強面だけど胃は弱い
とある日、ラストオーダーを過ぎ、暇になる時間帯の出来事だった。
「付かぬことをお聞きしますが、ワタシのキャラは薄くないでしょうか」
「え、ヒューマノイドってだけで充分キャラ立ってるでしょ」
「ワタシが働き始めてから二週間が経ちました……けれど、客足が集まってるとは言えません。ワタシは皆さんのため、客寄せパンダとしてここで働いているのにです」
「客寄せパンダは言いすぎかな……でもリンちゃんが来て助かってるよ?」
「ダメです、使命を果たしてこそのヒューマノイドです!」
「つまり客足を伸ばしたいと」
「はい、そのためにもっとキャラを立たせるべきだと思います」
「う、うん、効果あるか謎だけど一度考えてみようか」
「はい、そのため、まず自分の存在に近いところを参考にして練習してきました」
「へえ、やってみてよ」
こほんと咳払いをする。咳払いのため、必要はないが、人間らしく振る舞うようにプログラムされている。
「やぁ! ボク、マーガリン! 未来から来たヒューマノイドさ!」
「2005年以降のほうかよ!」
今のツッコミは天井だった。
「えー、リンちゃんなら2005年前のほう知らないでしょう。私だって馴染みあるの今の方だよ」
「俺としてはやはり昔のほうが馴染み深いんだよ」
「あーやだやだ、これだからおっさんは。そうやって古い価値観を若い連中に押し付けないでほしいわ」
「俺はまだ24だ……」
ぼやきながら天井はキッチンに戻る。
「いちごちゃん、勉強はもうやったのかい?」
「あ、まだ続くの……しかも私、◯び太くん役……」
「いちごちゃん、勉強はもうやったのかい?」
「え、えと、まだかな。帰ってからやろうと思うんだけど」
「君はじつにばかだな」
「……あれ?」
今、罵倒されたのだろうか。いやまさかそんなはずがない。リンちゃんは心の優しいヒューマノイドだ。たとえ自分より仕事が出来ない、使えない相手でも、上司、先輩であれば敬語の使える子。だから、そう、今のは聞き間違いのはず。
「君はじつにばかだな」
聞き間違いではなかった。ご丁寧にもう一度言ってくれた。もしかして今の聞き取れなかったのかなもう一度言おうって表情してから、もう一度今度はゆっくりと聞き逃しのないよう、さっきよりゆっくり喋る配慮しながら罵倒した。
変わってしまったマーガリンを受け入れられず、苦瀬は泣いて逃走する。
「うええええん店長おおおおおおお! リンちゃんがグレたああああああああ!」
キッチンにいる天井に助けを求める。
「どうした、何があった」
「リンちゃんが私のこと、罵倒するの!」
「へぇ、そりゃ大変だな」
「そう大変なの! だから助けて!」
「その前にちょっと良いか」
いつになく、天井は真面目な表情をしていた。真摯に苦瀬を心配する瞳をしている。その表情に苦瀬の体温は少し上昇する。
「……リンちゃんって誰だ」
「そこからなの!? そこから説明しなくちゃ駄目なの!? 店長なんだから店の変化に敏感でいなさいよ! リンちゃんはマーガリンのこと!」
「何、マーガリンがグレたのか!? なんでそれを早く言わない!」
「何で私が助けを求めた時より動揺してるのよ! 私の時絶対うわぁめんどくさそうって思いながら対応してた!」
「今はマーガリンが優先だ、もしかしたらウィルスに感染したのかもしれない」
「マーガリンのほうが優先なんだ……私先輩なのに……長く働き続けているのに……」
苦瀬は天井の優先順位に多少の不満があったが、その判断は正しいと肯定した。前のめりにうなだれる苦瀬を元気付けるべく、天井はひとつの提案をする。
「……あとで残ったケーキやるから元気出せ。特にモンブラン好きだったよな」
「早くこっちへ! リンちゃんが大変なの!」
苦瀬は人類の進化図のように段々と背筋を伸ばして見事に復活する。
ケーキ一つで立ち直る精神力は彼女の数多い魅力の一つであり、天井も見習いたいと思っている。
ちなみに、復活の主因はどちらかというとケーキを譲ってくれたことより天井が好物を把握していたことが大きかった。
ホールに戻ると、苦瀬がするはずの床掃除をマーガリンがやっていた。
「おい、苦瀬」
「……はい、今すぐ代わってきます」
床掃除をしているマーガリンの後ろから抜き足差し足忍び足で近づく。いつも通りに仕事しているマーガリンに異常は見当たらない。もしかしたらさっきのは悪い冗談かもしれない。
「リンちゃん、掃除は私の仕事だから変わってほしいな」
「いちごちゃん、勉強はもうやったのかい?」
「バカの一つ覚えみたいに繰り返してる!」
「君はじつにばかだな」
「会話成立してない!」
苦瀬は一旦距離を取り、天井の元に戻る。
「この通りなの、いつになく辛辣なの」
「アレのモノマネしてるにしか見えないが」
「私の知っているアレはこんな辛辣じゃない!」
「これはきっと原作も読んで、それを準拠しているに違いない。ほら、うちの喫茶店は単行本置いてるだろ」
「ほら、うちの喫茶店は単行本置いてるだろって……私知らなかったわよ! さも当然のように言わないで!」
「お前が知らなくても店の常識なんだよ」
「はいはい私が悪うございました。それは置いといて、リンちゃん、どうしよう。あのまま辛辣なままで接客なんてさせたら……」
天井は腕を組み、しばらく考えると名案を出来上がる。
「大丈夫だ、俺に良い考えがある」
「ちょっと失敗フラグに聞こえるけど、任せましたよ……」
天井は堂々とマーガリンに話しかける。
「よぉ、マーガリン。精が出るな」
「マスター、勉強はもうやったのかい」
顔は天井に向け、そのまま掃除の手は止めないという器用な真似をする。
「モノマネしてるんだってな。俺もその元ネタが好きでな、最近映画版を見に行ったんだ、そしたらビックリ。言うことを聞かないと電気ショックが流れる設定が増えてたんだよ」
ぴたりと掃除の手が止まり、わずかに顔が怯えの表情を見せる。
「へ、へえ、それはそれは……」
ここで、モノマネを止めるように勧めれば事態は丸く収まるはずだった。
だがしかしヒューマノイドの珍しい表情に、天井はつい調子に乗る。
「あぁ、だから、電気ショック機能加えてみようかなと」
「……!」
「実はもうすでに加えてみたんだ」
「いつの間に!?」
「背中にくっついているのが見えるだろう」
「見えませんよ!?」
「あ、背中にある装置は絶対に見るなよ、電気ショックが流れるぞ」
「理不尽です!」
「外したいか?」
「そ、そうですね、マスターが外して良いと仰るなら外したいと思います」
「それじゃあ今から言うことを絶対に成し遂げるんだぞ」
さて、どんなことを命令しようかと考えていると、物陰に隠れて成り行きを見守っていた苦瀬と目がバッチリ合う。
「よし、マーガリン。苦瀬を一分間くすぐってこい」
「な、何ですと!」
矛先が向くとは思わず、苦瀬は声を上げる。
天井は苦瀬に対して個人的な恨みがあった。それは休憩中に隙を見て、後ろから脇をくすぐる悪戯に対して恨みを持っていた。天井は脇の下が弱く、くすぐられると情けのない変な声が出る。報復に同じ仕返しをしようとすると指一本でも触れたら痴漢容疑で警察を呼ぶだ、と生意気にも法律を盾にされる。しかしそれも女性であるマーガリンなら何の法律にも触れない。
「店長! 脇弱いんですって!」
「その言葉はいつも俺のセリフだった。そしてお前は止めたか……?」
「え、えーと……止めましたよ?」
「嘘つきには鉄槌を! マーガリン発進!」
「どんどん元ネタから外れてる気がしますが、すみません、いちごちゃん、許してください!」
「リンちゃん、来ないで! くすぐられるの嫌なの!」
手をわさわさして襲いかかろうとした刹那、苦瀬が呼び止める。マーガリンは指示通り、足を止める。
ここでマーガリンの中でジレンマが出来た。くすぐらなければ命令は守れず自身に電気ショックが流れるが、くすぐれば苦瀬に危害を与えることになる。
「ロボット三原則だと第一条を最優先するべきですが、私が壊れることによってマスターに広義で損害を与えることになります。さらに第三条の自己を守らなければなりません……!」
ジレンマに陥り、大量のエラーを吐き出す。さらに頭を抱えて煩悶する。
苦しそうなマーガリンを見兼ねて、苦瀬はスカウトとして、先輩として、友達として、彼女に身を捧げることにした。
「……リンちゃん、くすぐっていいよ」
「で、でもいちごちゃんはくすぐられるの嫌なはずじゃ……」
「くすぐられるの……嫌じゃないから、いいよ」
ジレンマが解消されたマーガリンは体育座りしてる苦瀬の後ろに立ってから膝を曲げる。
「それでは……失礼します」
身体を差し出したはずがはまぐりのように脇を閉じていた。マーガリンはまず彼女の背中、二の腕を交互に突く。そして隙間の手前を指でなぞる。
「……ひゃぁ」
ほんの少しだけ身体が弓のように弧に反れ、腕と脇の密着がずれる。ズレを戻す動作と一緒に細い指が脇の狭い、熱と僅かに湿った隙間に強引に滑り込む。デリケートな空間で何本もの異物がそれぞれ意志を持ってるかのように淫猥に蠢く。指と脇には何枚か生地を挟んでいたが、
「あぁ……!」
甘美に喘ぐ。自分が発したと思えない甘い声が漏れていしまい羞恥を覚える。人差し指を咥え、声を押し殺そうと耐えるも巧みな絶技の前に抵抗の気すら徐々に失せていく。
「ん……っ……んんん!」
足をばたつかせて気を紛らわそうとするが快感はしつこく追い込み続ける。快感は強くなっていくばかりではない。あえて緩急をつけて、対象の呼吸の確保、そして感覚の余白、余裕を与えることでこれから来る快感に備えさせる。
「はあぁぁ……はぁぁ……」
くすぐりが緩くなり声を出さずに我慢できる程度まで弱くなると苦瀬は苦しそうに、嬉しそうに肩で呼吸する。飲み込めず口内に溜まった唾液が唇の端から零れ落ちそうになる。
これで終わりではなかった。マーガリンは策士として一枚も二枚も上手だった。終わったと思ったその油断した瞬間を見逃さず、より敏感な弱点を集中的にくすぐる。
愛撫は続く。後手になる被逆者は完全に隙を突かれた。脇の下の死守していた空間が侵略者の手に埋まる。閉めようにも手の甲で抑えられる。
もはや手中に落ちたと同じ。乙女のか弱き恥部は蹂躙される。
「あっああ……! あああああ!」
我慢できずに嬌声を上げた。それと同時に人生で一番長い一分がようやく過ぎ去った。
「はぁ……はぁ……」
苦瀬は両手で身体を抱きながら床で丸くなったまま、静かに呼吸を続けている。
「マスター、命令を遂行しました」
「お、おう……ご苦労だった」
天井はやり過ぎ感と罪悪感を感じていたが、マーガリンを責めようとは思わなかった。
「電気ショック機能はもう外したからな。これに懲りたらモノマネは今後なしだ。それがわかったらもう後は上がっていいぞ」
「はい、かしこまりました。お疲れ様です。お先に失礼します」
ただでさえ小さい身体が深々とお辞儀をするから、さらに小さくなる。
仰々しいぐらいに礼儀正しいお辞儀が済むとスタスタと店の奥に行ってしまった。
「……苦瀬ー、生きてるか生きてるなら返事しろ」
「……」
呼吸が整った苦瀬は無言で立ち上がる。返事はしなかったが生きてるようだ。
「悪かったな。モンブラン二つにしておくから気を直してくれ」
「……」
激昂して詰め寄ってくるかと思いきや、苦瀬は静かに微笑んでいた、それも不気味なくらいに。
「まだ処分には早いがかぼちゃプリンも付けるぞ、これも好きだったよな」
「……」
「プリンだけじゃ不満か? よし、それなら時給アップさせよう!」
「……」
「そうだ、出世もしようじゃないか。今日からお前が店長だ! いやーいつか抜かされる日が来るとは思っていたぜー?」
「……」
苦瀬は静かに微笑んでいた。ただし目は一切笑っていなかった。
こんな状況がこれから一週間も続く。仕事に差支えはなかったが、天井の持病の胃腸炎が少しだけ悪化した。