森を抜けて
森は不気味なほどの静寂に包まれていた。時折吹き抜ける風がさわさわと木々を揺らす。
アキムさんの言う、森に喰われるというのも、嘘ではないことが雰囲気でわかった。
「お二人とも、大丈夫ですか?」
先を歩くアキムさんが俺たちを振り返って言った。俺は頷いて答える。
「大丈夫です。痛みはほとんどありませんし」
「痛みについてはそれ程気にしてませんが・・・それよりも、この森のことです」
「森?確かに多少不気味ではありますけど・・・それがどうかしたんですか?」
その言葉に、アキムさんは少し驚いた顔をした。
「森は・・・人を選びます」
「人を?」
「森に嫌われた者は、文字通り、森に喰われます。それは先程も申しましたね。歩いているうちに、段々と身体が重くなるのです。私はこの森に好かれたようで、問題ないのですが、ここで暮らしているとき、この森に立ち入らんとした者の屍を、何度も見たことがありますよ」
その言葉に俺たちは息を呑んだ。
「・・・恐ろしいな」
隣でリディが呟く。まったくだ。たまたま俺たちは大丈夫だったからいいものの・・・。
「本当にあなた方は運がいい」
アキムさんは感心するように呟いた。
「この調子なら、何事もなくお連れの方々と合流できるでしょう」
「それはよかったです。ところで、エーリカ達は__黒いドラゴンの居場所はわかるんですか?」
俺がそう聞くと、アキムさんは立ち止まった。
「巨大な魔力の流れは、魔術の原理をそこそこ解する者なら感覚でわかりましょう。魔力の塊は依然移動中ではありますが、方角としてはあっているかと」
そう言って、アキムさんは自分たちの進んでいた方向を指差す。リディが、ふむ、と腕を組んだ。
「つまり、その方向にあるどこかに向かってエーリカ達は進んでいるっていうことか・・・」
「そうなりますね。魔力との距離が縮まったときがあれば、きっとそこが黒ドラゴンの到着地点なのでしょう。現状、どこに向かっているかはまだわからないですが、それもさして問題はありません」
「なるほど。後は、追っ手に追いつかれなければいいのですが・・・」
俺の言葉に、アキムさんは思案顔になった。
「それなんですが、追ってくる兵士が魔力の無いただの兵士であったときは多少厄介です。魔力の『におい』のようなものが全くしないので、気配で察するしかありません。まぁ、ここに潜伏しているとは彼らも思わないでしょうし、手っ取り早くお仲間の方々と合流してしまうのが良いでしょう」
「そうですね。急ぎましょう。・・・リディ、疲れてないか?」
俺は少し後ろを歩いていたリディに声を掛けた。珍しく歩が遅かったので、少し気がかりだったのだ。
「平気だ。少し、慣れない治癒術を使ったのか、体力の消費がいつもより激しいが」
「悪い・・・俺のせいで」
「気にするな。お前のせいじゃない。私のお節介だと思っていてくれ」
リディはそう言って微笑んだ。見た目はそれほど消耗していないように見えるが、中身まではわからない。俺は魔術の分野は専門じゃないので、この手のことはアキムさんに面倒を見てもらったほうがいいかもしれない。
そうしてしばらく歩いていたときだった。先を歩くアキムさんが急に立ち止まり、片手を広げて俺達を止めた。
「何か音がします」
「音が・・・?」
俺もリディも音は聞こえなく、首をかしげるだけだったが、アキムさんにはその音がしっかり聞こえているらしかった。少しの間、アキムさんはその音に耳を傾けていた。
「後ろか・・・!」
アキムさんがそう呟いたかと思うと、近くに居た俺の手をいきなり掴んで
走り出した。
「お二人とも!走りますよ!」
アキムさんは、おっとりとした柔らかい物腰からは考えられないくらいの速さで森の中を駆け抜けていった。俺は引っ張られながらだったので、木の根やらなにやらに躓かないように気をつけるのが精一杯だった。そんな中で少し心配だったリディを見やると、やや遅れながらもしっかりついてきているようだった。置いてきてはいないかという懸念はひとまずなくなったようでほっとした。
リディは何から逃げているのかわからない状況だったようで、不思議そうな顔をしながら走っている。大丈夫だ、俺もわからない。
ただし、そんな状況も、とうとう終わりを告げる。出口も遠くに見えてきた時に、アキムさんの言っていた音が正体を現した。
「な、何だよ、あれは!!」
俺は振り返った瞬間、見てはいけないものを見てしまった。
禍々しい、気のようなものを宿した森の動物達が一心に俺達を追いかけてきていたのだ。何かに取り憑かれたような動物達は、元の動物の原型をほとんど留めていないものがほとんどで魔物に成り下がる一歩手前という雰囲気のもので溢れていた。
「森の外まで、あと少しです!このまま走り抜けてください。いいですね!」
動物達の足音に負けないよう、アキムさんが声を張る。それを合図に、俺はほとんど塞がっていた傷が広がるのも気にせず全力疾走を開始した。リディも俺の横に並ぶ。
俺達は三人横に並んで走り続けた。
そして、まぶしい光を受けて、やっとのことで草原まで出た。それほどまでに長い距離を走ったわけでは無いはずだが、体力と気力の消耗が半端ではなかった。動物達の足はそれほど速いわけではなく、少し後ろに引き離してはいたのだが、あの恐ろしい形相、どうしたって必死に逃げてしまうだろう。俺は脱力して草原に寝転がった。
「やっと、草原まで、来た、か・・・リディ、無事か?」
「ああ、私は大丈__ミシェル!あれを見ろ!」
リディが森の奥を指差す。
その先には動物達の狂気を帯びた目がぎらぎらと光っていたのだった。そして、その足音も、止むことはなかった。
「草原まで、出てくるのか!?」
俺は飛び起きて、逃げる用意をした。だが、アキムさんはそれをさっと、手で制する。
「ミシェルさん、ここまで来れば問題ありません。あとは私に任せてください」
そう言うが速いか、アキムさんは森の目の前に立って、すっと手を森に伸ばした。
「__精霊よ、頼みましたよ」
アキムさんがそう呟いたかと思うと、森の方から光の粒が溢れ、森一帯を包み込んだ。動物達はその光の粒よりこちら側には来れないようで、何度か突進を試みるものの、諦めて森の中へと引き返していった。
「た、助かった・・・のか」
アキムさんは、ふぅ、と息をつくと、俺達の方へ振り返った。
「森の精霊に頼んで、彼らを森から出さないようにしてもらいました。このまま目的の方向へ向かいましょう」
「精霊に頼む?そんなことができるなんて・・・」
リディは驚いたように呟く。
「私は少し特別なんです。・・・ともあれ、今の森の発光は、ティールからも確認できるはずです。急いでこの場を離れた方がいいでしょう」
こうして、森を抜けた俺たちは、アキムさんの案内する方角に歩き出したのだった。




