不穏な空気
「最近物騒な話ばっか聞くな・・・まぁた戦争だとよ」
「嫌な世の中になっちまったもんだねぇ・・・」
王女の世話(主に言葉遣いやマナーの勉強)が終わると、俺は決まって酒場へ出向く。ここはいろんな情報が集まるから、新しい情報を手に入れるにはうってつけの場所だった。
その情報というのも、近所のおばさんの井戸端会議のような内容から、遠い遠い国から流れてきた放浪者などが持つ国の外の様子の事など、さまざまだ。
この日、そこで俺の耳に入ったのは隣の席に座っていたおばさんとおっさんが話していた内容だった。
戦争。この国では長い事無縁であった言葉だ。
「おっさん、戦争ってどこの国が?」
「ん?何だ小僧、そんなことも知らねぇのかい?お隣の聖ティール帝国とその反対隣の水の街ラーグが冷戦状態らしい」
水の街ラーグ。街というだけありとても小さいが、のどかな街だ。ここは国という形ではなく、領主が統治しているような場所だ。とにかく水資減が豊富で、たびたび隣国に狙われる事があった。そのたびに我が国シゲルが仲介して守っていた。その街がティールのような大国と戦争?
「おいおい、おっさん。あの小さな街がティールと戦争だって?狙われてるの間違いじゃねぇのか?」
「いや、それがそうじゃないらしい。なんでも、今回はティールのお偉いさん方もシゲルの目をかいくぐってラーグに攻め入ったそうだがよ、なーんとまぁ、返り討ちにされたらしいんだよ」
「返り討ち?そりゃ、小さな街だからって油断して攻めるからじゃねえの?それにしたって帝国が街に負けるなんざ信じがたいがな」
相当油断してたんだね、こりゃ。しかしまぁ、戦そのものを崇拝しているような国だ。ショックもでかいだろうな。
だが、おっさんは神妙な顔つきになり呟いた。
「いや・・・あの国は全力で潰しにいってたさ」
「・・・は?」
「あの国が、戦で手を抜くわけがないだろう。もちろん、この国に気が付かれないようにというのもあって、沢山の兵士を送れたわけじゃないが、それでも街一つを奪うには充分すぎる数を連れて行った」
「どういうことだよ?」
つまり、まともに勝負してティールが負けたってことだ。ますますわけがわからない。
「ラーグにはとっておきの切り札があったんだ」
「とっておきの切り札・・・?」
「奴らがラーグに攻め入ったとき、そこで応戦した人間が一人。そいつが全部兵士をのしちまったらしい」
「な・・・!?」
一人で戦慣れしている兵士を・・・?にわかに信じがたい話だ。
「何でも若い娘らしいが、詳しい事はわからんよ。俺が見てきたわけじゃないからな。旅の商人から話を聞いただけだ。そいつの話によると、若い娘が一人で沢山の兵士をなぎ倒しているのを見かけたらしい。だが、一切死者を出さずに、戦意喪失するような怪我だけを負わせてたらしいな。俺は兵士達が怪我しながら退散していくのは見たよ」
「おいおい、マジか・・・」
そんな王女みたいなアグレッシブな人間がゴロゴロいるなんてな。最近の女性は強いぜ、全く。
「ま、とにかくだ。この国をはさんで対立してやがる。こりゃまた俺達シゲル国が仲介に入る事になりそうだな」
「なるほどな。・・・ありがとな、おっさん」
俺は、軽く挨拶して席を立った。
しっかし、今日は嫌な情報だったな。
もちろん、隣国が冷戦状態だというのもかなり心配だ。だが、俺にはもっと身近に懸念している事があった。嫌な予感というやつだ。
そして、次の日俺の予感は見事に的中したのであった。
俺がいつも通り城へと出勤すると、王の間から怒号が聞こえてきた。
「何を申すか!」
「父上!許可してください!あの街には・・・守らなければならない大切な人がいることをご存知でしょう!」
街・・・うすうす予想はついていたが、やっぱりか。王女は恐らく、あの街を救いにいきたいと言い出しているのだろう。
さて、どうしたもんか。王の間に勝手に入る事などできるはずもなし、だが、俺はそこにいる王女の教育をしなければならない。今日だって、マナーや、言葉遣いの勉強、地学、魔道学など、やることは山積みだ。時間は無駄にしたくない。
そんなとき、後ろから頭を抱えた大臣がやってきた。
「おお、バルビエ。来てくれたか。・・・王女を説得してくれないか?」
「大方察しはつきますが・・・ラーグの救援に行くとか言い出したんですか?」
「その通りだ。頼む」
「わかってます。・・・うまくいくかはわからないですけど、やってみます」
そのとき、後ろの扉がバン、と勢いよく開いて王女が泣きながら飛び出してきた。そして、近くにいた俺を突き飛ばしながら、自分の部屋へと走っていった。
泣くほど、なのか___。
これは、説得すんのは骨が折れそうだな。俺の精神的にも。
「失礼します、リディ王女」
俺は遠慮がちに扉を開ける。王女はベッドにうずくまって泣いていた。
「王女・・・」
「ミシェルか。・・・かっこ悪いところを見せたな」
真っ赤に泣き腫らしながらも気丈に振舞う王女に俺は胸が締め付けられた。
「王女。なぜ、それほどまでにあの街を・・・?やはり、正義を貫くためですか?」
「それもある。だが、それだけじゃないんだ、今回は」
「?どういうことでしょう・・・?」
王女は顔を上げる。そして、近くの棚の上に飾ってあった写真を手に取る。そこには幼い頃の王女と、青い髪の少女が写っていた。
「この少女はアイリス。俺には守らなければならない友がいるんだ」
その少女は王女の親友のようだ。王女という身分から、友達も少なかっただろうということは容易に想像ができた。その数少ない友達の住んでいる街が危ないというのだ。助けに行きたいと考えるのは自然であろう。
だが、彼女とて王女という身分。戦場になるかもしれない街へ赴くのは厳しかった。
「王女・・・」
「ミシェル、頼む。父上に、俺にラーグの手助けをさせてもらえるように進言してくれないか?」
「そ、れは・・・」
軽く二つ返事で承諾できる事ではなかった。王女に何かあっては国家の存亡に関わる。俺としても、なるべく大人しくしていて欲しいとは思う。
「頼む・・・!俺は・・・アイリスに何かあったら俺は、また、ひとりぼっちになる・・・」
ひとりぼっち。その単語に俺の心は揺らぐ。なぜなら、俺もひとりぼっちの辛さは痛いほどに理解していたからだ。
俺は中途半端な貴族という身分から平民の子からも貴族の子からも罵倒されて生きてきた。
平民の子からは、俺達となんら変わらない貧乏の癖に貴族階級だなんてと罵られ、貴族階級からは貴族の癖に平民達のように貧乏だなんてと罵られる日々。
いつしか俺は、人に好かれるのを諦めた。俺には人と仲良く暮らし、人の信頼を受けるような人生は不可能だと決め付け、時間が流れるままに人生を過ごして早20年。俺は自衛本能のおかげでさほど辛くは無いが、王女のように希望を捨てていない人間には孤独というのはかなり苦痛だろう。
だが、俺はそれがうらやましかった。幸せになる権利を捨てない。それは俺にとっては至難の業だったからだ。そして、その権利は俺にもあるんだとわかっている今でも、一度捨てた希望を拾うことができていないでいる。
だからこそ、俺は応援したいと思った。そう認識してから言葉が出るまではさほど時間はかからなかった。
「わかりました」
「ほ、本当か!?」
「ええ。うまくいくかはわかりませんが、最善は尽くしましょう」
「感謝する。お前には本当になんと礼を言っていいか・・・」
「いえ。礼なんていりませんよ。その代わり、王女。どうか幸せになってください。わたくしが望むのはただそれだけです」
それでは、と俺は一礼して部屋をあとにする。大臣には怒られるだろうな。どうか解雇にならないことを切実に願う。