外山
気がつくと、僕は大学のサークル室に突っ立っていた。
「……あれ?」
「あら。ムっくんじゃない。久々ー」
そしていつの間にか、目の前には、音霧先輩がいた。
「え、あ、はい……ご無沙汰しております」
訳がわからないが、とりあえず挨拶を返してみる。
「あはは。『ご無沙汰』って! ムっくんったら、すっかりおじさんねぇ」
「いや、はは。先輩は全くお変わりないようで……」
「そりゃ、お変わりないわよぉ。だって私、とっくに死人だし? 年取らないし?」
「し、にん?」
ああ、そうだ。先輩は卒業直前に交通事故で亡くなったのだった。
あの頃、僕はソトヤマスター全盛期で無茶苦茶忙しく、葬儀にすら参加できなかった。
「……じゃあ、僕はひょっとして」
何故か頭がボンヤリしており、直前まで何をしていたかよく思い出せない。
だけどともかく、どうやら僕は、死んでしまったらしい。
「はあぁぁー……」
「どしたのムっくん、ため息なんかついて」
「先輩。やっぱり僕は先輩の名づけてくれた通り、ムスカリ的な人生でしたよ」
「うん? どういうこと?」
「僕の人生、最後まで希望と失望の繰り返しでした。最近、ようやく人生に希望が持ててきていたところだったのに……」
「ふうん。まあ、人生なんて基本的に理不尽なものよねぇ」
「え、ええ……」
死人が言うと説得力が違う。
「でもさぁ、ムっくん。昔から思ってたけど、君、基本的にネガティブ思考だよねぇ」
「そ、そうですかね……」
「うん。あとさぁ、周りの目とか評価とか気にし過ぎだと思うよぉ? ほら、あのオモチャの、何だっけ? ソトヤマン? の時だってさぁ」
「ソトヤマスター、ですよ!」
「全然違うキャラを演じていたでしょぉ? テレビで観てて、ムっちゃん無理してるなぁ、大丈夫かなぁ、なんて心配してたんだよ?」
「え……」
「まあ、私はそれからすぐに死んじゃったんだけどねぇ」
あはは、と軽い感じで笑う先輩が笑う。
何でこの人に人望があったのかが、今なら少しだけ分かる気がする。
「今でもまだやってるの? ソトヤマン」
「あ、ええ。実は最近……って、ああっ!」
不意に思い出した――そうだ、サクラちゃん。
僕はさっきまで、サクラちゃんと公園で特訓をしていた。
そして……突然現れた女にバットで頭を殴られたのだ。あれはもしかして、例のオヤジ狩りだったのだろうか。
そうだとしたら、今までの被害者は全員中年男性だ。サクラちゃんが一緒にやられてしまったとは考えにくいが……
「あ、あの先輩! 僕が死んだ時に一緒にいた女の子がどうなったかとか、分かったりしませんかね?」
「んー? どれどれ?」
先輩が両手を双眼鏡に見立て、何もない空間を注視し始めた。
「あの、そんなんで分かるんですか?」
「まーねぇ……あら、女の子二人が言い争いしてるわ」
言い争い。相手が逆上したりしないだろうか。
「あのっ……どうにかなりませんか?」
「えー、そんな、私、そういう神的な存在じゃないしなぁ」
「で、でも……」
「ムスカが何とかしなよー」
「いや、だって、僕もう死んでいるんでしょう?」
「私だって死んでるもーん」
ああ、そうだ。先輩は基本的にはこういう感じの人だった。
「てゆーか、ムっくん、まだギリギリセーフかもよ」
「ど、どういうことですか?」
「なんてーか、半分だけ死んでるってーか。今ならまだ戻れる、的な?」
「ほ、本当ですか? 一体どうやって戻れば!?」
「分からんちん」
「まったく! 本っ当にいい加減な人だな、あなたはっ!」
「あは。そのツッコミ。昔のムっくんが戻ってきたぁ」
「いや、今はそれどころじゃ……」
「やっぱ、ムスカ大佐そっくりだよねぇ、口調とか」
「誰がムスカ大佐だ! …………って、はい?」
「昔は眼鏡で七三分けだったから、もっと似てたんだけどねぇ」
「あの……ムスカ大佐って、その……ジブリの?」
「そうだよぉ。だからムスカリってアダ名にしたんじゃーん。ムスカリ、ムスカり、ムスカ似」
「……花言葉に関係があったからじゃ?」
「あー私、花言葉って嫌いなのよねぇ。だって、あれってどこの誰が考えたのかよく分かんないじゃん。花自体は大好きなんだけど」
「『明日への希望』や『失望』を俺の中に見出したのでは??」
「あはは! なにそれー見出すとか! 面白ーい」
「…………マ ジ か よ ! !」
あまりの衝撃に思わず叫んだ瞬間、僕は公園にいた。
目を覚ました時、目の前ではオヤジ狩り女がサクラちゃんにバッドを振り下ろそうとしていた。僕の声に驚いたのか、こちらを向いて静止している。
僕は急いで立ち上がろうとする。が、強烈な目眩に襲われてしまった。身体が上手く動かない。頭がズキズキする。
女がバッドを振り上げたまま、こちらに向かって歩いてくる。標的を変更したらしい。
「マスター! 逃げてっ!!」
サクラちゃんが泣き叫ぶ。
確かにもう一度殴られたら、今度こそ間違いなく死ぬ。
だけど、女の子を置いて逃げるなんて選択肢がある筈もない。
――どうする。
その時、僕の手に何かが触れた。
「……やるしかない!」
僕は地面に転がっていた『愛機』を手にし、思い切り前に突き出した。
――ガキーンッ! と大きな衝撃音が鳴り響く。
バッドとヨーヨーが衝突した音だ。
「な、なによ、ソレ」
「今のは……トリックプレイ『アポロ13』だ!」
「はあ? フザケてんじゃ……」
チャンスだ。女が一瞬、隙を見せたのを僕は見逃さなかった。
「ちょ……何なのよ、一体!?」
「トリックプレイ『ループ&フープ』」
僕は手首のスナップを利用し、物凄い勢いでヨーヨーをグルグルと回転させた。
ケンヨーの代表的トリックプレイだ。
「くそっ! 近づけない」
「サクラちゃんっ! 今のうちに逃げろ!」
「……いえ、マスター! 私も!」
そう叫び、サクラちゃんが同じく『ループ&フープ』を繰り出す。
「お、おいおい!」
「何なのよっ! キモイッ! ふざけんなっ!」
女がデタラメにバッドを振り回し始めた。
「今だっ! トリックプレイ『スパイダースレッド』」
女の右手首にヨーヨー糸を巻きつけ、思い切り引っ張ると
「あっ! 痛いっ!!」
と悲痛な声が上がると同時に、バッドが地面に転がった。
「サクラちゃんっ!!」
「はいっ!!」
サクラちゃんがプレイを止め、落ちたバッドを回収してくれた。
「ふう……」
何とか危機は去った。彼女までプレイを始めた時は内心かなり焦ったけど、結果からすると逆に助かった。
急に大人しくなり、一言も発しなくなった女を尻目に、僕は自分のケータイを使い、警察と、一応救急車も呼んだ。
「マスター! 頭の怪我は大丈夫なんですか!?」
「あ、うん。相当痛むけど、どうやら血は止まったみたいだ。それにしてもサクラちゃん……君、無茶するね」
「マスター程じゃないですよ!」
「……は、はは、あははははっ!」
突然、女が爆笑し始めた。
「あはっ、な、なによ、あんたら、ひょ、ひょっとして、そのオモチャで遊んでいたわけ? こ、こんな夜の公園で?? あははははっ! ……はーあ、バカバカしい」
「マサ……」
「……こんなおっさんもいるのね」
ボソリと呟いた女の表情は、どこか憑き物が落ちたように見えた。
オヤジ狩り女は無事、警察に連行された。
やってきた警察にはかなり訝しげな目で見られてしまった。僕が女子高生と良からぬことをしていたと疑われたのだろう。けれど、その後やってきた救急車に乗せられ、そのまま入院することになってしまったので、今のところはお咎め無しだ。
だけどもう、あの公園は利用できないな。
入院して三日目。病室で暇を持て余していると、サクラちゃんがお見舞いに来てくれた。
「マスター、体調はどうですか?」
「ああ、おかげさまで絶好調だよ」
「ふふっ。マスターが頑丈で良かったです」
「うん……」
死にかけた時、あれがあの世だったのか、それとも単なる夢だったのかは分からないけど、先輩が言ってくれた言葉を僕は思い出していた。
『周りの目とか評価とか気にし過ぎだと思うよぉ?』
確かに僕にはそういう節がある。
先輩から見て僕が『ムスカリ』ならば、希望と失望を繰り返すような人間に見えるのだろうと、勝手に思い込んでいた。でも実際には先輩はそんなこと全く考えもしていなかった。あれが単なる夢だとしても、ホンモノの先輩もきっとそうだったろうと、今なら確信できる。そもそもあんなキャラクターの先輩が、そんな深刻なあだ名を付けるわけがなかったのだ。
一方、僕は『ソトヤマスター』としての自分にも拘っていた。かつての栄光をいつまでも引きずり、『あの自分』じゃないと価値がないと決めつけていた。結局のところ僕は、周りの目を気にしながらも、その実、自分のことしか考えていないような人間だったというわけだ。だから、先輩の真意にもサクラちゃんの抱える悩みにも気づくことが出来なかったのだ。
「あの、マスター、どうしました?」
「あ、いや、ちょっと考え事を……」
「もー、折角来てあげたんですから、私と会話してくださいよ!」
「ごめん、ごめん」
ぷーっと頬を膨らまして、怒ったフリをするサクラちゃんの顔を改めて眺めてみる。
彼女は可愛らしく、素直で、真面目で、とてもいい子だ。
だけどこんな子が学校でイジメにあっているという。
少しでも力になってあげたい。守ってやりたい。
「マスター、退院したら、またケンヨーを教えて下さいよ? ああ、でもあの公園はもう止めた方がいいですかね? どこか別の……」
「……あのさ、サクラちゃん。僕はもう、マスターじゃないんだ」
「え……?」
「いくら、緊急時だったとはいえ、僕はケンヨーを人に向けた。マスターなら絶対にやってはいけないルール違反だ」
こんなのは、ただの方便だ。僕はそこまで高潔な人間じゃない。
「だから、僕は、あの夜に『マスター』は死んだのだ、と思っている」
「そんな……」
「だからさ。これからは、マスターではなく、『只のケンヨー好きなおっさん』として君と接したいんだ」
「…………」
こんなのは独りよがりな自己満足にしか過ぎないだろう。
というか、サクラちゃんにとっては最初から僕なんて『只のケンヨー好きなおっさん』だっただろうし。
だけどそれでも僕は、『外山星路』として他人ときちんと向き合えるようになりたいと思ったのだ。
サクラちゃんは少しだけ考える素振りを見せ
「何となくですが、なんか、分かる気がします」
と呟いた。
「ありがとう。それじゃ改めて自己紹介するね。僕の名前は……」
「外山星路さん、ですよね?」
「え! 何で知ってるの!?」
「いや、だって、病室のドアに書いてありましたから」
「あ、ああ……なるほど」
ネット上にアップされている僕のクソコラ画像でも見られたのかと思って焦った。
いや、でもきっと彼女なら、例え見てしまったところで、今と変わらず接してくれるだろう……多分。
「あの、実は私もマスタ……外山さんに伝えたいことがあったんです」
「あ、ひょっとして、この前言ってた、『謝らないといけない』こと?」
「はい。あの……私、本名は『サクラ』じゃないんです」
「へ? あ、そうなの?」
「あの、私、自分の名前が嫌いで……思わず、密かに尊敬している人の名前を名乗ってしまったんです。でも、やっぱり外山さんには、私の本当の名前、知ってもらいたくて」
「そっか……」
彼女も彼女なりに、少しずつ変わろうとしているということだろう。
「……クリス」
「うん?」
「私の本名。『増原クリス』と、いいます」
「……ひょっとして、ハーフだったり?」
彼女がコクリと頷く。
「じゃ、じゃあ、その髪の色も、地毛なのかい?」
またもやコクリと頷く。同時に、鮮やかな金髪がなびいた。
「へえ。クリスちゃんか。いい名前だね」
「え、あの……あ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にしながらも、サクラ――もといクリスちゃんがニコリと笑った。
「あ、そうそう。外山さん、さっき自分のことおっさんって言ってましたけど……外山さんは全然若いんで大丈夫ですよっ」
「あははっ。なんだそれ、褒め返しかい? お世辞でも嬉しいよ」
「もうっお世辞じゃないですよぉ」
僕らは和やかに笑い合った。
自らを偽っていた二人が、ほんの一歩ずつ、前に踏み出した瞬間だった。




