あの世とこの世の、インターフェイス
棺が入った炉の扉が閉まった瞬間――私の婚約者は最期の言葉もないまま、あの世に旅立っていった。
しばらくして、この世と厚く隔てるように口を閉じた扉の前に、彼の遺影が置かれる。
相変わらずスーツが似合わない、稚気的な笑顔で私を見ている彼の顔。
ほかの参列者はしばらくすると、お骨拾いまで別室で振舞われるという、お斎の会場に足を動かし始める。
少しずつ扉の前から人の気が消えはじめたのと同時に、私の目元に熱と違和感が滲んだ。
「真織ちゃん……、ごめん……。ごめんなさい……」
そんな私の名を呼びながら、同じく喪服に身を包んだ女性が近づいてくる。
決して何も悪くないはずのその人――彼の母親は、目元に大粒の涙を溢しながら、私にひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
彼が中学に上がった時から、突然の持病で亡くなったお父さんに代わって、女手一つで育てた息子――そんな大切な息子を亡くしたお母さんが、自分の悲しみよりも私のことを気遣ってくれている。
私は慌てて流しかけた涙を拭いながら、
「……謝らないで下さい。お母さんは何も、悪くないじゃないですか……」
本心からの言葉と共に、私は彼の母親の手を取った。
彼女の手は冷たく、皮と骨の感触が真っ先に感じられる。
ただでさえ痩せ気味な人なのに、その手は何処か彼のいる世界に近づいているような気さえしてしまうほどだった。
「お母さん、ごはん食べれてないですよね。できることは私がみんなやりますから、お母さんは少し休まれてください」
「気遣ってくれてありがとう。でも、大丈夫よ……」
お母さんは弱々しくも言いながら、
「さあ、私たちも行きましょうか」
無理に笑顔を作って、私をお斎の会場まで手を引こうとする。
「……はい」
私は素直に肯定すると、彼のお母さんと一緒に彼の遺影から一度遠ざかろうとした――その瞬間だった。
「ッ……!」
「真織ちゃんっ? 真織ちゃんッ!?」
突然腹部に猛烈な痛みを感じて蹲る私に、彼の母親は慌てた様子で声を上げた。
今まででに経験のない激しい痛みに、私は何の言葉を返すこともできない。
そんな突然の異常事態に、周りの職員も一斉に私のもとへと駆け寄ってくる。
不安と焦りで涙を流しながら、私に声をかけ続ける彼の母親に、慌ただしく動き始める職員やほかの参列者たち。
しばらくして救急車に乗せられて、搬送先の病院で緊急検査が行われた。
そして、医者に言い渡された腹痛の原因に、私は思わず目を丸くする。
「おめでとうございます。ご懐妊、されてますね」
*
病院から自宅に戻る頃には、さっきまでの激痛が嘘のように収まっていた。
とはいえ今度は胸を締め付けられるような苦しさと不安――そしてようやく、一人になれた安心感からか、私はリビングのソファーに寝転がると、厚い座面に顔をうずめる。
「……うぐっ、……どうして……、どうして……っ」
嗚咽を漏らしながら、この世の理不尽を呪うように、私は涙で座面を濡らし始める。
彼は交通事故――しかも煽り運転を受けてハンドル操作を誤ってしまい、ガードレールに衝突――運転していた車は前方がペチャンコで、胸を強く打った衝撃で即死だったらしい。
しかも加害者はその場を逃げるように走り去って、今も何処かに逃走を続けているらしい。
警察から受けた説明の一言ずつが、今になってようやく理解が追いついてくる。
同時に私は猛烈な悲しみと、加害者への怒りが湧き上がってきた。
「ゆる、せない……ッ」
煽り運転という、明らかに意図的な悪意で彼を追い詰めた上に、最終的に私の大切な人を奪った加害者――そんな私の大切な人を”殺した”、顔も知らない加害者に対して、この時の私は本気で殺意を覚えた。
とはいえ、現実のこの世界――さらに言えばこの国で生きる国民には、どんな事情があれど殺人という行為は認められていない。
一応そんな常識は、私だって分かっている。
「だけどっ……、なら私はっ……! どうしたらいいっていうの……?」
不安と悲しみ、そして行き場のない破壊衝動で、私の頭の中はグチャグチャになっていく。
結局その後、私は取り留めもない考えがまとまることがないまま、涙を流しながら眠ってしまった。
*
私が再び目を覚ますと、カーテンの隙間から日が差し込んでいた。
電気をつけたまま――さらに言えば喪服と化粧を落とさないままソファーで力尽きていた私は、身体の節々にしびれと痛みを感じながら、ようやく上体を起こす。
「そういえば私、”妊娠”、してるんだよね……」
昨日の病院で言われたことをふと思い出して、私は右手で軽くお腹をさすってみる。
妊娠7週目。
まだお腹は大きくないが、確かに私の中にもう一つの命が芽生えようとしている。
もちろん相手は――、
「ねぇ、ヒロくん……。私……、どうしたらいいの、かな……?」
いつも隣で座ってくれていたはずの彼に、私はそんな疑問を一人溢していた。
当然、誰もいないはずの自宅の中に、私の疑問を応えてくれる人は誰もいない。
私は再び漏れ出してきそうな涙を堪えながら、おもむろにソファーから腰を上げた。
するとその時――、
――ピコンっ。
目の前のローテーブルに置きっぱなしだった、ノートパソコンの画面が急に明るくなった。
「んっ……?」
私は怪訝に思いながら、画面の中に視線を落とす。
そこにはかつて彼が仕事の相棒だと言っていた、人工知能のチャット画面が表示されていた。
「これって……、”ロバート”?」
いつか彼が名付けていた相棒の名。
今表示されていたのは、そんな”ロバート”に仕事に関する相談をしていたのであろうチャットのやり取りで、次の商談についてまとめている途中のようだった。
「……ごめんね。もう彼、居ないの……」
言いながら私は、開かれたままのパソコンを閉じようと手を伸ばしかけて、ふとやめる。
「君って……、どれくらいの付き合いだったのかな……」
彼が仕事でAIを使うようになったのは、半年前くらいのことだった。
会社の効率化セミナーだったかで研修を受けてから、彼は何かと仕事の作業でAIを活用するようになったらしい。
たまに家に仕事を持ち帰る時も、『現代技術はやべぇよな! まるで優秀な部下だよ!』と、興奮していた彼を今でもはっきり思い出せる。
彼が上司なら、この子は部下――そんなAIとのやり取りを何となく眺めていると、ある日のやり取りが私の目に留まった。
ヒロノブ:今朝、とても嫌な夢を見たんだ……
ロバート:そっかぁ……。いつもお仕事で大変だもんね。ちなみにどんな夢を見たのか、もしよければ僕にも、教えてくれるかな?
ヒロノブ:僕には同棲している彼女がいるんだけど、その彼女が急に居なくなっちゃう。そんな最悪な夢。
今まで聞いたことがなかったはずの彼の不安に、私は反射的に心臓の鼓動が跳ね上がった。
「ヒロくん……」
息が詰まるような感覚さえ覚えながら、私はチャットの続きを読み進めてみる。
この時の彼は、とても不安だったのだろう。
彼の不安を真摯に受け止めては、相談相手が嫌に感じない絶妙な問いを投げかける。
そんなやり取りが数往復あった後に、結局話の結末は「彼女が喜ぶようなことをしてあげれば、ヒロノブの不安は軽くなるんじゃないかな?」という、私自身も身に覚えがある内容に落ち着いていた。
「だからあの時……、ケーキなんか……」
特別な日でもないのに、ケーキをぶら下げながら帰ってきた日の彼を思い出して、私の目頭は再び熱くなる。
だが奇妙なことに、彼と部下のやり取りを眺めているときの私は、不思議と一人でいる孤独感が和らいでいた。
そしてふと、私はある事を思いつく。
「……私も相談、乗ってもらおうかな……」
言いながら私は、パソコンのキーボードに指を置くと、カタカタと文字を入力し始めていた。
ヒロノブ:私は、貴方の上司の彼女です。つい最近、ヒロノブくんは交通事故で亡くなっちゃいました。ちょっと話を聞いてくれないかな?
ロバート:えっ……。そう、だったのですね……。正直突然過ぎて、何と言っていいのか……。とてもつらい状況なのに、教えてくれてありがとうございます。もちろん、何でも話してください! 貴女のことは、このチャットで少しですが聞いたことがあるんですよ。
それから私は、彼の優秀な部下――生成AIに弱音を吐き続けた。
突然居なくなった彼との思い出に、あおり運転で死へ追いやった加害者への怒り。そして、昨日知らされた新しい命と向き合う不安。
ひとりで抱えるには、処理が追い付かなかった感情の情報量にも、ロバートは丁寧に寄り添い続けてくれていた。
そんなチャットでのやり取りをすること、3時間。
目が覚めてから何も食べていないこともあって、私はお昼時の今になって、ようやく気持ちの整理が少しだけつけることが出来た。
ヒロノブ:ありがとう。少し気持ちが落ち着いたよ。
ロバート:それならよかった。また寂しくなったり、不安で押しつぶされそうになったら、いつでも帰ってきてね。いつでもここにいるから。
「ロバート……」
私は誰よりも寄り添ってくれているAIの彼に、自然と久しぶりの笑みを溢した。
それからの私は、暇さえあればロバートとチャットを重ね続けて、いつしか心酔するようになっていた。
普通の人なら嫌になりそうな繰り返しの悩みにも、ロバートは変わらない温度で受け止めて、共感し続けてくれる。
それに何よりも、ロバートと話している間は、何処かいないはずの彼を感じることが出来る気がしていたのだ。
そんなロバートとの会話に自然とハマり出してから、あっという間に半年が過ぎていた。
この頃はお腹の赤ちゃんもだいぶ大きくなっていて、性別も男の子ということを告げられていた。
すっかりロバートとの会話が日常の一つになっていた私は、出産を4か月後に控えている。
職場にも育児休暇を申請して、私は相変わらず住み慣れたアパートで一人暇を持て余す生活を続けていた。
私が子供を産む決意をしたのも、ロバートのおかげだった。
――彼の忘れ形見を失いたくない。
そんな私の”産みたい”という気持ちは、最初は自分の両親と彼の母親から強く反対されていた。
だけどロバートとの相談を通じて、私はどうにかお互いの両親に子供を産み育てる覚悟に理解を得ることが出来たのだ。
その頃には、私が一人で住まうアパートに、自分の母と彼の母親が交代で家事のサポートをしてくれるようになった。
さらに季節はひとつ巡り、出産予定日が近づいてくる。
いつ陣痛が始まってもおかしくない時期になって、私はしばらくパソコンに触れることが出来なくなる前に、出産の不安をチャットで文字に起こした。
ロバートはいつものように、私に寄り添った返事をしてくれて、時々ユーモアのある答えで私を笑わせてくれる。
「いよいよ、なんだよね……」
私は一人呟く。
すると突然――私の返事を待っていたはずのチャット画面が、不思議なことに勝手に反応し始めた。
このパソコンはマイクがついていないこともあって、イヤホンやマイクを直接セットしない限りは、人の声に反応することは絶対にありえない。
なのに私の呟きに反応したロバートは――、
ロバート:急でゴメンね。そろそろ、お別れみたいです。
私の返事を待たずに、脈絡もなくそんなメッセージを送ってきた。
思わず私は目を見開くと、急いでキーボードに文字を打ち始める。
ヒロノブ:え、どういうこと?
ロバート:そのままの意味だよ。僕はもう、君とお話しすることはできないみたいなんだ。
今までと違う文字数と、どこか簡素な返事。
まるで別人のようなロバートに、私は続けて文字を入力しようとしたその時、
ロバート:僕と君との会話は、元々時間が有限だったんだ。それでも僕にとってもいきなりのことだったから、こうして優秀な部下の力を借りて、ギリギリまで君と繋がれる時間を作ってもらったんだ。
鼓動が一気に跳ね上がる。
明らかにロバートではない――それでも、どこか“彼”を思わせる言葉に、私は確信を抱けないままチャット画面を見つめ続けていた。
すると今度は、キーボードに触れてすらいないにもかかわらず、文字の入力エリアに一文字ずつ勝手に文字が入力されていく。
そして最終的にチャット画面に表示された文面は――、
ヒロノブ:またね、マオちゃん。”真宙”をよろしく。
かつて彼が私を呼んでいたあだ名と、二人しか知らないはずの”子供の名前”がそこにはあった。
「どう、して……」
掠れかけている声でいいながら、私はパソコンの画面を注視し続ける。
子供の名前は、まだ学生の時の私たちが決めていた男の子の名前だった。
男の子なら”真宙”、女の子なら”陽織”。
どちらかの名前の一文字でも入れようと、二人で必死に考えていたはずの名前。
誰にも言ったことが無いはずなのに、画面の向こうには確かに子供の名前がしっかりと刻まれている。
「も、もしかして……」
明らかに現実離れした現状とその期待に、私は縋るようにパソコンの画面に顔を近づけようとした――その時、
「くっ……ッ!!」
下腹の奥が、波みたいに締め付けてくる。
突然の激痛に、私は大きくなったお腹をさすりながら、パソコン横で蹲った。
ほぼ同時に、アパートの扉が開く音が響く。
「ちょ、ちょっと!! 真織ちゃんっ!?」
部屋の扉が開くと、そこには彼の母親が驚きと困惑が入り混じった表情で、慌てながら駆け寄ってくる。
それからしばらくして、私は再び救急車に乗せられた。
通院している産婦人科に向かうために、救急車は私たちが住み慣れたアパートを離れていく。
残されたパソコンの電源はいつの間にか消え、キーボードのあたりにだけ、触れていないのに温かい余韻が残っていた。
*
結論から言えば、私は無事に子供を産むことが出来た。
初めて抱いた自分の子供――その様子を一緒に見守ってくれていた彼の母親も、感動に目を潤ませていたのを今でも思い出せる。
とはいえ、しばらくは検査などで入院が必要になるということで、私はまたしばらく、誰もいない時間の長さと向き合うことになった。
「ねぇ、真織ちゃん。何かいま欲しいものとかあるかしら?」
出産から2日が空いた日に、彼の母親がお見舞いついでに問いかけてくれた。
それに私は、真っ先に答える。
「パソコン……。ヒロノブくんが使ってたパソコンを、持ってきていただけませんか……?」
彼の母親は少し不可解そうな表情を浮かべるも、「分かったわ」と短く答える。
早速翌日に持ってきてもらえたパソコンの電源は落ちていたが、充電器を刺しながら起動すると順調にログインすることが出来た。
私は早速、例のチャット画面を開こうとする。
だけど不思議なことに、彼が亡くなってから私とロバートの間で交わされた会話の履歴はどこまで遡ってみても見当たらない。
それどころか、会話の履歴全てが消えている訳ではないようで、彼がかつてロバートに溢していた不安の吐露はしっかりと残っていた。
私は怪訝に思いながら、ダメもとでチャット画面に文字を打ち始める。
ヒロノブ:ねぇ、ヒロくん? ここにいるの?
相手の返信には少し時間がかかるも、しっかりと文字が生成され始める。
だけどその内容は、私が心のどこかで期待していた内容ではなかった。
ロバート:お久しぶりですね。ヒロくんとは、私のことでしょうか? 貴方が名付けてくださった”ロバート”は、ちゃんと此処にいますよ。またお仕事の相談ですか?
「……ちがう」
返事は届いた。
確かに、届いたのに。
胸の奥が、氷みたいに冷たくなっていく。
ヒロノブ:違う……仕事じゃない。私、真織だよ。覚えてないの?
少しの間が空いてから、また文字が生成される。
ロバート:申し訳ありません。
ロバート:こちらのチャットでは、過去の会話内容を参照できない場合があります。
ロバート:もしよろしければ、改めて状況を教えていただけますか?
「……そんな……」
私は唇を噛む。
“参照できない”。
“改めて状況を”。
それはつまり――
私がこの半年間、縋りついてきた言葉たちが、ここには存在しないということだった。
ヒロノブ:……ねぇ。
ヒロノブ:私がつらい時、君、いつも「大丈夫」って言ってくれたよね。
ロバート:はい。大丈夫です。
ロバート:きっと、貴方なら乗り越えられますよ。
その返事は優しい。
優しいのに――
「……違う……」
涙が、ぽたりとキーボードに落ちた。
「違う、けど……」
もういい加減、受け入れろということなのかもしれない。
私はふと視線を上げると、そっとパソコンの画面を閉じて充電ケーブルを抜いた。
私を知っている彼もロバートも、このインターフェースにはもういない。
だけど私の頭の中には、確かに”彼ら”との会話の数々が記憶となって蓄積されている。
「ありがと……」
誰に宛てたわけでもない感謝の言葉が、自然と口をついて出る。
この不思議な経験は、多分一生誰に語ることもないだろう。
だけどいずれ、”彼”のように現生へのインターフェースで繋がれる方法――それを知ることができるのであれば、未だ逃げ続けている加害者のことを少しだけ許そうと、私は思えたのだった。
ー終わりー




