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激戦の幕が上がる。一筋の迷いも捨て去った心は、ただ己のすべてを込めて竹刀を振り抜いた。響き渡る打突の音と、静かに流れる汗。勝敗を超え、心と心が深く触れ合った瞬間だった。


 告白されて・・・・フラれた ?・・・・


 ヘタレ過ぎるだろ・・・桐生心。 


 何かが狂い始めたのは、インターハイ個人戦の時、武藤先生の苦悩を知ってしまった時からだった。


 深く考えるつもりは無かったはずだ。

 けれど、あの時以来、自分は何の為に剣道を続けてきたのか、俺自身の剣道とは何なのか・・・

 心はいつもその疑問を繰り返し、迷う心は剣を鈍らせていった。


 大将の役割。

 正剣の意味。


 武藤先生から問われていたことへの回答も、見つけ出す心も折れていた。

 

 このままじゃだめだ。

 と思う心と、

 剣道は己に勝つこと・・・

 ふざけるなぁ!・・・・

 という心が常に同居し、迷いは迷いの連鎖を生んでいった。


 そして、十一月の初旬。

 キョウちゃんと、高梨が連れ添って歩いている場面に出くわした。


 なんか、どうでもよくなった気がした。

 武藤先生の心。

 俺の剣道。

 キョウちゃんの心。


 それにも増して、何も解決しようとしない、俺自身がどうでもよくなっていた。


 決意とはなんだ。


 今の自分に決別して、そして、新たな一歩を踏み出すこと。


 わかっていながら、どうでもよくなった俺の折れた心に、みゆきは、自分自身の心をかけた一刀を振り下ろしてくれた。

 果たし状と書かれた手紙。

 みゆきは、その言葉に、自分自身の心と、俺の心を一刀両断して、新たな一歩を踏み出す決別と決意を込めていた。


 行動を伴わない決意は(、、、、、、、、、、)・・・決意とは言えない(、、、、、、、、、)。


 みゆきは、俺に、それを教えてくれた。



 三月初旬。

 俺は、久しぶりに琢成館へ赴いた。

 

 想いを決意とする為に(・・・・・・・・)。


 インターハイ以後からの俺と決別する為に(・・・・・・・・・・・・・・・・)。


 新たな一歩を踏み出す為に(・・・・・・・・・)。



 久しぶりの道場。

 全てが懐かしい。

 その空間には、剣道以外、俗世の煩悩は微塵も無かった。


 俺は、小学生達の稽古の相手を努める。


 俺にもこういう頃があった。

 何も考えず、ただ、ガムシャラに相手に向かって行く。


 さぁ、真剣勝負をしよう。一本勝負だよ。


 相手は、小学校四年生の男の子だ。

 お互い、蹲踞から立ち上がって、中断に構え、気合いを発する。


 す、すと俺は間合いを詰め、剣先と剣先が触れ合う。


 さぁ、君の間合いはどこかな。俺の間合が分かるかな。


 言葉はいらない。


 触れ合った剣先から相手の心が伝わってくる。


 そうか、面が打ちたいのか。

 でも、もうちょっと我慢だよ。

 そうそう、次に俺が半歩前に出た時。その瞬間だよ。

 つぅーと前に出る俺。

 その瞬間、相手の子の面が飛んで来る。

 よし、いいぞ! そのタイミングだよ。

 さて、次はどこに隙ができるかな。

 俺は、面を打つふりをして両腕をちょっと上げて、直に正眼に戻した。

 今の、見逃すなよ。俺が面を打つとき、今のように予兆があるぞ。

 俺は再び、半歩前に出ると同時に両腕の上への挙動を見せた。

 その瞬間、相手の子の大きな胴が、俺の胴を貫いた。


 稽古を終了し、面を脱いだ俺の前に、その子が正座して一礼した。


 「君は、何時から始めたの」

 「三年生の時からです」

 「そうか、よい稽古をしてますね」

 「ありがとうございます!」

 「今の様に、お相手の心が分かったら、迷い無く振り抜くことを忘れずにね」

 「ハイ! ありがとうございました」

 その子は、道場中に響く大きな声で返事をし、一礼して下座に戻っていった。


 剣道は、心と心のふれあい。

 どんなに小さな子からも、それを教えられる。



 稽古が終わり、皆が帰っていた道場。


 俺は、一人残って、床の雑巾かけをした。


 藤森先生は、静かな所作でそれを見つめている。


 雑巾かけを終えた俺は、居住まいを正して、藤森先生の前に正座して一礼した。


 「お元気そうでなによりです」

 「ハイ。ありがとうございます」

 「お顔がスッキリしていますね」

 藤森師範は、ニコニコと楽しそうに俺を見つめている。

 「今日は、藤森先生に聞いてもらいたい事があって参りました」

 「前に、君は武藤君から出された課題について言っていましたが、そのことですね」

 「ハイ」

 「それでは、私から改めて聞きましょう」

 「ハイ」

 「大将の心構えとは」

 「ハイ。先鋒が剣を抜いて開始した戦いを、勝ち負に捕われずに戦いを意義あるものとして終焉させる為に、剣を鞘に収めることです」

 「ふむ。して、正剣とは」

 「一切の邪念を捨て、一刀に、自分自身の心の全てを込めた剣です」

 ニコニコとした顔を崩さず、俺を見つめ続ける藤森師範。

 道場内に静寂が戻る。


 「武藤君が君たちに出した課題の答え、確答は、始めからなかったのです」

 「・・・・・」

 「ただ、不断の鍛錬の中で、個々人がそれを見つける努力をして欲しかったのだと思います」

 「ハイ」

 「君が、君自身が見いだした回答は、実践してこそ活きます」

 「ハイ」

 「迷わず、前を向いて歩み続けなさい」

 「ハイ。ありがとうございました」


 俺は、深々とした一礼をし、そして琢成館を振り返らず後にした。



 翌日の月曜日。


 みゆきと打ち合わせの為に一緒に学校を出た。


 みゆきは、あの日から、以前と変わらず俺と接してくれている。

 部内では、まるでキョウちゃん二世のように、キビキビと後輩達を叱咤し、後輩や同級生達も、そんなみゆきを尊敬し、部内の心は一つになっている。


 「なぁ・・みゆき」

 「・・・あぅん。。?」

 みゆきは、これからの試合予定表を食い入るように見ている。


 「・・・この間は、ありがとな」


 急に手に持った予定表の動きが止まり、ドキンとした様になるみゆき。


 「俺・・・お前の言う通り、オレンジ色が好きだ」

 「・・・・・」

 「だから、」

 「分かってるって! 何も言わなくていいよ。シンは、シンの想いを貫き通して」


 そう言ったみゆきの顔には、何らの蟠りもなくて、鮮やかな一本を採った時のように清々しかった。





 三月中旬。

 キョウちゃんは、第一志望校の法蹊大学に合格した。


 キョウちゃんの合格祝いを、俺の家で行うことになった。


 去年の十一月以来、キョウちゃんから何度かメールで話しがしたいと言ってきたが、俺は、それを一切無視してきた。

 それ以来、キョウちゃんは、俺の家にこなくなり、俺たちの関係は途絶していた。


 みゆきから聞かされたこと、高梨とキョウちゃんとの関係は、母さんから聞いて、改めて理解した。

 考えてみれば、キョウちゃん一家が茅ヶ崎に移り住む以前の事、キョウちゃんの母さんや家族の事は、一切聞いたことが無かったし、キョウちゃんの方から、それを話題にすることは無かった。


 キョウちゃんは、俺の知らないところで、実のお母さんとの死別、実の弟との葛藤の中で、苦悶してきたはずなのに、俺には、一瞬たりともそういう素振りは見せた事が無かった。


 細やかなお祝いだったが、久しぶりに、俺、母さん、キョウちゃんのお父さん、キョウちゃんが同じ食卓を囲み、にぎやかに談笑している。

 キョウちゃんは、俺と顔を合わせることに最初は躊躇している様子だったが、その内、何時ものキョウちゃんらしく、お父さんが繰り出すおやじギャグに鋭い突っ込みを入れている。


 食事が終わり、食後の珈琲をのみ始めた時、それまでだんまりを決め込んでいた俺は、おもむろに口を開いた。

 

 「おじさん・・・・母さんを幸せにしてくれよ」


 部屋の中がシーーンと静まり返った。


 母さんが、ポカンと俺を見つめ、

 「えっ・・・今、なんて・・・・」

 と問い返した。


 「だから、おじさんに聞いてるんだよ。母さんを幸せにしてくれるんだよなって」


 突然の言葉に、ポカンと俺を見つめる母さんとキョウちゃんのお父さん。


 はっっと、我に返ったキョウちゃんが、急にそわそわし始めて、お父さんの腕をつつき始めた。

 それに触発されて、キョウちゃんのお父さんが言った。


 「あっあー!もちろんさ!」




 四月、湘東学園剣道部に新た新入部員が入ってきた。

 去年のインターハイ出場によって、中等部入部者は男女合わせて二十名を超え、高等部も中等部員全員が入部してきた。


 四月末から六月まで続く、関東大会、インターハイに向けて、俺たちは稽古に全てをかけた。

 男子団体メンバーは、

 先鋒 三年林。

 次鋒 二年日下。

 中堅 三年吉川。

 副将 二年河合。

 大将 三年桐生。

 このメンバーで関東大会とインターハイに臨む。


 女子は、大将が北条みゆき。先鋒と中堅がみゆきと同学年で、次鋒と副将が二年生で構成されていた。


 関東大会個人戦初日、会場となった小田原アリーナに早めに着いた俺達は、素振りを続けていた。

 

 なにげなく俺に近づいてきた林が、俺の顔をじっと見つめて、言った。


 「やたらスッキリしてるじゃんか、顔」

 「いつも通だよ」

 「ふむ。これで湘東学園剣道部も元通り、安泰だな」

 「・・・・・」


 林・・・。お前はもしかして、俺よりも数段大人?・・・


 関東大会神奈川予選個人戦。

 俺は、憑き物からはれたように、優勝を果たした。

 林もベスト三位に入り、女子では北条みゆきが優勝を勝ち取った。


 五月に入って、同大会の団体戦。

 湘東学園剣道部は、女子も男子も優勝し、関東大会本戦でも優勝を果たし、個人戦では、俺とみゆきが優勝を果たした。


 続く、インターハイ神奈川予選、個人戦では俺とみゆきが優勝して本戦への切符を手に入れ、団体戦でも男女共に優勝して全国大会本戦に駒を進めた。


 八月。

 インターハイ全国大会本戦は、今年は神奈川で開催され、しかも地の利がよく小田原アリーナが会場となった。


 四日間にわたる団体戦と個人戦。


 決戦の場に立った俺たちには、何の気負いや迷いは無かった。


 男子団体予選リーグ。

 きわどい戦いが多かったが、俺たちは男子も女子も決勝トーナメントに勝ち進んだ。

 優勝候補は、やはり福岡の崇徳学園。

 高梨は大将として部員達を牽引している。


 しかし、順調に推移してきた俺たちは、団体戦・男子も女子も共に準決勝で敗退するところとなった。

 優勝旗を武藤先生へプレゼントするという俺たちの決意はもろくも打ち砕かれた。

 この団体戦は、林にとって最後の試合となった。

 林は去年の屈辱をこの大会で晴らそうと、誰よりも奮戦したが、団体戦の難しさは、個の実力の集合体で、尚かつ、試合によっては負の連鎖が伝播してしまう怖さがある。

 林は、誰よりも泣き、そして誰よりも早く立ち直って、他の部員達を慰めている。

 俺も悔しかった。

 けれど、大将として、林が抜いた刀を、戦いそのものを悔いなく終焉させる為に、みんなの心を込めて鞘に収められたと思う。


 団体戦は、高梨率いる崇徳学園の二連覇だった。




 インターハイ個人戦。


 湘東学園からは、俺とみゆきが出場した。


 みゆきは小手が冴え渡り、順等に勝ち進んだ準決勝。

 去年のキョウちゃんと同じく、優勝した茨城県の森園高校の選手と対戦し、延長戦の末、得意の小手を封じられて、逆に小手を取られて、一本負けに帰した。

 同級部員や後輩部員に囲まれたみゆきは、教室では見せたことのない、屈託のない鮮やかな笑顔を見せてくれた。


 男子個人戦。


 俺は第一会場。

 高梨は第七会場。

 おそらく決勝戦まで当たらない会場での試合となった。


 部員達は全て観客席に上がって応援している。

 会場には、俺と武藤先生しかいない。


 比較的遅い順番だった俺は、第七会場の高梨の試合を武藤先生と共に見ていた。


 その時だった。

 高梨の相手の選手の切羽詰まった強引な突きが、高梨の喉ではなく、首の横にヒットした。

 その瞬間。高梨は、後に倒れて頭を床に痛打した。

 動かない・・・・・

 審判のやめ!のコールと共に、黒田幻想監督が高梨に駆け寄る。

 どうやら脳震盪をおこし、一瞬高梨の意識が飛んだようだった。


 審判の指示で医師が呼ばれ、高梨は、面を脱いで診察を受けている。

 脳震盪はともかくとして、首横を竹刀で切られた様子で、その場で首に包帯が巻かれた。


 俺も、武藤先生も固唾をのんでその様子を見守っている。

 武藤先生は、あの時の記憶が呼び戻されたのか、顔を真っ青にしている。


 治療が終わり、面を付け直した高梨は、何事もなかった様に、何時もの獲物を猟るような鋭い剣さばきで、一瞬の内に二本をとって二回戦へ進んだ。


 俺も負けてはいられない。

 一回戦から四回戦まで順等に勝ち進み、準決勝に進出した。


 ふと気づくと、武藤先生の顔が冴えない。

 どうやら、一回戦目で首に負傷を負った高梨は、その後の相手にことごとく突きを狙われ、苦戦しながらも準決勝へ進んだと聞かされた。


 準決勝での俺の相手は、熊本梁山高校の大熊という上背のある上段の選手だった。

 典型的なパワー剣道で、片手面を打ち込んだ後の連続打ちも得意な選手だった。

 上段への対処は琢成館の一般組の先輩との稽古で積み上げて来ている。

 竹刀で打とうとすると打たれる。

 俊足を竹刀に乗せ、作りの瞬間を狙う。

 俺は、四分間のぎりぎりまで使って、相手の間と初動の発露を見定めた。

 三分半が経過した頃、相手の動作が焦りで大雑把になってきているのに気づいた。

 その瞬間、俺は途方もない遠い間から、右斜め横、つまり、相手の上段に構えた左小手に向かって、体ごと飛び、伸ばした竹刀を打突するのではなく、相手の小手を包丁で切るようにスッと切り落とした。


 コテあり!


 審判のコールが響いたと同時に試合終了がコールされた。


 隣の会場でも、高梨が二本勝ちを納め、自陣で面を脱いでいる姿が見えた。


 俺は、ふしぎな程落ち着いていた。

 何の高揚感も無い。

 緊張感も無い。



 決勝戦を待つ会場。

 観客席の方から逆に緊張感が伝わってくる。

 ふと、観客席を見ると、来るなと言ったはずの母さんとキョウちゃんの父さん。そして、キョウちゃんが緊張を隠しきれずにこちらを凝視している。


 キョウちゃんやキョウちゃんのお父さんからすれば、複雑な気持ちだろうなと思う。

 実の子、弟と、これから子、弟となる者同士の決戦。


 そう言えば、インターハイ直前に、俺とキョウちゃんは、二人で琢成館へ藤森先生に挨拶しに行った。


 勝つこと、負けることに、何らの意味を見いださない藤森先生は、予想通り、インターハイ出場については何も語らず、ただ、よい試合を・・・とのみ言った。


 帰り道、なにげにキョウちゃんが言った。


 「シンちゃん、琢成館に初めて来た日のこと覚えている?」

 「ん、あぁ・・・なんとなく」

 「あの時、私が言ったこと・・・・覚えてる?」

 「ん・・・・ん。なんだっけ」

 キョウちゃんは、幼い頃のいじめっ子の顔に戻って、クスクスと笑いながら俺を見つめている。

 「桐生心は、私の夫になる人です」

 「・・・んげっ・・・そんな事もあったような・・」

 「私、忘れてないからね」

 「こっ、子供じゃあるまいし、そんなこと覚えてて何になるんだよ」

 「あら、どうして」

 「どうしてって・・その・・俺たちこれから姉弟になるだぞ」

 「そうよ。でもね、私たち血のつながりがないから結婚できるんだよ」

 「・・・・・・・」


 そう・・・・・なのか?・・・



 決勝戦開催のコールが会場に響きわたる。


 面をキリリと縛り終え、立ち上がった俺に、武藤先生は言った。


 「自分の信じる剣道をしてきなさい」

 「ハイ!」


 試合コートで互いに礼をした俺と高梨は、開始線で蹲踞する。

 互いの目と目がぶつかる。


 高梨の首には包帯が巻かれているのが見えた。

 

 はじめ!


 「キッエーーーーーイ!」

 「ンッエヤーーーー!」


 試合開始のコールと共に、俺たちは互いに正眼に構えて、気勢上げる。


 高梨の構えは、背後に何かがある様に、鉄壁な背水の陣を思わせる気迫のこもった構えに見えた。


 俺は、高梨の鋭い眼光から目線を下げ、のど元から肩、二の腕の動きを捉える位置で静止させ、同時に高梨の間合いから抜ける為に一歩後退した。


 おそらく試合終了まじかの時間帯が勝負となる。

 高梨も、そう感じているはずだ。


 お互い、間の取り合い、せめぎ合いが続く。

 互いの間は既に把握しているはずだ。


 「グギャエーーーーイ!」

 「ヤッゥエーーーーイ!」

 再び、互いの気勢が、深閑として会場に響き渡る。


 俺は、高梨の小手を見切る為、あえて小手を打たせるべく、構えを下段気味に構えた。

 半歩前に出た瞬間。


 「コッッテーーーイ!」


 剣先が触れ合わない遠い間合いのはずであるのに、高梨の小手が鋭く伸びてきた。

 「ウンヤッ、ンメーーーン!」

 俺は、それを竹刀の裏で返す力でそのまま面を狙った。


 互いに打突には至らず、再び間合いを切って相対する。


 何故、あの位置から小手が打てる。


 小手は、相手との間の距離の中で、一番近くに位置している。

 その為、小手は比較的遠間からでなければ冴えが生まれない。

 だが、それにしても、高梨の小手の間は遠過ぎる。


 ならば、高梨の決め技である小手を封じるため、あえて深間に入ったらどうだ。


 「ンヤラァー」

 俺は、いきなりススっと近間に入り、そこで一端停止すると思わせて更に深間に入って、高梨の動きを誘った。


 ギュルン!

 「ンギャ、メッーーーーン!」

 高梨の竹刀を上からスライドさせるように動きを封じていた為、高梨は振りの挙動ができないはずと思っていたが、高梨の竹刀は、上から抑えていた俺の竹刀を巻き技で自分の竹刀を俺の竹刀の上に置いた瞬間、近間からの面を放ってきた。

 ガツッ!

 「ンッーードーーーダ!」

 とっさにそれを防いだ竹刀を、俺はそのまま高梨の胴へ放った。


 副審の端が一本上がったが、主審の端は上がらない。


 胴で抜けたと思って振り返ると、すでにそこには高梨の面が迫っている。


 「ッッメーーーー!」

 ガツ、バン

 返しは間に合わない。

 俺は高梨の面を自分の面に上げた竹刀で防ぎ、体を返して、鍔ぜりに持ち込むと見せかけて引き面を放った。

 「メンヤーーーーッ!」

 ボムッツ

 それを予測していた高梨は首を右に僅かに傾けて俺の面を肩に打突させる。


 ヤメ!


 審判の別れのコールが入る。


 しょっぱなからの打ち合いに、会場が騒然となっている。


 双方開始線に戻り、正眼に構える。

 激しい動きが続いたが、お互い自己の呼吸音を消している。


 ハジメ!


 試合再開のコールと共に、俺は、一歩半、間合いを遠ざけた。


 剣先が、互いに拳二個分ほどの距離。


 当然、互いの間合いではない。


 ・・・はずだった。

 

 「コッッテェーーイッーーー!」

 ズボン!


 コテアリ!


 審判の端が三本、高梨の一本を示す。


 ありえない。


 しょっぱなよりも更に遠い距離。

 何故小手が届く。


 高梨は平然と開始線に戻っている。

 一瞬、あっけにとられていた俺は、やっとの思いで我に返り、開始線に戻って正眼に構える。


 ニホンメ!


 俺は、さきほどよりも更に遠くに間を採った。


 第一に眼力。

 その言葉を念仏のように心で繰り返す。


 時間は既に三分を過ぎているはずだ。だが、焦るな。


 あの小手を抑えなければ勝機は無い。


 高梨は、静かに間を詰めてくる。

 正中線からけっして外れない構え。


 ん?


 通常の場合、小手の軌道は、振り上げの初期から多少斜めの軌道となる。

 しかし、高梨の小手の軌道は、振り上げは正中線から外れず、こちらからするとそれが最終的に面なのか小手なのか一瞬の迷いを生じる。


 正中線を外れない振り上げ。


 そこだ!


 俺は、もう一度剣先どうしの距離拳二つ分の距離に下がり、同時に静かに自分の剣先を相手の喉の位置から下げて行った。


 来る!


 「カッテティーーーー!」


 俺の竹刀の下げの途上、予兆を見せずに高梨の小手が飛んできた。


 バヅ!ヅー!


 「ウンャツンメーーーーン!」


 高梨が正中線上に真っすぐに伸ばしてきた竹刀を、俺はひとけりで前に出ながら、同じ正中線上にある高梨の竹刀を切っ先で下から持ち上げて軌道をずらし、そのままの軌道で面を刺した。


 メンアリ!

 

 審判の端三本が俺のメンをコールする。


 時間ギリギリの攻防戦。

 観客席が一気に盛り上がり、大きな歓声がわき上がる。


 両者が再び開始せんに戻った瞬間。時間終了のコールがあった。


 これで一対一。

 時間無制限の延長戦、一本勝負となる。


 ふしぎと気負いは無い。


 エンチョウセン ハジメ!


 延長戦を告げる審判のコールが場内に響く。


 これで、お互いの手の内は見せた。


 小手防ぎを見せたことから、俺は高梨の近間に入りやすくなっているはずだ。

 また、お互いに前に出ながらの返し技には長けている。

 フェイントも通用しない相手であることも互いに判っている。


 勝負は、虚をつく一打で決する。

 虚を作らない精神力の勝負だ。



 間合いは、剣先が触れる位置。

 お互いにとっては死地の間合い。


 「ゥメーーーーン!」

 「ッメーーーーン!」


 「クォッテェーーーーイ!」

 「カッッテェーーーーイ!」


 合気となった俺たちは、互いに同じ打突部の一打打ちの勝負を繰り返した。


 互いの打突は、微妙に外れて行く。


 時間だけが流れて行き、俺のメン金の下は汗で満たされて行く。


 高梨の目の下にも光が見える。彼もまた汗だくだ。


 ふと、俺はキョウちゃんとの試合稽古を思い出した。

 あの時、キョウちゃんは、何の変哲の無い大きな胴を打ってきた。技の変則性に慣れている俺は、それをフェイントと勘違いし、変則面で応酬した。

 手だれな技を持つ者は、相手もそうであろうと心のどこかで思い込んでしまうことがある。

 だが、膠着状態が続いた場合、一瞬のよけいな動きを逃さないことのみにお互いが集中している。

 そのような時、大技、特に胴は禁じ手となる。

 そう、禁じ手。

 相手の虚を引き出すのではなく、こちらから見せる。


 あとは、死地に飛び込む勇気だけだ。


 俺は、高校剣道の試合では絶対あり得ないと思われる、大きな振りかぶりからの胴を狙い、無言のまま、そのまま高梨に飛び込んだ。


 ん?


 思った通りだ。

 それを見た高梨に一瞬ためらいの挙動が見えた。

 ボスン!

 「ンッドーーーーヤ!」

 俺の放った胴の一打は、高梨の垂れに当たり、鈍い音を立てた。


 副審の端が一本上がったが、主審は端を交差させている。

 

 胴を放って、抜ける瞬間、高梨の足が見えた。


・・・・んっ?


 右足と左足の前後の距離が近い。それも極端に。


 剣道における間は、剣先や、もの打ちの距離ではなく、自分の左足と相手の左足の距離で図られる。


 高梨が、何故途方もない遠間から小手が打てるのか、その秘密がそこにあった。

 竹刀同士の距離は遠い。

 しかし、高梨は左足を気づかれない内に右足に引きつけていた為、俺との距離は竹刀では計れない近間となっていたのだ。


 一端、別れのコールが入り、互いに開始線に戻る。


 延長戦に入って八分は経過している。

 竹刀が次第に重く感じてくる。

 滂沱の汗が視界を邪魔する。


 高梨は出ばなの名人だ。

 こちらの出頭を的確に小手で抑えてくる。

 当たり前の事だが、それは、小手があるから可能な技だ(・・・・・・・・)。


 だとすれば・・・・・・


 ハジメ!


 そのコールと共に、俺は、二歩後に引いた。


 汗が面の中を流れる。


 半歩前(・・・)・・・・

 そして、半歩前(・・・・・・・)・・・・

 この位置(・・・・)


 高梨の小手の絶好の間。


 「ウゥンゥイヤーーーー!」

 

 その瞬間。

 俺は、下からえぐるような面の挙動を見せた。


 「カッゥテテッーーーー!」


 それより一瞬早く、高梨の小手が真っすぐ、鋭く伸びてくる。

 

 俺は、下からの面の挙動から右手を外し(・・・・・・)、その挙動を左片手突き(・・・・・・)への挙動へ変化させた。


 「ツッッッキィヤーーーーーーーー!(・・・・・・・・・・・・・)」

 ボツン!!


 静寂の会場に、鈍い打突音だけが響いた。


 高梨の放った小手は、本来あるはずであった俺の小手の位置で空を切り、俺の左片手突きは、高梨ののど元を痛打した。


 ドスンッ!


 と同時に、その突きの打突の反動で、高梨が後にひっくり返った。


 ツキアリ!


 審判のコールが場内に響く。


 動かなくなった高梨。

 審判が別れのコールをすると同時に、飛び込んできたのは、武藤先生だった。

 遅れて、黒田監督も駆け寄ってくる。


 高梨は動かない・・・・。


 会場はシーンと静まり返っている。


 競技委員が、駆け寄ろうとした時、高梨は、黒田監督を振り払うように、フラフラしながら立ち上がり。しきりに首を振った。


 審判が高梨にかけより、何か声をかけている。

 高梨は、それに答えるように、うん、うんと頷いている。


 コート線に戻って蹲踞していた俺は、よしっ!と叫んで、再び開始線で中断に構えた。

 高梨も、同様に開始線に戻り、中断に構える。


 勝負あり!


 審判のそのコールと同時に、試合終了のコールがなされた。


 俺たちは、再び蹲踞して、コート線に戻り、互いに深い礼をした。

 その時、高梨の口元が僅かに緩んだように見えた。

 笑っている?

 それを見て、俺もなんだか楽しくなり、口もとが緩んだ。

 互いに死力を尽くした試合。勝敗に関係なく、嬉しさがこみ上げて来る。



 その瞬間、静まり返っていた会場から拍手が巻き起こった。



 自陣に帰って、面を脱ぐと、滂沱の汗が流れてきた。


 ふと気づくと、俺の前に、黒田監督と高梨が俺と武藤監督の前に正座している。

 両者が、礼を交わし、無言のまま目と目がぶつかる。


 武藤先生が、心配そうに高梨の様子を見守っている。


 口をきったのは、黒田監督だった。


 「良い生徒をお育てですね」

 無言で小さく礼をする武藤先生。


 高梨がいきなり俺を睨み鋭い声を放ってきた。


 「桐生、お前、知ってたんだよな」

 「ああ、お前の首の怪我、知ってたよ」


 両者に沈黙が流れる。


 「お前、手、抜かなかったんだな!」


 「当たり前だ、手抜いて勝てる相手か、お前は」


 「そうか、ちょとでも躊躇や遠慮があったんだら、俺はお前をぶん殴ってやるところだった」

 そう言い終えた高梨は、痛快な笑顔を俺に向けてきた。


 武藤先生。

 今の高梨の言葉は、そのまま、あの時のお相手の言葉です。

 先生の放った、無心の一打は、お相手に先生の心ごと届いていたと思います。



 「先生こそ、良い生徒をお育てですね」

 武藤先生が、嬉しそうに微笑みながら黒田監督に言った。

 

 黒田監督も微笑みながら黙礼する。


 二人の間に何があったのかは知らない。

 けれど、お互い約束を果たした様に、鮮やかな笑顔で互いを讃えている様子に感じた。



 互いに再び深い礼をして、黒田監督と高梨は自陣へ戻ろうとした。


 ふと、振り返った高梨が言った。


 「また勝負しような。弟」


 一瞬あぜんとしたが、すぐに俺は高梨に切り返した。


 「もちろんさ。でも俺の方が早生まれだから兄だぜ」


 高梨は、ふん!と鼻をならして、颯爽と自陣に去っていった。



 観客席では、林が、部員達に万歳コールをさせている。


 母さん、キョウちゃんの父さん。

 そして、キョウちゃんが、立ったまま、いつまでもいつまでも拍手をおくってくれている。


 時は、過去の全てを包んで流れを留めない。


 この先に何があっても、俺は剣道を続けていこうと思う。


 そう、一打の心を求めて。



                           おわり


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