#5
朝食の後、ラウルは村の散策に出かけた。人が活動を始めた村には、人間が少ないなりにも活気があり、幾人かは既に畑で作業をしている。
自分の国でも見たことのある風景だが、今まで見る余裕の無かった他国の日常が、ラウルには物珍しく思えた。
「あらぁ、もしかしてラウルじゃないの?」
杖を突きながらのんびりと歩いていると、突然名前を呼ばれた。振り返るとそこには、日除けの頬被りをした若い女が三人。ラウルが反応したことで、やっぱりそうよ、と互いにささやきあっている。
「歩ける様になったのね」
「怪我の具合はどう?」
「食欲はある?」
三人に囲まれ、畳み掛けられ、戸惑うラウル。
「え……そ、そうだな、マシューのお陰で随分と良くなった」
話し声を聞いてか、側の家から他の村人たちも顔を覗かせた。
「あんたが噂の兄ちゃんか! 元気になって良かったなあ」
「家へいらっしゃいよ。ご馳走するわ」
思わぬ歓迎にたじろぐラウル。初対面の相手に、こんなにも親しみを持って接せられるのは慣れていない。
何と返せば良いのかと対応に困っている所へ、見覚えのある男が現れた。
「お前等! なーに怪我人にたかってんだよ!」
ラウルはジャンに後光を見た。朝日を背にして、短髪の先が透けて光って見える。
「見ろよ! 困ってんだろ!」
なんだかこう、自分の対人能力の低さを露呈するようで情けない。
ジャンの追い払う仕草に、渋々と村人達が家へと引っ込んでいった。
「助かった、ありがとう」
今度はもっと愛想良くなろう、と思いながら礼を言う。
「こっちこそ、ごめんな。こんな所じゃ客もめったに来ねえから、外の人間が珍しいんだ。気が向いたら、なんか話でもしてやれよ」
俺も聞きてえしとジャンは笑い、それからまだ立ち去っていなかった三人娘に向き直った。
「お前等も仕事あんだろ?」
三人はそれまでラウルに見せていた表情を苦くする。
「何よ」
「邪魔しないでくれる?」
「あんたに関係無いでしょ」
声の甘さも消え、もはや別人。
「ほら、怪我人なんだし疲れるだろ? 話し相手なら俺が後でなってやるから」
「自惚れんじゃないわよ」
「顔の良い男と話す方がずっと楽しいわ」
「あんたのニキビ面なんてご飯のおかずにもなりゃしない」
ねぇ、と三人が揃って愛想の良い顔をラウルに向ける。手品のようだ、と感心して見ていたラウルは、急に話を振られてとっさに返す事も出来ず。
「まさか……?」
「うわ、最低」
「気を付けてね! 男はみんな狼よ!」
ラウルの返答を待たず、一方的な会話は続き、勝手に終わり、三人ははしゃいだ悲鳴を上げながら畑へと走って行った。
女性の会話とは、こうも展開が速いのか。ほとんど付いていけなかった。
少し落ち込むが、それ以上に落ち込んでいるらしい男が隣にいた。
ラウルは沈みに沈んだジャンの肩をぽんと叩く。
「俺はお前の顔、結構好きだ」
「……この流れでそんな事言っちゃうんだ?」
気を取り直したジャンは、ラウルに村を案内した。
村人達が頻繁に声を掛けてくる中でラウルはいくらか慣れてきて、戸惑うばかりでなく、少しは歓談と言うものが出来るようになった。ジャンの仲介もあるが、それよりも、村人達の気の良さがその大きな要因だ。
「これで最後、会合所」
「こんな所で全員入るのか?」
ラウルの歩く速さに合わせて村を一周し、他の家とたいして変わらない質素な造りの小屋の前で立ち止まる。
「全員って……たった七人が入らない訳ねえじゃん」
「少ないな」
「まあ、村自体小せえからな。五十人位しか居ねえもん。これでも過去最大の人口なんだぜ」
婆っちゃんがそう言ってた、と付け足す。
「そう言えば、ラウルってサンフィゼール人だよな」
自らの出身を語った覚えは無く、「あの服の、太陽の紋章だよ」と補足されてようやく思い至った。
あの日は軍服を着ていた。当然、国章である朝日が意匠されている。
「あっちからエルザスにどうやって来たんだ?」
少し見上げるジャンにラウルは目線を合わせた。
「サネル洞窟を通ってだと思う」
ジャンの目が大きく開く。
「……あんた良く生きてたな」
サネル洞窟は、サンフィゼールとエルザスが挟むサネル山脈を貫く天然のトンネルで、国境の警備も無く、それを通れば両国を行き来出来る。しかし出入国の制限が厳しい現在の情勢下においても、それを実行する者はほとんど無い。無数の枝分かれや微妙な歪みが、通る者をことごとく迷わせて来たからだ。両国がそれぞれ送った探検隊が遂に帰らなかった時から、警備兵はいなくなった。
「どうやって正しい道が分かったんだ?」
「分かったというより、何となく気になる方に歩いてたら出口があったと言うか……」
「つまり、てきとーに歩いた?」
「まあ、そうなるな」
強運に呆れるジャンに、ラウルはふと浮かんだ問いを発した。
「今更なんだが、お前は仕事無かったのか?」
「ああ。今日は猪狩りだから夜から……いや、待てよ……。あ! 当番忘れてた!! やっべ、またカルロの親父に怒られる!!」
また今度なと残し、全力で駆けて行くジャンをラウルは呆然と見送る。その顔に、ふっと笑みがこぼれた。少しの寂しさを感じさせる微笑だった。