出発
「とうとう出発の時ですな」
翌朝、森を抜けた草原まで見送りに来てくれたガルナルの民に、俺たち三人は別れを告げていた。長をはじめとして、ガルナルの民全員が送りに来てくれた事が嬉しかった。
だが、リディは浮かない顔をしていた。
「どうしたんだ、リディ?」
「メガイラは・・・まだ目を覚まさないようだ」
そう、リディが気にかけていたのは、メガイラさんのことだった。昨日、サラーナを助けて倒れてから一向に目を覚まさない。
「大丈夫だよ、リディ。息はあったんだ。きっと数日後には目を覚ます。ドーラフの持っている共鳴石でガルナルの民と連絡を取れる。変化があったらきっと皆が知らせてくれるさ」
今朝聞いた話によると、共鳴石が二つあれば離れた所でも交信ができるんだそうだ。便利なもんだ。
「そう、だな・・・」
それでも不安が隠せない様子だった。リディにとってメガイラさんはとても大切な人なんだろう。そんな人が昏睡状態にでもなれば誰だって気がめいる。
「長、行ってまいります」
俺の隣にいるドーラフが、清閑な表情で長へ告げた。長は静かに頷く。長の後ろからサラーナが出てきた。
「お2人とも、本当にお世話になりました。お2人の大事な旅をわざわざ止めてまで私たちに協力してくれたこと、心より感謝しております」
そう言うと、サラーナは後ろを振り返る。それを合図にして三人の男性が馬を連れてきた。
「この馬は風馬と言う品種の馬です。この森の付近でよく育つ、とても足が速い馬なんですよ。この馬を使えば、ティール国まで半日もかからないと思いますよ」
サラーナが微笑んだ。
「サラーナ、ありがとな!」
俺は片手を挙げて礼を言う。俺たちが馬に乗ったのを確認すると、長が前に出てきた。
「それでは皆さん、ご武運を」
その言葉とガルナル族の皆の声援を背に受けて俺達を乗せた馬ははものすごい勢いでティールに出発した。
「こ・・・この馬めっちゃ速ええ!」
「ふむ。これほどまでのスピードとは・・・」
俺達の言葉に、ドーラフは隣に並んで言った。
「この風馬に足の速さで敵う品種はいません。あの近辺の草原でしか育たない、貴重な馬です」
「この馬、お父様もシゲルへ輸入していた。兵団では随分と世話になっているようだ」
「おや?確かにこの馬は足は速いですが、統率が取りにくいし、振り落とされる危険性も高いのに兵団で使うのですか?」
「ああ。われわれの兵団は戦闘を目的にしていないからな。なにかあったときに現場にすぐに駆けつけられるためには足の速い馬は必要なのだ」
「なるほどね・・・。納得しましたよ」
草原を颯爽と駆け抜ける三頭の馬。かなりのスピードなので、乗っているこっちも反動が凄い。数時間草原を駆けているうちにとうとう目的地に到着した。
遠くの方に、大きな城壁が見えてきた。ティール国だ。ほとんど要塞都市に近い形をしているティール国は、のんびりとした草原に存在感を誇示しているかのように見えた。
俺達は一旦馬を止める。
「で、どうすんだ?怪しいやつは入れてくれないんじゃないか?俺達はこの国に潜入するんだから」
俺がそう言うと、ドーラフは考え込んだ。
「そうでうすね・・・どうしましょうか」
そんな俺たちの様子を見て、不思議そうにリディが言った。
「正々堂々入ればいいじゃないか」
何を悩んでるんだ、といわんばかりのリディに半ば呆れた。
「おいおい、リディ・・・誰が自国に潜入する侵入者を招きいれるんだよ」
「別に侵入者と言わなければいい話だ。我らはシゲルから来た使節団だと言えば、特に警戒される事も無いだろう。もし万が一、お父様に確認を取られても、お父様なら空気を読んでくれるだろう」
「バカいうなよ。王様に知られたら、青くなって連れ戻しにかかられるぞ」
「・・・そういえばそうだったな」
振り出しに戻ってしまった問題に俺たちが頭を悩ませていると、ドーラフが意を決したように言った。
「もしかしたら、誰にも見つからずに進入できるかもしれません」
その言葉に俺とリディは驚いてドーラフを見た。
「ドーラフ、どうするというのだ?ティール国の城壁は侵入などできる仕組みになどなってはいないぞ」
「俺も上手くいくかわかりませんけど、方法が無いでもないんです」
そう言って、ドーラフはリュックの中を漁り始めた。俺たちが何事かと見つめていると、ドーラフは一冊の古めかしい本を取り出した。
「この本は長が持たせてくれました。ガルナル族に伝わる秘伝だと」
「秘伝?」
リディがそう聞くとドーラフは頷いた。
「代々ガルナル族では、この秘伝の書により命拾いをした場面がいくつもあったそうです。今回の旅の際に、どんなに危険が溢れているかわからないから、と俺に託してくれたんです。長が言うには、敵に見つかりたくないときに開け、と」
「そんな大事な物預かってきたなんて・・・プレッシャーだな」
俺が息を呑みながら言うと、リディは不敵に微笑んだ。
「何を心配する事がある。元より死んで帰る気などさらさらないだろう。荷物の管理さえしっかりしていれば大丈夫だ」
相変わらず、大胆なことをおっしゃるよ、このお姫様は。
だが、一理ある。
「・・・そうだな。で、ドーラフ、その書には、なんて?」
「__これは、魔法?少し複雑な術式のようです。でも、これくらいなら俺でもできます」
リディも上から覗き込む。
「風魔法か。中級に部類されるようだが・・・これが、秘伝なのか?」
中級魔法が秘伝、か。つまりそれほど難しくないようだが、秘伝に属されるほど危険な術のようだ。
無言でその魔法を理解しようとしていたリディが、1つ溜め息をついた。
「__俺には発動できない魔法のようだ。残念だ」
「なんでだ?ちょっと前だって結構難しそうな魔法やってたじゃないか」
「魔法には相性というものがある」
「相性?」
俺の疑問にリディは頷いた。
「ああ。まぁ、大抵の相性というのは習得しにくい程度なのだが、この魔法、どうやら、風使いにしか扱えないようなんだ」
「風使い・・・つまり、ドーラフしか発動できないと?」
ドーラフは苦笑した。
「そういうことなんです。ガルナルの民は皆風使いなので、誰でも使えますけどね」
「なるほどな。で、その魔法の効果はなんなんだ?」
「__風になる魔法です」
「風になる魔法?」
音速で走れるということだろうか?
「風になる。つまり、俺たちが誰にも見えなくなるんです。俺たちが誰かの横を通っても、その人たちには風が通り抜けたようにしか感じられないのです」
「!!そりゃあすげえ!」
透明人間になれる魔法なんて聞いたこと無い・・・!やっぱりすげぇ魔法なんだな。
「しかし、この魔法にも欠点はあります。それは、術者が術の最中に死んでしまったら他の者も道連れ、ということです」
「でも、術の最中ってことは、風になってるときだろ?自然災害でも起こらない限り、死ぬ事は無いんじゃないか?」
「いえ、この術も万能ではないんです。高度な魔術師にでもなれば、いとも簡単に見破られますから。まぁ、カモフラージュする方法もあるんでしょうけど、そんな簡単に出来る事ではないでしょう」
なるほどな。じゃあメガイラさんくらいなら簡単に見抜けるのか・・・。
腰をかがめて秘伝の書を覗き込んでいたリディが体を起こした。
「大丈夫だ、2人とも。あそこにいるのは一般兵だ。見たところ、街に結界が張ってあるわけでもなし、あの場で見つかる事はないだろう」
「・・・?意外だな。シゲル国だって結界くらいは張ってるだろ?」
結界というのは、あらゆるものから国を保護するための呪文だ。侵入者が出たときに作動して中に入れないようにしてくれる。
「我が国にはメガイラがいるからな。だが、結界を張れる魔術師はそう多くはない」
「メガイラさん、そんなに凄い人だったのか・・・」
大魔術師の名は伊達じゃなかったってことか。
ドーラフは本を開いたまま立ち上がった。
「とりあえず、一通り魔法を覚えましたからやってみましょう。時間制限とかはないようですから、城の中までこれで入りますか?」
「いや、さすがにそれは無謀だ。恐らく城の門は閉じているだろうし、この魔法で通れるのは街の門までだろう。うまく街の中へ入ったら街で情報収集だ」
「そうですね。潜入するにしても、きっと誘拐されたご友人がいきなりいなくなったとしたら、何をしでかすかわかりません。慎重に行動する事を心がけましょう」
それでは、とドーラフが槍を手に取る。その瞬間風がドーラフの周りに集まっているように感じた。
「・・・風に愛されているのだな」
ぽつり、とリディが呟く。
「風に愛される?」
「ああ。風使いというのはそう数は多くない。風と共に生き、共存している者にのみ、風が心を許すのだ」
「そういうものなのか・・・」
ガルナルの民はこの風になる魔法を秘伝としてきた。つまり、ガルナルの民全体が風に愛されているということだろう。
「お二人とも!」
ふと、ドーラフの声がして俺達は顔をそちらに向けた。ドーラフの近くには風が集まっていた。竜巻を作ってドーラフの周辺の草を激しく揺らしている。その中心でドーラフが叫んだ。
「魔法をそろそろ発動させます!この風の中へ!」
「・・・行くぞ、ミシェル」
「__ああ」
風になる。俺にとって、初めての体験だった。緊張の面持ちで風の中に入る。俺たちの準備が整ったのを見計らってドーラフは魔法を発動させた。
「__ストリボーグ」
そのドーラフの言葉と共に、辺り一帯に強風が吹き始めた。
「な・・・なんだ!?」
俺は周りの様子が確認できないことに不安を覚えた。
「慌てないでください!この風がやんだら、この魔法は成功しているはずです」
そうどこかで声がした。ドーラフだろう。近くにいるはずなのに距離感がわからない。音が聞こえづらく、砂埃で視界が悪く、そして、何よりいつもと違う感覚。おかしくなりそうだった。
だが、幸いにもその時間は長くは続かなかった。
少ししたら風もやみ、辺りは何事も無かったかのように静まり返った。
三人ともさっきと変わったことはほとんど無い。
「魔法は、成功したのか・・・?」
俺が恐る恐る聞くと、ドーラフは微笑んだ。
「ええ。成功しているはずです。例えば、右手を動かしてみてください」
そう言われ、俺はゆっくりと右手を持ち上げた。そのときに、いつもと違う感覚を覚えた。何かがまとわりついているような感覚だ。
「これは・・・風?」
「ええ。風です。俺達は一緒に魔法を受けたので互いの姿は見えますが、このまとわりついている風が、他人から俺たちの姿を消してくれるんだそうです」
ドーラフが本を片手に説明した。
「それは便利だな。これでティール国に潜入することが出来る。礼を言うぞ、ドーラフ」
「いえ__俺も、役に立ちたかったんです。俺の大切な仲間達を守ってくれた恩人に、槍を向けてしまった償いを、させて欲しかったんです」
「ドーラフ・・・」
やっぱり、まだ気にしていたみたいだ。俺達は何も気にしていないっていうのに。
ドーラフは僅かに首を振って俺たちを真っ直ぐ見つめた。
「足手まといにはなりません。どうぞよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
リディはそう言いながらドーラフに手を差し出した。ドーラフはそれを静かに握り返す。
こうして俺たちの潜入作戦は幕を開けた。
 




