マーガリンの成分表6
三人の飲み物が底を突きかける頃、マーガリンがいよいよ本題に入る。
「雄太様、この間の話を覚えていますか。それとこの指輪」
「うん。マーガリンにあげる」
「……これは雄太様が持っていてください」
「……あげる」
「他のどなたかにあげてください」
マーガリンは雄太の手のひらに置いて握らせた。
「……なんで」
「置くところがありません。ワタシには自分の部屋がないので大切に保管はできないのです」
「……持ってて」
「持ってたら無くすかもしれません。だから雄太様が持っているのが一番です」
「……」
指輪を持ったまま、雄太は母親の足にしがみつき、マーガリンを前にして、大声で泣き始めた。その姿を両親は微笑ましく見守る。
「おい、だから言っただろ。プロポーズはまだ早いって」
「いいじゃない、初恋は叶わないものなんだし、良い経験になるわ」
両親は雄太の手を引いて、駅へと向かう。それを天井とマーガリン二人が店の前に出て見送った。雄太は最後までマーガリンのほうを振り向かなかったが、それでも彼女は手を振り続けた。
「良い家族だったな」
「はい、暖かい家族だと思います。雄太様はきっと幸せです」
二人は店に戻る。相変わらず客はいなかったが、苦瀬は行儀悪くホールの真ん中の席でテーブルに肘を突いて悪態をついている。マーガリンが奥に引っ込むとさらに露骨になる。
「ようやく帰ったの。おかわりもしないで長居したわね」
あからさまに何か言いたげな態度に、天井は苛立つ。
「良い家族だった。子供のことをよく考えていたし、幸せそうだったじゃないか」
「本当に子供の幸せを考えるなら……引っ越ししなくていいじゃない。ずっとこの街に住まわせて、毎週のようにマーガリンに会わせてあげればいいじゃない」
「将来のことを考えた結果だろ。良い学校に通わせるのが親の努めだ」
「その良い学校で友達ができる保証はあるの」
「学校は本来勉強するところだ、友達と遊ぶところじゃない」
「それなら学校なんて行く必要ない、勉強なら塾だけで充分じゃない」
「学校では集団生活も学べる。その経験が後に社会を出てだな」
「じゃあ集団に混ざれなかったら、友達ができなかったら、学校に行く意味あるの」
「……お前は何が不服なんだ」
「……私、あの両親好きになれないわ。自分たちのことしか見てない」
「マーガリンを気に入ってくれた人たちだぞ、何てことを言うんだ」
「そのマーガリンを不幸にしてるから気に食わないのよ。あの家族は非情よ。リンちゃんをただのおもちゃとしか見ていない」
天井は記憶を辿る。確かに言動を察するに両親はマーガリンを息子の友達とは見ていないのかもしれない。それは嘆くべき悲しいことだと思うも、同時に仕方がないことだと考えていた。決定的に種が異なるのだから、その壁は絶対に越えられないし、崩せない。
「そんなの仕方がないじゃないか。マーガリンだってわかってるはずだ。だから指輪を受け取らずに返したんだろう」
その言葉に苦瀬は大きくため息を漏らした。
「……店長、これだけは忘れないでください。リンちゃんは隅から隅まで金属で出来ていませんから」
意味深な言葉を発したと同時に、ドアチャイムが鳴る。
「いらっしゃいませー」
苦瀬はさっきまでの態度が嘘のようにいつもの接客スマイルを浮かべる。
天井は仕事に差し支えそうなので今の会話を心の端に置いておくことにし、キッチンに戻った。
しばらくして、奥に入っていたマーガリンも遅れながらもホールに戻った。