マーガリンの成分表5
次の日、同じ時間に同じように家族連れでやってきた。しかし今日はエビフライを頼まずに飲み物だけを頼む。
三人分の飲み物を運んだ後、マーガリンは雄太の席の隣に座り、彼の接客に集中する。幸い、この日は老人も安酸もその他も入店しなかったためにマーガリンは暇となり、天井と苦瀬は物陰からこっそりと見守ることが出来た。
「雄太様、アルプス一万尺やりますか?」
「うん、やる」
結論はすぐに出さずにしばらく二人は遊ぶ。雄太は大はしゃぎだったが、マーガリンは浮かない様子だった。
二人はマーガリンがいつ自分が人間ではなくヒューマノイドだと話すのか冷や冷やしている。こういうことは後になる連れて、切り出すのが難しくなる。しかし準備体操も必要だ、もうしばらくは戯れが続くのだろう。
「次、何やりますか?」
「いつものあれやってー」
「あれですね、かしこまりました」
おもむろに席を立つ。そして小芝居を始める。小芝居は天井も苦瀬も初めて見る、知らない行為だった。二人は物陰からさらに顔を出す。
マーガリンは疲れたように両肩を交互に叩きながら、
「あぁ、ようやく末っ子も独り立ちしてくれたわ……」
深い愚痴を漏らす。次は首をぐるぐると回す。
「全く、三十も過ぎて親のすねかじりなんて辞めてほしいわ……」
どこかのドラマで見て勉強したのか、子供向けとは思えない内容だった。
「でもこれで肩の荷が下りたわ……いいえ、肩が落ちるわー」
そのセリフを合図に突如、マーガリンの両腕がパージする。人と見分ける大きな特徴である関節部がはっきり見える腕が床をゴロゴロと転がる。
あまりにもショッキングな一発芸に天井と苦瀬は絶叫した。天井はキッチンからお盆を持ち出し、そこから助走をつけて、
「正体のバラし方にも程があるだろおおお」
マーガリンの頭をお盆でひっぱたいた。腕を失い水平を保てなくなったマーガリンは勢いに逆らえず倒れてしまう。天井は彼女の代わりに腕をすぐさま拾い上げると強引にくっつけた。
「すみませんすみません、うちのバカが恥ずかしいところをお見せましました」
平謝りするも、
「いえいえ、知ってましたよ。息子はいつもこれ見ると大喜びするんです」
「えぇ、いつもお願いしてるんです」
両親はそう言って、むしろ感謝すらしている。彼らの言うことは本当で現に雄太は両手を叩いて喜んでいる。
「マスター」
「何だ」
「腕を左右逆に入れないでください」
よく見ると手の甲は外側を向いているのに親指は後ろを向いている。さらに不気味な光景が出来上がっていた。
「僕が直してあげるー」
雄太は遊び尽くしたおもちゃを直すように慣れた手つきでマーガリンの両腕を外して、元の位置に戻す。
「いつもありがとうございます」
「また取れたらいつでも言ってね」
「いつもなのか? いつもホールでこんなことをやっていたのか?」
これは後で苦瀬を問いつめなければいけない。ちゃんと見張っているというのは口だけかもしれない。
「ご存知だったんですね、ヒューマノイドだって」
天井は両親と会話をする。
「同い年の子が働いてるのが珍しかったんでしょう、初めて来た時に息子がマーガリンさんのことを気に入りまして、腕を引っ張って離そうとしなかったんです。息子を引き剥がそうとしたら腕から抜けてしまいまして」
「申し訳ありません申し訳ありません……」
「腕を取っちゃったと泣きそうにはなったんですけど、機転を利かせてくれまして。『ロケットパーンチ』と言いながらもう片方の腕もぽろりと外してくれまして」
「申し訳ありません申し訳ありません……」
咎められていないのに、天井は平謝りするばっかりだった。
「謝らないでください。本当に感謝しています。こうやって遊んでくれるばっかりか、メニューも復活させてくれて」
「いえいえ、こちらが好きなように動いただけですので感謝されるようなことでは」
「寂しくなります。私達、引っ越しするんです」
天井は自分の知らない真実に再び驚愕する。
「もっと今より都会の方に引っ越しするんです。息子が小学校に進学すると一緒に。教えてはいるんですがあまりわかっていないようでして」
「それは……そうなんですか……」
「本当にここを離れるのは辛いです。幼稚園では友達誰一人できなかったんですけど、ここには唯一の遊び相手がいてくれるんですから、どこよりも楽しい場所だったに違いありません」
「ありがとう、ございます」
褒められて、言葉が詰まる。純粋に嬉しかった。旧友にまで酷評された強面が爽やかに笑顔を浮かべる。その姿を遠くから、苦瀬は悲しそうに見つめていた。