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12/21

店長の謎

 とある日、閉店時間を過ぎたのに天井はノートパソコンを前に苦悶な表情で頭を抱えていた。帰りの挨拶をして帰ろうとしていた苦瀬は予定を変え、足を止める。

 

「何だ……らしさって何だ……」

「店長、また深刻な顔して、どうしたの。禿げるよ」

「……あぁ、禿げるのも有りかもな」


 天井はそう言うとおもむろに自分の頭頂部の髪を引っ張り始めた。


「ちょ、ちょっと! 若いんだから髪の毛は大事にしなさい!」


 慌てて苦瀬は止めに入る。すぐに天井は正気を取り戻し、ノートパソコンの画面を目の前にし、苦悶な表情を浮かべる。

 自問自答の堂々巡りをしている様子だったので、苦瀬は掃除を止めて、天井の手伝いをすることにした。


「何があったの、私にも手伝わせてよ」

「……そうだな、一応見せておこう。このページを見て欲しい」


 天井はノートパソコンでとあるwebサイトを見せる。それは全国の飲食店などを評価するサイトだった。苦瀬もその存在があることを知っていたが、気にしていないし、好ましくも思っていなかった。ネット上の評判なんてものは結局は個人の感想に過ぎず、あまり参考にならない。低評価の店でも実際に足を運んでみれば対応も味も悪くなく、レビューをよく読んでみると書き込んだ人間が神経質だったり、店側の対応が悪いわけでもないのに同席した客の相性が悪かっただけで理不尽に低評価することなんてざらにある。

 そして何より、その場で直接言わず家に帰ってから悪評をネットに広める行為が気に入らなかった。

 

「こういうのって自称評論家様がいるから嫌い。こういうのに書き込んでる人って飲食店で働いたことがあるのかしら」

「それでもお客様の貴重な意見だ。耳を傾けなくちゃいけない。そして可能なら実現させなくちゃならんのだが……」

「なんで苦しそうなのよ、悪口でも書かれてるの」

「……とりあえず、このレビューを見て欲しい」


 天井が指を指した先に、いくつか共通の感想が書かれていた。


『くつろげる空間なのに店長怖い』

『店長の店長らしさが足りない』

『店長いらない。女の子だけにして欲しい』


 理不尽ではあるが、ある意味理のかなったレビューがあった。


「何なんだ、店長らしさって。顔か? 顔なのか? また怖い顔がいけないんですか

「落ち着いてください、店長……ますます怖くなりますよ」

「もうあれか、紙袋被るか?」


 コンプレックスを突かれて、だいぶ心労が溜まっているようだった。今の彼に冷静な判断は下せないだろう。


「大丈夫です、顔は関係ありません。他に改善の余地があるかもしれません」


 一旦悲しい現実から目を逸らさせてから改めて改善策を探る。苦瀬は天井の顔を凝視する。確かに、店長はかなり若く、威厳のようなオーラが感じられない。が、しかし、珈琲の知識、淹れる腕前は若いながらも確かなものだと苦瀬は自信を持って言える。この感想を書いた者達は何もわかっていない。老いていればいいものじゃない。定年過ぎてから何となくという理由で特に努力もせずに開業しているなんちゃってマスターが淹れた珈琲は墨汁のような缶に詰め込んだコーヒーより飲めたものではない。まあこのような感想を書く輩は味よりも空気、それも非日常という空気を求めているのだろう。それならうちの店長も男としてかなり魅力的だ。短髪でオールバックの清潔感のある髪型をし、眉毛も顔も整っていて、背丈はすらっと高く、さらに蹴りを入れれば折れてしまうようなガリ型ではなく、しっかり筋肉がついた好漢で……。

 天井が脳内で苦瀬を随分と肩入れ、贔屓していると、


「……どうした、苦瀬。さっきからぼうっとして」


 天井から話しかけられ、ようやく苦瀬は自分が一分以上も彼と目が合っていたことに気付き、


「え、あの、これは、その……」


 思わず目をそらしてしまう。単なる照れだったが、この行為はさらに彼を追い立てる。


「やっぱ顔が怖いのか! そうなんだな、そうなんだろ!」

「なんでそんな被害妄想ばっかするんですか! いい加減にしてください!」

「す、すまん……」


 天井は謝ると再び暗鬱な表情になる。

 苦瀬は堂々巡りが延々と続く予感がして頭痛が起きる。和らげようと眉間を揉んでいるとマーガリンが頭痛薬を持ってきた。


「お疲れ様です。頭痛薬とお水です」

「あぁ、ありがとう。リンちゃん」


 粉薬を舌の上にばら撒き、水をぐいっと飲み込む。水は一度沸騰した水道水を冷ましたぬるま湯で、カルキ臭が抜けてて、喉を通ってもひやっとした冷めがなく、とても飲みやすかった。

 コップを返すついでにマーガリンにも意見をもらうことにした。


「リンちゃん、店長の店長らしさが感じられない点とかあったら教えてくれる?」


 マーガリンは腕を組み、首をかしげる。


「マスターの店長らしさが感じられない点ですか……。人間と同じ感覚を持ち合わせておりませんので参考になるかはわかりませんが、一点だけ、気になる点があります」

「へぇ、それって?」

「一般常識ならバリスタは白シャツを必ずと言っていいほど着用しますが、マスターが白シャツを見たところありません」

「えー、まさか、そんなことが……」


 苦瀬はもう一度天井を見る。顔だけでなく、全体を見る。すると確かにマーガリンの言うとおり、彼が着ているのは白どころかチェック柄だった。さらにジーンズとスニーカーとオフの日のような格好をしている。洋風でオシャレな店内なのに、バンダナとリュックを背負えばオタクに見えるチェック柄のシャツを着た男がうろついては雰囲気も台無しだ。


「いやいや、これはきっと仕事が終わっているから……」


 記憶を辿る。しかしどうしても思い出す。厨房に立つ彼の首の下はずっとチェック柄だった。


「ちなみにワタシが本起動してから今日まで見てきた映像は全て録画して残っています。間違いありません」

「……ですって、店長。もうやることはわかってますよね?」


 席から立ち、逃げようとしていた天井を呼び止める。


「まあ待て、苦瀬。白シャツを着ないのはそれなりに理由があってだな……」

「店長。私はさっき、ひどい冤罪を被ったんです。上司の顔は怖くないと本心から言ったにも関わらず、怖いんだろ本当は怖いんだろと怒鳴られたんです。可哀想だと思いませんか?」


 目尻に一滴の水が浮かぶ。勿論、これは嘘泣きだ。目尻の液体は本物ではなく、マーガリンが持ってきた水を指につけて塗っただけだ。

 嘘泣きだとわかってはいたが、それでも天井は罪悪感に駆られてしまい、


「……わかったよ。マーガリン、倉庫に白シャツとネクタイのセットがあるはずだから探してこい」

「かしこまりました、マスター」


 マーガリンは姿を消す。


「苦瀬。お前にもやってもらいたいことがある」

「はい、何ですか。何でも言ってください」

「……今のうちに救急車呼んでおけ」

「その命令は受け入れかねます」


 何を大げさなことを言うのかと苦瀬は呆れる。しかし彼女は天井の判断を軽んじていた。このあと起こる悲劇を彼女は知る由もなかった。




 マーガリンがシャツを持ってきた。そのシャツは新品ではなく、誰かが使った後に洗濯をし、アイロンをかけられたようだった。


「少し袖口にシミがありますね……」

「誰か使っていたのかしらね」

「……」


 二人の会話を天井はスルーしながらシャツを受け取る。


「それじゃあ私達別室で待機してるから」

「いや、いい。この部屋にいてくれ」

「…………露出趣味?」

「違うわ! 黙って見てれば、俺が白シャツ着ない理由がわかる!」


 乱暴にチェック柄のシャツを脱ぐ。下から隆々とした逞しい身体が露わになる。苦瀬は両手で顔を覆うが、指の隙間からしっかりと着替えを眺めていた。

 袖を通し、ボタンを止め、ネクタイを巻いた。


「おぉ……」


 ジーンズのままだったが、上半身は正装のバリスタの姿を見て、苦瀬は思わず感嘆の声を上げた。


「写真……写真撮っていい?」


 スマートフォンを急いで取り出す。カメラ越しに天井が見ていると、


「あぁ、苦瀬……カメラはいいがその前に……ごふっっ」


 突如、天井は口から大量の血を吐きながら後ろに倒れる。受け身を取らず、後頭部がそのまま床に直撃する。耳に嫌悪感が残る鈍い音がした。


「あ……あはは、店長、冗談きついですよ……」


 苦瀬は近づいて倒れたまま動かない天井を指で突くも反応がない。


「ど、どうしよ……リンちゃん! どうしよう!」

「……」


 苦瀬は緊急事態に自分が真っ先にすべき行為を忘れていた。救急車に連絡すべきだったが、そのための機器を力強く握りしめるだけだった。

 マーガリンはすぐに反応しなかった。口を開いたかと思えば、苦瀬への返答ではなかった。


「マスターの心拍数の急激な低下を確認……呼吸停止を確認……119番通報……失敗……独自でのマスター蘇生と判断……これよりAEDモードに移行します」


 目つきが変わっていた。いつものあどけない少女の表情は消え、淡白な機械のような表情に変げする。テキパキと迷いなくシャツ、その下の下着も剥ぎ取ると、露わになった胸を両腕で潰すように力強く押す。

 あまりの豹変ぶりに苦瀬は声をかける。


「り、リンちゃん……?」


 しかし、また、返事はなかった。手を止めると黙々と天井の身体にまたがり、左手を胸に、右手を脇の下に貼り付ける。


「今から電気ショックを流しますので離れてください」

「は、はい……」


 苦瀬は言われるがまま引き下がる。急変化する状況についていけず、見守ることしかできなかった。


「電気ショックを流します……カウント5秒前……4……3……」


 苦瀬はじっと二人を見守り続ける。両手は自然と組んでいて祈りを捧げていた。

 その祈りが通じたのか、天井は急に目を覚ました。


「……はっ! 俺は一体何を!」

「ちょ、だめ、今目覚めちゃダメ! リンちゃん! ストップ! ストップ!」


 苦瀬は慌てて止めに入るも遅かった。


「2……1……放電開始します」

「ぐわあああ!!!」

「てんちょおおおおおお!!!」


 必要のない電気ショックを食らい、悲鳴を上げながら天井は再び気絶する。


「……心拍数の上昇を確認……蘇生、成功しました…………バッテリー残量が残り僅かです。省電力モードに入るため、パフォーマンスが低下します……」


 マーガリンは動きを止めて、さらに静かになる。その下敷きになっている天井は白目を剥きながら倒れているも呼吸はしていた。

 完全に状況に置いてけぼりにされた苦瀬は右往左往しながらも何とか救急車を呼び、この緊急事態を打破した。




 それから三日後のこと。苦瀬は授業を終えて、先日のことが夢だったようにすでに営業を再開している喫茶店に向かっていた。いつもなら小走りで行くところだが、今日の足取りは非常に重かった。先日の件で責任を感じ、引きずっていた。

 彼がシャツを着た瞬間からPTSDと思わしき発作を起こした。アレルギーといってもいいだろう。アレルギーだからといって軽く見てはいけない。それが時に命に関わってくる。今回がつまり、その時だった。

 はあぁ、と長いため息をこぼすと彼女は呼び止められる。


「そこのお姉さん、ちょっといいですか」


 声をした方向を向くと警察官が近づいてきていた。先日の事件が頭に浮かび、思わず身構えてしまう。


「天井のところのウェイトレスさんじゃない? おお、女子高生の生制服。ありがたやありがや」


 気色の悪い言動だった。警察官はよく見るとお腹がやけに出っ張っていた。そして顔をよく見ると、知っている人物だった。


「なんだ……安酸さんですか……」

「なんだはないでしょ、なんだは。失敬な」


 青シャツの制服、制帽を身にまとった安酸だった。


「……本当に警官だったんですね」

「失敬な」


 言葉とは逆に彼は笑顔を浮かべている。


「お仕事お疲れ様です、私も仕事に急がなくちゃいけないので失礼します」

「あれ、そう? 結構ゆっくり歩いてたじゃない?」


 ずっと見ていたのか、安酸は図星なことを言う。


「いえいえ、そんなことはないですよ?」

「あれ、そう? いつものシフトは一時間後だよね?」

「なんで知ってるんですか!」


 ずっと見ていたのか、安酸は正確なことを言う。薄ら寒さを感じる。


「警察の調査能力を甘く見ちゃ行かんよ」

「ストーカーじゃないんですよね……」


 苦瀬はカバンを盾にしながら一歩下がって距離を取る。


「怖くなーい怖くなーい、僕お巡りさん、あなたの味方、怖くなーい」


 何故か片言で滲み寄る。本気でガードされるので苦笑しながら冗談を終わらせる。


「そろそろ本題に入るけど、先日仕事先で救急車呼んだよね?」

「な、なんのことですかね、私、さっぱりわかりません」


 今度は苦瀬が片言になる。


「なんでも男はAED以外の装置で電気ショックがされたような跡があるらしくて、もしかしたら違法の装置で処置されたんじゃないかって噂なんだよね。もしこれが本当なら使用者を逮捕しなくちゃいけないんだよね」

「ははは……」


 笑って誤魔化し、カバンで顔を隠し、絶対に目を合わせない。

 そんないかにも怪しい彼女を見て、


「なるほど……何も知らないようですね」


 あっさりと放置を決めた。安酸は帽子を脱いで頭を掻く。整髪料の香りが辺りに広がる。


「え、あ、あの、いいんですか」

「いいんですか、何がだい」

「……は、はい、わかりました」


 苦瀬は軽く会釈する。安酸はまた苦笑をする。


「それともう一つ本題があるんだけど。これも天井の話なんだけどね。まあこれは大学卒業後の噂話なんだけども」

「店長の過去ですか!」


 苦瀬の態度は先程までと真逆で今度は食いつきが良かった。


「あくまで噂さ。彼は就職活動で失敗してね、卒業しても内定が見つからなかった。そこで親のコネで、上場もしてる大手の会社に入社したらしい」

「……そ、それはどこにでもある話じゃ」

「まあ、ここまでならよくある話さ。とは言ってもここからもよくある話だよ。どうもそこの会社は相当新人を酷使する、いわゆるブラックなのさ。親の期待を応えるためにも何とか頑張ったけど一年で辞めたらしい」

「……そ、それだけですか?」

「それだけさ。もっと壮大で悲惨な過去を期待してたのかい」

「そ、そうじゃないですけど、なんというかあっさりしているというか」


 苦瀬は天井の体質の謎は過去に隠されていると思ったが、聞いてみると失礼な話だが、よくある普通の話だと感じた。


「まあ他人が簡素にまとめて話せばこんなもんさ。だけど本人が話せばどうだろうね、きっともっとドラマがあるかもしれない」

「……なんでそれを私に言うんですか」

「……いや、誰より彼の近くにいる人が君だからと思ってさ。正直なことを言えば、なんというか、残念な気もするよ。彼は誰にも自分の過去を話していないんだね」

「仕方ないじゃないですか、誰にだって話したくないことあるじゃないですか」

「だけどそのせいで、今回みたいな事件が起きた。そうは思わないかな」


 安酸は冷静に冷酷に、図星なことを言う。


「苦瀬さん。彼のことが好きなら自分からぶつかりに行かなくちゃダメだよ。ああいう男は絶対に自分から動こうとしないから」


 安酸は昼間から小恥ずかしいことを何気ないように、お酒に酔ってもいないのに、警告とも取れる応援を苦瀬に送った。


「……はい」


 はい、と自然と返事をしてしまい、そのことに気付き、慌てて訂正する。


「い、いや! そんな! 別に店長が好きとか全然そういう感情なんて私持ってませんから!」

「照れてるようじゃダメだ! 愛はぶつかってなんぼだ! 若いんだから体裁とか気にしてるだけ時間の無駄!」


 安酸は白昼堂々公の場で恋愛論を熱血指導する。彼の大声に通りすがりの人たちは足を止めて、二人を遠くから眺める。

 苦瀬は視線が集まっていることに気付き、


「声を落としてください、皆見ています……!」

「いいかい、僕をよく見て参考にするといい!」


 一切耳を貸そうとせず、安酸は大きく深呼吸してから、


「マイワーーーーイフ!! 僕は君を愛してるよーーーーーー!!!」


 商店街の中心で愛を叫び始めた。ヒートアップしてしまった彼はもう誰にも止められない。

 苦瀬は自分の手には負えないと思い、変質者として通報してやろうと思いスマートフォンを取り出したが、彼の服装を見て、自分の行いは無駄だと悟り、カバンに仕舞う。

 人目を気にせずに自分の世界に浸ってしまった彼に律儀に会釈してから、苦瀬は隙を見てその場から逃げ出した。




 苦瀬は店に着くと真っ先に倉庫に向かった。店内に着替え専用の部屋はなく、仕方なく、この部屋を使用している。着替えとは言っても服を取り替えたりはせず、上着を脱いだ後に自分で用意したエプロンを着るだけだった。この喫茶店では専用の制服などは特に決めていない。シャツやブラウスの上にエプロンを重ねるだけでそれが仕事服になる。

 着替えながら、ふと安酸の言ったこと、忠告を思い出す。


 彼のことが好きなら自分からぶつかりに行かなくてはならない。


 苦瀬は全く彼の言うとおりだと思い、賛成する。そしてすでに自分は実行していると思っていた。だから今、自分はこの職場で彼と一緒に働けている。彼の職場が判明し、さらに回らないことを嘆いていたからこそ、自分は颯爽と強引に働き始めた経緯があった。そしてそれだけで満足していたのかもしれない。振り返ってみると、自分は同じ職場の人間としてでしか彼に貢献できていない。マーガリンを連れてきたのだってそれに当てはまる。

 それなら自分はどうすればいいのだろうか。ただの女子高生に過ぎない自分が、自分よりも大人の男性に、何をどうすればいいのだろか。

 少しの間、悩んだが、結論は出なかった。結論より仕事を優先することにした。 

 商店街で自費で購入した倉庫の隅に置いてある車輪の付いた姿見鏡で自分の姿を念入りに確認する。髪を縛っていないことに気付き、カバンから髪を縛る用のゴムを取り出し、後ろで束ねてポニーテールにする。再度鏡を確認する。左右に首を動かすと一緒に尻尾も動く。


「……よし、問題なし」


 苦瀬はそう呟くと仕事場であるホールに出た。

 ホールには先ほど置いてきたはずの安酸が立っていた。目が合うと彼はにこやかに手を振った。

 問題が発生したため、再び倉庫に引きこもろうと思ったが、


「おーい、ウェイトレスさーん。ブレンドをテイクアウトでお願いしますー」


 声まで上げて呼び止める。どうやらマーガリンは外に出ているようでウェイトレスは自分しかいない。店内なので愛想の悪いところを見せられず、接客を強いられる。


「ご注文ありがとうございます。サイズは如何なさいますか?」

「制服もいいけどエプロン姿もいいね」

「ホットになさいますか? アイスになさいますか?」


 頑なに鋼鉄の笑顔で接する。


「それじゃあ、アイスのLLで」


 特に気にせず安酸は時間のかかるものを注文する。この喫茶店はコーヒーの淹れ方にこだわっており、必ずホットでもアイスでもネルドリップと決まっている。アイスでドリップとなると濃く焙煎したコーヒー粉を多めに使い、適量の氷を入れたサーバーに落とすようにしている。分量が面倒なため、また的確さを要求されるため、必ず天井が淹れている。そのため苦瀬はキッチンに入れず、そのまま接客を続けなければいけない。


「そうそう、さっき言い忘れたことがあったんだけど」

「追加のご注文ですか?」

「最初に話した違法の装置云々で逮捕は全くのデタラメだから安心してね」


 安酸は無邪気な笑みをする。


「安酸さん……あなたって人は……」


 苦瀬は悪い冗談に、コーヒーを飲む過ぎた時のような頭痛に見舞われた。


【予告】次の更新は来週の日曜日の22時半頃の予定です。

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