶって答えたつもりだったが、すぐに多重想衣は解除され、それどころか高次元波動変換想衣すらも消え、平常時の古風なセーラー服に戻っていた。




