珈琲は冷めないうちに
コーヒー豆は豆であり、豆ではない。実際には木に生る実の種子で豆の仲間には入らないが、見た目が似ているため便宜上、豆とされている。世の中には見た目が似ているからという理由で同じ仲間にする。タラバガニとズワイガニもまた然り。
では、もし、人間のように感情を持った機械があるとしたら、我々人間はそれを人間と呼び、仲間と認識できるのだろうか。
ジャズが流れる店内。レコードで再生されていて、時折ぷつぷつと音が切れるも、明るい曲調をしている。
テーブルには角砂糖の入った陶器の小瓶と底に極少量のコーヒーが残ったカップとソーサーが置いてある。その席には二人の若い男女が座っている。
天井と苦瀬の間の空気は音楽とは逆に重い。喫茶店で男女二人が重い顔と言えば、破局寸前のカップルを彷彿させるが二人は決してそういう仲ではなかった。そして空気が思い理由は破局寸前だからではなく、強いて言うのなら破産寸前だからだった。
新人店長の天井は眉間を揉みながら呟く。
「今日も赤字だ……何故だ、何故赤字なんだ」
「それは店長の顔が怖いからでは」
「関係あるか!」
「ほらほら。すぐに怒らない、本当に怖いですよ」
苦瀬の言うとおり、今の天井の顔はひどく険しかった。合戦を目の前にした武士のようだった。顔が怖いことは本人も自覚はしていたものの、素直には認めたくない。
「ずっとこんな顔じゃないだろ、接客してる時はsmileだろ」
「スマイルはスマイルでも今度は不気味になるんですよね」
「……だからいつもは裏方にいるだろ」
「でもそれだとホールが足りなくなります。回転率が悪くなります。客足が遠のきます。ほら、この通り。風が吹けば桶屋が儲かる理論です」
「……それならお前の仕事の覚えが悪いのも原因だな」
図星を突かれ、苦瀬は小さく呻く。働いて三ヶ月になるが、未だに細かいミスを犯す。レジの打ち間違い、注文の聞きこぼしなど、一日の内に何回も繰り返す。
「アルバイトに責任押し付けすぎです! ミスしても仕方ありませんよ!」
「開き直りやがったな!」
「何ですか、こっちは安月給でも頑張ってるんですよ!」
「安くてもいいから働かせろって言ったのお前だろ! 」
「じゃあせめて、アルバイト増やしてくださいよ! 本当にたまにですが、回せない時もあるんですよ!」
「そのお金もないのはお前が一番わかってるだろ、経理!」
「そうですよ! 経理志望ですよ! いつの間にホールにするんですか!」
「顔の怖い俺を見兼ねて、お前が名乗り出たんだろうが!」
「ほら、やっぱり店長の顔が怖いのが原因です! なんとかしてください!」
「なんとかできるかー!」
ぼーんぼーん、と壁に掛かった古時計が時を知らせる。
ぴたっと二人は喧嘩を止める。
「もうこんな時間か、早く帰れ。それと送る」
「いいえ、結構です。店長もこの後も仕事残ってるんですよね」
苦瀬は女子高生だった。ヒートアップした店内とは違い、店外は震えるほど冷え、空が暗くなっていて、未成年一人に出歩かせるには危険だったが彼女は頑なに断る。
店の入り口のドアを開けると二人の頭上でチャイムが鳴る。
「怪しいやつに遭わないよう気をつけて帰れよ」
「店長も怪しいやつに間違われないよう気をつけて帰ってください」
叱る間も与えず、逃げ去るように退勤する。天井は彼女が角を曲がり見えなくなった後に再び店内に戻った。
苦瀬の帰り道はアーケードの下でも照明が切れたまま交換されてない理由などで明かりが少なく、足元がはっきりしていない。そんな中、彼女は考え事をしながら歩く。考え事とはアルバイト先の赤字解消についてだ。
先程まで口喧嘩を繰り広げていたが、決して仲が悪いわけではない。あれでも頼りにしているし、今のアルバイト先を大切にしたいとも思っている。女子高生に出来ることなど限られているが何かの力になりたかった。
「やっぱアルバイトを雇わなくちゃいけないのよね……でも……」
実はアルバイト先は学校で密かに人気となっている。理由は様々だが、限りなく少数だが、ひとつの理由としてマスター、つまり店長がそれなりにイケメンということを小耳に挟んでいた。
苦瀬は自分以外の女性を職場で働かせるのを好ましく思っていなかった。
「まあ男女共にうちに来る人いないか。お向かいの大手チェーン店があるし」
赤字の理由は回転率の悪さだけではなかった。向かいにライバル店が建っていることこそが理由として大きかった。ライバルを立ち退かせるのはまず無理な話なので、やはりまずは自己の改善をしなくてはいけない。
「やっぱりアルバイトを増やすべきかな……それとも……」
考え事に夢中になり、苦瀬は何かに躓いて前のめりに転びそうになるも、なんとか持ちこたえる。
躓いた場所はごみ捨て場だった。躓いたものは規定の場所からはみ出して落ちていた。
「もう、ゴミならちゃんと入れなさいよ」
正義感の強い彼女はそれを拾い、ごみ捨て場に移そうとした。その瞬間、満月が雲から顔を出し、拾おうとしたそれの全景がはっきりと見える。
それは人型をしていた。それを見間違うことなく、苦瀬はしっかりと視認した。
夜中に甲高い悲鳴が響いた。