八章『この世の彼方の夢海』6
西暦2000年も終わろうかとする時期にアメリカ合衆国は『大閉鎖』と称する国防措置を発動させた。
第三次大戦の間に布告された戒厳令によって、合衆国戦略機甲軍による軍政が敷かれ続けている。
いわゆる人種差別的な政策やそれを推奨する風潮が産まれたのは、世界から切り離されてからのことである。
2025年となった今現在、かつての自由と平等があったアメリカ合衆国を知る者は減少する一方だ。
外の世界との交流を立たれたサンフランシスコもまた、そうだった。
「戦争さえなきゃあ……俺ァ……金持ちのままでいられたんだ」
賄賂で警官たちから黙認されている非合法の酒場。
薄暗い照明が点滅する店の軒先で、もとIT企業の経営者だった褐色の肌の老人がぼやく。
ウイスキーのボトルを直接、あおっていた。
「……それが……あんな時代遅れの差別主義者どもが大手を振ってクーデターなんか起こして……自由の国アメリカがなんでこんなことに……くそッ!」
直後、鼓膜を大きく震わす破裂音が聞こえて、老人は自分がボトルを床に落として割ってしまったのかと勘違いしてしまう。
「表で……また白人キリスト教徒どもの浄化とやらか……」
自分が預かるここは安全が確保されていることを思い出して、ほっとする。
野次馬気分で外に出て、巻き添えになるのはごめんだとばかりに席を立とうともしない。
だが、そんな日和見主義をあざ笑うかのように安普請の壁が吹き飛んでトラブルの種が舞い込んだ。
「な、なんだァ?」
転がり込んできたそれは大柄で屈強な体躯を誇る若い白人の男だった。
黒革のジャケットやズボンを金属でゴテゴテと装飾した服装。
近隣で有色人種の少女を乱暴したり、男児を半殺しすることで有名な良きアメリカ人として有名な不良集団のリーダーだ。
「ふ、ふざけやがってェ……東洋人の小僧っ子ふぜいがァ!」
全身打撲と何箇所かの骨折がもたらす痛みに耐え、立ち上がった男は腰のホルスターから取り出しす。
357マグナム弾を使用するデザート・イーグルは軍政下にあるアメリカ合衆国において民間人が所有する火器としては最強格にある。
「くたばれ黄色い猿っ!」
派手な射撃音が続いた。
酒場の主である老人はウイスキーボトルを握ったまま、しゃがみ込んで身を隠す。
「威力は大きくても狙いがブレブレだぜ白ブタ。いや、ブタに失礼だな。てめえみてーな弱い者いじめして大喜びするやつと同じにされたら」
教会で唯一神の教えを説く神父のそれに似た黒い服の少年――宮川イサミがゆっくりとした歩調で近づいてくる。
「う、動いてねえのに……当たらない? こいつ化物……生物兵器タイプBかっ?」
「動いてるさ。あんたの身体と同じでその目もウスノロらしいな」
弾倉と薬室内のすべての弾丸を撃ち尽くしたことに気付いた男は黒い死神に戦慄する。
仲間たちと楽しく、黄色い猿や黒い奴隷たちを狩って遊んでいたところに、この少年が突如として舞い降りて、自分たちをあっという間に制圧してしまったのだ。
「悪魔よ去れええええええっ!」
幼児の胴体もありそうな豪腕が拳銃を握りしめたままでイサミに襲いかかる。
しかし、数えきれない暴力を振るってきたその血塗られた拳は、イサミが突き出した人差し指ひとつだけで、ぴたりと動きを止めてしまった。
「な、なんで……なんでこんなチビガキの指に……俺の全力のパンチがっ?」
「全力? これがかよ?」
イサミは冷たい視線で男をあざ笑うと、その指を引いた。
「うおおおっ?」
突進した勢いを受け止めていたイサミの指が引いたこと、男は前のめりになって倒れそうになる。
「てめーはさっき、ちびっ子の腕を潰してたな。最低でもその分の報いは受けてもらう」
イサミは男の手首をつかんで、その転倒に対してさらにひねりと加速を追加して投げ飛ばす。
「のおおおおおおおおおっ!」
すると、ありえない荷重によって、その右腕は完全にねじり切られた。
厳密に右肩から先は切断されてはいないものの、骨も神経組織も含めて、完全に破壊されたのだった。
あまりの激痛に男は失神して意識を喪失している。
「か、カラテ使い……いやニンジャか?」
インド人の老店主が目を見張ってつぶやく。
現実逃避のための酔いは覚めていた。
「ええと……こういう時は……うちの母親とくるみん先生はなんて言うんだったか……ああ、そうそう、汚物は消毒だ、だったっけ?」
地表に降下後、手当たり次第に目に入った白人キリスト教徒の蛮行に干渉して暴れまわっていたイサミは、そろそろ小腹が空いて、何か飲み物も欲しいと思い始めていた。




