車内
鉄の直方体はほとんど一定の間隔で揺れている。その振動に身を預け、前方の窓から見える移り変わる風景をただ何となく見つめていた。車内に人はいない。
雨が窓に打ち付けられる音が少しだけ響いて、華やかな香りが漂った気がした。
「ねえー、誰もいないね。良ちゃんだけじゃないか」
心臓がどくんと高鳴り、聞き覚えのある声が左隣からした。背筋に涼しい風がするりと駆ける。
「やっぱり、電車って涼しいから快適だねえ。そういや、今日の授業何したの」
ミサキだ。
「良ちゃん最近冷たいよね、物理的な話じゃなくて。色もあたしぐらいに白くなっちゃてさ」
ぼくが答えないのを無視しているのだと思い込んでいるようで、ミサキは一人で喋っている。少しふて腐れた様に、
「夏って嫌だよ。暑いだけ。日焼けするし、暑いし暑いし。只でさえ暑いと体力使うのにその上日焼けするとか意味わかんね」
と言う。素っ気無いぼくに対して苛立っているのか、それとも暑いのに怒っているのか分からないミサキは、ぼくに話しかける。
席の反対側の窓の景色が田畑に変わっている。雨が一層激しく、打ち付く音が大きくなった気がする。突然空が光ったかと思うと、遠くの山に稲妻が突き刺さった。
「雨も嫌いだ。なぜならば傘を差さなくてはならないから、腕が疲れるから」
さっきの考え事が滲み出るように、じわじわと思い出した。
頭の中には水が入っているとしたら、スポイトで色水と言う名の現実を一滴垂らしたみたいに滲んで解けた。すっと今が理解できた。ぼくの隣にはミサキが居るんだと。ぼくの彼女のミサキがぼくに会いに来てくれたという事実が分かっただけでぼくは満足だった。理由が分からなくても、彼女に会えたならぼくは良かった。
「なあミサキ――」
左には誰も座っていなくて、雷鳴と車輪の金属音と雨音が車内に充満しているだけで、ぼくの声も力無くそれに吸い取られてしまった。
左手で隣のシートを触ってみたが温もりは欠片も感じられない。
独りぼっちの電車は時間が他と比べて進んでいるのか、と不安に感じられる。一定過ぎて妙に怖いカタタンという音。何も掴めていない左手を何となく見つめた。
読んで下さっている方、本当にありがとうございます。




