王女の決意
次の日。俺はいつも通り王女の部屋へ向かう。少しだけ慣れてきたのであまり緊張はしない。もっとも、緊張よりも問題が山積みなので、どう解決していくかと悩む方が当面の気苦労だった。
しっかりと扉をノックして開けると、そこには、青い男物の闘牛士の服を着た王女が居た。その上からフード付きのマントを着ている。
お互いに「あ・・・」という顔で固まってしまった。
「お、王女・・・まさか・・・男装趣味まで・・・」
そう嘆く俺に、王女は慌てて否定した。
「ち、違う!!これはだな・・・」
そこまで言ったが、なにやら口ごもっているようだった。
「え、違うんですか?」
「違うに決まっているだろう!さすがに男装趣味は無い!」
「じゃあ何でそんな格好を?」
王女は諦めたようで溜め息をつきながらフードを取った。
「・・・俺はこれから町に逃げるつもりだったんだ。そのためには、動きやすい服装の方がいいだろう」
「まっ、町に逃げる!?何でですか!!」
思わず声を荒げてしまった俺に、王女はしーっと人差し指を口の前へ立てる。
「今日は俺の叔父様にあたるジャメル公爵が来るんだ」
ジャメル・アルシェ公爵。このあたりの貴族層の管理を任されている公爵だ。裕福を絵に描いたような人物で、権力を示す事で自分の存在価値を世に示そうとしている事で有名だ。裏で何か黒い取引などもしているらしい。実直な騎士になろうと努力する王女の事だ。ジャメル公爵は敵と言うべき相手なのだろう。正義の名の下、粛清する!だなんて言いださなかっただけマシと思わなければ。
「やっぱり・・・苦手なんですね」
「ああ・・・。だからいつも叔父様が来るときは町へ逃げ込むのだ。すまない、見なかったことにしてくれないか?」
これは難しい問題だ。王女の教育係である俺が王女の脱走を見逃せと言うのか。
「王女・・・さすがにそれは___」
そういいかけたとき、後ろのドアがノックされた。
「・・・遅かったか」
王女が苦虫を潰した顔をしてフードを被る。
不意に扉が開く。派手な服を着た小太りの男。この男こそ、ジャメル・アルシェ公爵だ。公爵は王女を見つけると、仰々しい態度で接した。対する王女の顔は嫌悪にゆがむ。そして、その奥に潜む微かな怯えを俺は見逃さなかった。
この男、一体・・・?
「おお、リディ様。お久しゅうございますな」
「・・・叔父様。様付けで呼ばなくても構いません」
ジャメル公爵はあからさまに嫌な顔をする王女を気にせず続けた。
「何をおっしゃいますか、リディ様。あなたは次期王妃。あなたを敬わずとして、誰を敬えと言うのですか」
___敬うんだったら、その媚びた顔をやめろってんだ。
俺は少々むかつきつつも、2人のやり取りを黙って見守る。
「俺はそんな事頼んだ覚えはないです。叔父様。もう放っといて下さいませんか?」
冷めた目で睨みつける王女に、ジャメル公爵は商談用の笑顔を向けた。
「おやおや、そのような怒った顔をなされてはせっかくの美貌が台無しですぞ」
ジャメル公爵はニコニコと笑みを浮かべながら王女の肩に手を置こうとする。
俺はとっさに、その手を掴んだ。
「王女に・・・触れないでいただけますか?」
その瞬間、ジャメル公爵は浮ついた笑みを消した。
「貴様は誰だ?」
「リディ・アルシェ王女の教育係の者でございます」
俺は恭しく一礼する。一応相手は天下の公爵様だ。礼だけはつくしておいてやろうじゃないか。どんなに悪い奴だとしてもな。
「ふん、教育係風情が。わしのやることに邪魔をするな」
「ええ。ジャメル様のされることに邪魔立てはいたしません。しかしながら、王女の身の上をお守りするのがわたくしの役目。それを果たさぬのは、教育係失格かと思った故、お声かけした次第にございます」
そう一気にまくし立て、公爵の顔を見ると、顔を真っ赤にして憤慨していた。
「貴様・・・!わしが王女にとって危険人物だとのたまうか・・・!」
「先ほどからそう述べております」
こういう奴には、至極冷静に対応した方がこっちのペースにもってこれることはこれまでの経験上理解していた。だがまぁ、権力っていう武器がある奴相手には少々危険な賭けでもあるのだが。
「ふざけおって・・・!わしの力で貴様などすぐにでも牢に入れてやる!」
さすがにちょっとやばいか・・・?額に冷や汗が走るが、言ってしまった以上後には引けない。
と、そのとき。
「叔父様。彼を不問にしてください」
王女が凛とした声ではっきりと言った。その顔には、先ほどの怯えは微塵も感じられなかった。
ジャメル公爵はふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「いくらリディ様の頼みでも聞けませんなぁ。私は今、気分を害している」
そう顔を真っ赤にしながら公爵は言う。だが、王女は対照的に氷のように冷たい顔で告げた。
「・・・命令だ。ジャメル・アルシェ公爵。その者を不問にしろ。それと、俺も今かなり気分を害している。部屋から出て行ってくれ」
その顔は美しい鬼のようだった。公爵はその気迫に押され、それ以上何も言えず黙った。
ややあって、公爵が口を開いた。
「・・・御意にございます」
ばたん、と扉が閉まる音がした。部屋に残ったのは2人。俺と王女だけだ。王女の顔を見れなくて俯いていたが、沈黙に耐えられなくなった俺は口を開く。
「・・・余計な事をしてしまったでしょうか」
「いや、そんなことは無いさ。俺は、嬉しかったぞ」
その声にはっと顔を上げる。フードを被った王女は困ったように笑う。
「あとで父上に説教されるだろうな。だが、俺は正しい事をしたと思っている。助けてくれた者を見捨てるのは、騎士の行いではない」
「王女・・・」
王女は自虐的に笑い、話しはじめた。
「叔父様は裏で相当悪いことをしている。俺は、いつかは叔父様を糾弾するつもりだ。だが、俺は今まで叔父様に逆らえなかった。昔から叔父様に逆らうと、母上に罰として城の屋根裏部屋に閉じ込められたんだ。ひどいときは、一日食事抜きだった事もあったな。いつしか、俺は叔父様に逆らうのをやめた。でも、それじゃいけなかったんだ。自分の正義を貫き通せないのに、騎士になりたいなんて言っちゃいけなかったんだな」
「そんな・・・!お母様が、当代の王妃のジュリア様がそんなことを?」
現王妃のジュリア・アルシェ王妃はとても温厚で慈悲深い方だ。常に国民の平穏を願い、それを叶える為に奔走している。そんな王女が悪を野放しにしているのはにわかに信じがたかった。今だって、他国との友好関係を築きに各地を奔走していた。ジュリア王妃の国を愛する気持ちは本物のはずだ。
「母上は何も知らなかった。叔父様は王室に多大な寄付をして信頼を集めていて、王室からはとても頼れる公爵と思われているのだ。加えて母上も正義感の強い人だからな。俺が正しい事をしている人間に逆らったと思っていたのだろう」
俺は何もいえなかった。そんなに過酷に生きてきたなんて知らなかったのだ。そして、王女が小さい頃からそこまで正義というものを大切にしてきたことも。王女の性格を考えると、耐え難い毎日だった事だろう。
王女はフードを取ると、腰に挿したレイピアを抜く。
「これは小さい頃に、騎士に憧れていた俺に母上がくれたものだ。俺はこの剣に誓う。もう、正義を見失ったりしないと」
正義。俺は、その言葉にわずかな安心を覚えた。正義という言葉は慈悲深い王妃となるにもついて回る言葉だ。その言葉が心にあるなら、きっと王女は大丈夫だ。時間がかかろうがなんだろうが、俺が必ずや王女を立派な王妃にしてやる。
「正義・・・。王女、どうかその言葉を忘れないでください。その言葉は、あなたにとって、そして、国民にとっても重要な言葉になるでしょう。そしてあなたがその言葉を忘れない限り、あなたの人生は幸多きものになるでしょう」
「なんだそれは。予言か?」
「いえ、わたくしの勘です」
俺はきっぱりと言い切る。少しの間静寂が流れる。次の瞬間、王女は吹きだした。
「そうか、そうか。勘か。お前の勘はなぜか当たるような気がする。肝に銘じておこう」
「ありがとうございます」
俺も釣られて笑顔になる。よくよく考えてみると王女の屈託の無い笑顔を見たのは初めてだった。
この笑顔のおかげで、これからも頑張れる気がした。