マーガリンの成分表3
ついに店が開く。店の前にはすでに三組だけだったが開店待ちの行列があった。マーガリンは奥で仕事をしていたため、代わりに苦瀬が対応する。最初に入ってきたのは家族連れだった。父親と母親、そして息子が仲睦まじく入店する。家族連れは壁際の席に座る。
笑顔で接客するが、目は疑いの眼差しを向けていた。父親を特に注視する。
(これは白ね……いくらなんでも家族連れで幼女にセクハラはしないわ……)
次に入ってきたのは老人だった。杖を突いて、さっさと入り口近くの二人用のテーブルに座る。
(これも白ね……歳が離れすぎ)
最後に入ってきたのは青年だった。かなりの肥満気味で店の入り口をスレスレで通るほどだった。指紋、ほこりを拭き取っていない丸眼鏡をかけていた。
苦瀬のイメージしていた通りの男だった。あまりにイメージとハマったために、逆に違うんじゃないかと疑ってしまう。
(こ、これはいかにもな……しかし、まだ決まってわけでは……)
苦瀬はその巨体に尻込みしていると、青年が眼鏡をくいっと上げてから話しかけた。
「あの、店員さん」
「は、はい、何でしょう」
「今日からエビフライサンドイッチが復活してるってホント?」
苦瀬が心の中で叫ぶ。
(黒だあああああああああああああああああああああああああああああ)
「は、はい、今日から期間限定で再開しております」
「それじゃ、それ、3つ、よろしく」
再び、苦瀬が心の中で叫ぶ。
(エビフライサンドイッチの大ファンだあああああああああああああああああ)
朝からそんなに食べるのだから、今の体格にも納得がいく。
「はい、かしこまりました。お飲み物はいかがなさいましょう」
「ミルクをSサイズで」
三度、苦瀬が心の中で叫ぶ。
(食べ物の量に対して飲み物少ねええええええええええええええええええ)
青年は家族連れとは逆の方の壁際に座る。座ってお冷をテーブルに置かれるとそれおを一気に飲み干した。
「お冷のおかわりは如何でしょうか」
苦瀬がすかさずおかわりを注ごうとするが、
「いえ、水はもう結構です」
青年はいともたやすく断った。
喉が詰まらないか疑問になるも、ひとまず苦瀬はキッチンに入り、天井に報告する。
「オーダー入りました。エビフライサンドイッチ3つとミルクSサイズ」
「早速エビフライサンドイッチ入ったか、しかも3つ」
「うん、それでその頼んだ人、結構怪しいと思うの、見た目的に」
「そうか。というか、マーガリンはどこだ。マーガリンに聞けば一発だろ」
「ワタシに聞けば何が一発なんですか?」
またも突然の介入に二人はぎょっとする。
「リンちゃん。もうお店開けてるんだけどさ、お客様の中に、リンちゃんにエビフライサンドイッチの再開をお願いした人、いる?」
苦瀬が単刀直入に聞く。そしてマーガリンと一緒に来てもらい、ホールの物陰から例の人間を指してもらうことにした。
「あ、はい、いらっしゃってます」
「え、やっぱり!? どこ!?」
「あの席に座っています」
苦瀬の予想では壁際の青年を差すと思っていたが、それは大きく外れることになる。
マーガリンの小さな手は青年とは真逆の家族連れの席を差していた。
「ま、まさか、奥さんがいるのに、リンちゃんにも手をだそうっていうの!?」
「は、はあ……雄太様は独身のはずなんですが」
「ロリコンの名前は雄太って言うのね!? ってか、独身!?」
「ロリコン? 知らない言葉ですね、検索を」
「調べなくていい調べなくていい……てか、独身ってどゆこと!? 一緒の席に座っている女性は何なの!? 姉? 妹?」
「母親ですよ」
「お母さん、若えええええええええええええええ」
「そうですか、別に普通だと思いますよ」
若すぎる母親が雅に手の平を上げる。
「呼ばれたので行ってきます」
「ちょ、ちょっと待って、リンちゃん行かないほうが」
「苦瀬ー。エビフライサンドイッチ3つとミルクSできたぞ」
「店長はちょっと黙ってて!」
苦瀬の気が逸れた瞬間にマーガリンはテーブルに着いていた。着くと同時にマーガリンは雄太に抱き着かれた。若すぎる母親はそれを諌めず微笑ましく見守っていた。その旦那も静かに笑って見守っていた。
「雄太様、仕事に差し支えありますのでひとまずお離れください」
「……やだー」
雄太と呼ばれる少年はマーガリンの胸に顔を埋めたまま、離そうとしなかった。
「じゃあもうアルプス一万尺やってあげません」
「……」
そう言うと顔と手を離す。顔は少し泣きそうな顔をしていた。
「今日は雄太様が好きなエビフライサンドイッチがありますのでたくさん食べていってくださいね」
そう言うと一瞬で笑顔になる。なんとも微笑ましい光景だった。
その一部始終を見て、ようやく苦瀬は自分の勘違いに気付いた。その後ろで部下の酷い勘違いに怒りを覚える上司がいた。
「苦ー瀬ー?」
「て、店長……ホールは任せて、キッチンに」
「馬鹿野郎。先に頼んでたお客様に一緒に謝りに行くぞ」
「は、はい……ご迷惑をおかけします」
二人は冤罪を被った青年の席へ向かう。
「お客様。エビフライサンドイッチ3つとミルクSサイズです。大変おまたせ致しました。それと大変ご迷惑をおかけしました」
「え、全然待ってないんですけど……」
「大変ご迷惑をおかけしました」
「え、え、あ、は、はい、どうも……」
何が何だかわからないうちに二人に深々と頭を下げられ、青年はたじろぐ。
「お代は結構ですので」
「まじで裏で何があるんだよ! 怖いよ!」
青年は耐えきれず、ツッコミを入れる。そして天井と目が合うとしばらく彼の凶悪な顔をじっと見つめる。
「あれ、お前、天井か? 何だお前生きてたのか、心配したぞ! 悪者顔さらに悪化してるな!」
青年は立ち上がると天井の肩をばしばしと遠慮なしに叩く。天井は青年の顔に全く覚えがなく、怪訝な顔をする。
「あぁ大学卒業から一気に太ったからな、わからないの仕方ないか。安酸だよ、安酸。よくAVを貸し借り」
「やめるんだ、◯イキンマン!!!!!!!」
天井は安酸の鳩尾に容赦なく全力のパンチを入れる。部下の前で、そのような人前で公にできない個人情報を漏らす訳にはいかない。
「ちょ、お客様!? 店長!?」
店長の予想のしない行動に苦瀬は慌てる。
「ふ……相変わらず照れ屋のところは変わらないな」
「お前みたいな暴露主義がおかしいんだよ。というか見た目以外変わってないようだな」
思わぬところで旧友と再開を果たす。本来なら喜ぶべき感動の場面だが、状況が状況だけについ手を上げてしまう。
安酸。高校の頃からの友人で大学生活中も俗物を貸し借りするほど仲良くしていた。仲良くしたと言っても同じ目標に向かって努力したというよりも一緒に憂さ晴らしを共有した仲と言ったほうが良い。夜になれば共に酒を交わし、煙草を吸った。それでも忘れられない大切な思い出だ。卒業後は仕事の関係で全く連絡の取り合いをしなくなっていたが、友情は今でも変わらない。
「お前も変わってないのか? 今でも女子◯生モノを好んで」
「だまれぇ!!! 現役がいるんだぞ!!!!」
再び鳩尾に、今度は膝蹴りが入る。
「ちょ、お客様!? 店長、いい加減にしてください!」
「はっ……! 俺はなんてことを!」
「ふっ……大丈夫ですよ、お嬢さん。鍛えてますから、今のはそよ風が吹いたようなものです」
「お客様……顔が青いですよ? ふらふらですよ?」
「…………お手洗い貸していただけます?」
「お手洗いはホールの角の奥に有ります」
「……お借りします」
呻きながらの俯きながらの大の男がトイレに向かっていく。何とも言えない哀愁が漂っている。
「店長、何やってるんですか。お客様に手を上げるなんて最低ですよ」
「す、すまん……しかしこうするしかなかったんだ……」
現役を、部下を目の前に、性癖をバラすわけにはいかない。
「おい、兄ちゃん……」
気付くとお客様の老人が側に立っていた。表情は険しく、シワだらけの顔がさらにしわくちゃになっている。
「あ、す、すみません。すでにご注文はお決まりでしたか」
「そうじゃねーよ……」
どすの効いた声だった。苦瀬だけでなく、天井も震え上がる。
怒られるのも仕方がない。お客様をガン無視し、あまつさえ暴力をはらいたのだ、これは説教の後に通報もありえるだろう。
「良いパンチしてるじゃねーか、どうだ、俺と組んで世界ねらわねぇか」
なんてことなく、スカウトもといヘッドハンティングの話だった。
苦瀬は店長の真似をして、眉間を揉む。
(この店、変わった人が集まりやすいな……)
そう、心の中で呟いた。