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追放令嬢が拾った伝説の魔獣は、食いしん坊な黒猫でした。 ~「不敬だぞ!」と怒る最強魔獣を、ご飯とブラッシングで完全攻略しました~  作者: 速水静香
第九章:王都からの使者

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第二十四話:砂の錬金術

 冬の足音は、静寂と共にやってくる。

 朝、私が教会の扉を開けると、そこには音のない世界が広がっていた。

 地面は一面の霜に覆われ、踏みしめるとサクサクと乾いた音が鳴る。吐く息は白く染まり、頬を撫でる風は剃刀のように鋭い。


 私は厚手のショールをきつく巻き直し、教会の軒下に並べておいた麻袋の列へと目を向けた。

 そこには、先日フロンティアの市場で「冬支度用」として購入した、ハーブの苗や種芋、そして葉野菜の種が入っている。

 当初の私の計画は単純なものだった。寒さに弱い苗は教会の中の窓辺で育て、寒さに強いものは庭の隅を耕して植えればいい、と。

 しかし、昨夜からの急激な冷え込みという現実が、私の甘い計画を粉砕するには十分すぎた。


「……これでは、植えた端から凍ってしまいますね」


 私はしゃがみ込み、麻袋の中のバジルの苗を見た。

 問題なのは、相棒であるベルの食事量だ。彼は巨体に似合わずグルメであり、肉料理には大量の香草を消費する。一回の食事で使うハーブの量は、小鉢一杯分にもなる。

 それを賄うために、全てを市場で購入すればどうなるか。冬場のハーブは高騰する。それを毎日買い続ければ、マンティコア討伐で得た資金など、湯水のように消えていくだろう。購入費用も馬鹿にならない。

 かといって、教会の中で育てるとしても、窓辺に置ける鉢の数などたかが知れている。そこで採れる量など、ベルの一口分にも満たない。ごく少量しか収穫できないだろう。

 ならば外で大規模に育てるしかないが――この極寒の土に降ろせば、苗は一晩で黒く変色して枯死する。


 買うには高すぎる。

 中では狭すぎる。

 外では寒すぎる。


「おい、コレット。なぜ朝から麻袋と睨めっこをしているのだ?」


 背後から、呆れたような声が降ってきた。

 振り返ると、教会の入り口にベルが立っている。彼は寒さを嫌って外には出ず、敷居の内側から私を見下ろしていた。


「見てください、ベル。この現実を」


 私は白い息を吐きながら、麻袋を指差した。


「当初は室内で育てようかとも思いましたが、あの窓辺のスペースで育てられる量では、一食分の彩りにもなりません。かといって、冬の間ずっと市場で買い続けるのは、購入費用も馬鹿になりません。つまり、冬の間、香草焼きはお預けです」


「……なに?」


 ベルの瞳孔が、すっと縦に細まった。

 彼は私の言葉の意味を咀嚼し、鼻の頭に皺を寄せた。


「待て。それは困る。我は昨夜、次は香草たっぷりの肉が食いたいと言ったはずだ。あの爽やかな香りがなければ、肉の脂がくどくなるではないか」


「ええ、その通りです。ですが、冬の間は、乾燥した根菜だけで野菜は凌ぐしかありませんね」


「却下だ」


 ベルは即座に言い放った。


「茶色一色の食事など、王の食卓にあってはならぬ。我はフレッシュな、噛めば青い香りが弾ける生の葉が食いたいのだ。……コレットよ、なんとかせよ」


「なんとかと言われましても、天候を操ることはできませんよ」


「ならば、場所を変えればよいではないか。教会の中は暖かい。だが狭いと言うなら、広げればよい」


「広げると言われましても……」


「光を通し、風を防ぐ壁で囲った部屋を作ればよいのだ。貴様の知識にあるだろう? 王侯貴族が冬に花を愛でるための、あの透明な小屋が」


 彼の言葉に、私の脳裏にある単語が浮かんだ。

 温室。あるいは、サンルーム。

 前世の記憶にも、そしてこの世界の王城にも存在した、ガラス張りの建築物。

 確かに、それがあれば冬でも野菜やハーブを育てることができる。買ってきた苗も無駄にならず、ベルの消費量に見合う収穫も期待できる。


「……理論上は可能です。キッチンの外壁を利用して、ガラス張りの小屋を建てれば、日当たりも確保できますし、暖炉の余熱を取り込むこともできるでしょう」


 私は顎に手を当てて思考を巡らせた。

 場所はある。骨組みとなる木材も森で手に入る。

 だが、決定的な素材が欠けている。


「肝心の『ガラス』がありません。この辺境では板ガラスなんて高級品は手に入りませんし、輸送中に割れてしまうでしょう」


「ガラスなど、砂を溶かせばできるのだろう?」


 ベルがあっけらかんと言った。


「砂……?」


「以前、南方の砂漠でブレスを吐いた時、地面が溶けて透明な塊になったことがある。あれを使えばよい」


 私はハッとした。

 そうだ。ガラスの主成分は珪砂。つまり砂だ。

 それを高温で溶かし、急冷すればガラスになる。

 理屈は知っているが、それは専用の窯と、熟練の職人の技術があって初めて可能なことだ。


「確かに理屈はそうですが……砂を溶かすには千度以上の熱が必要です。かまどの火では到底無理ですよ」


「誰に向かって口を利いている」


 ベルがニヤリと笑った。

 その笑みは傲慢で、しかし頼もしさに満ちていた。


「我は『暴食の王』ベルモスぞ。岩をも蒸発させる業火を操る我に、砂遊びができぬとでも思うか?」


 ……そうだった。

 私の目の前にいるのは、ただの食いしん坊な猫ではない。

 世界を滅ぼしかけた伝説の魔獣なのだ。

 火力という点において、彼以上の適任者はいない。


「分かりました。やりましょう、温室作り。私たちの食卓を守るための、透明な城壁を築くのです」


「うむ! 善は急げだ。材料を集めるぞ!」



 朝食――保存していたパンと、市場から買い込んでいたチーズ――を腹に収めた私たちは、すぐに資材調達へと向かった。

 まずはガラスの原料となる砂だ。

 普通の泥混じりの土では、濁ったガラスにしかならない。純度の高い、白い砂が必要だ。

 幸い、森を流れる川の上流に白い砂浜があるのをベルが知っていた。


 川岸に到着すると、そこには期待通りの光景が広がっていた。

 花崗岩が砕け、水流に洗われた石英質の白い砂が、帯のように堆積している。


「ここなら、良い材料が取れそうですね」


 私は革鞄から麻袋を取り出した。

 しかし、ベルは水辺に近づこうとしない。


「コレットよ、我は濡れるのが嫌いだと言ったはずだ。採取は貴様の仕事だろう」


「手伝ってください。量が必要なんです。昼食のステーキ、一枚減らしますよ?」


「……強欲な女め」


 ベルは渋々といった様子で、乾いた岩の上に陣取った。


「見ておれ。王の砂集めを見せてやる」


 彼が前足をかざすと、周囲の風向きが変わった。


『集え、風よ!』


 彼が念じると、砂浜の上に小さな竜巻が発生した。

 しかし、それは無作為に暴れる風ではない。

 まるで意志を持った掃除機のように、白く乾燥した砂だけを選んで巻き上げ、私の足元にある麻袋へと誘導していく。

 重い小石や、湿った泥は弾かれ、サラサラとした砂だけが袋に吸い込まれていく。


「……相変わらず、器用な魔法ですね」


「ふん。攻撃魔法の応用だ。敵を吹き飛ばすのも、砂を運ぶのも理屈は同じことよ」


 あっという間に、麻袋がパンパンになった。

 人力でやれば半日はかかる作業が、数分で終わってしまった。

 私たちは膨れ上がった袋を抱え――もちろん、ベルの風魔法で浮かせて――教会へと戻った。



 教会の南側、日当たりの良い空き地が建設予定地だ。

 ここなら、冬の低い太陽の光も十分に受けることができる。


 まずはガラス板の製造だ。

 地面に石を組んで、簡易的な作業台を作る。

 その上に、川から持ち帰った白い砂を山盛りにした。


「では、お願いします」


「うむ。離れていろ、眉毛が焦げるぞ」


 ベルが作業台の前に立ち、深く息を吸い込んだ。

 その小さな体から、凄まじい熱気が立ち上る。

 周囲の空気が揺らぎ、枯れ草がチリチリと音を立てる。


『赤熱せよ、大地の骨』


 カッ!

 ベルの口から吐き出されたのは、紅蓮の炎ではなく、白く輝く光の帯だった。

 超高温の熱線。

 それが砂山を直撃すると、砂は燃える間もなく赤熱し、ドロドロの液体へと変わっていく。

 飴状になった珪砂が、自らの熱で光り輝きながら揺らめいている。

 まるで小さな太陽が地上に降りたようだ。


「コレット! 今だ! 不純物を抜け!」


「はい!」


 ここからは私の出番だ。

 ベルの炎で溶けたとはいえ、川砂にはまだ汚れや不純物が混ざっている。それが残れば、ガラスは濁り、割れやすくなる。

 私は杖を構え、溶けた砂の塊に意識を集中した。

 イメージするのは「分離」と「洗浄」。

 私の得意分野である、水魔法だ。


『清浄なる水よ、異物を排せ』


 魔力を通すと、ドロドロの液体の中で対流が起きた。

 ガラスではない成分――鉄分や泥の微粒子――が、私の意思に従って外へと押し出されていく。

 黒い粒が排出されるたびに、液体の透明度が増していく。

 やがて、そこには蜂蜜のように透き通った、純粋なガラスの塊が残った。


「よし! 伸ばすぞ!」


 ベルが風魔法を行使する。

 上から見えないプレス機で押さえつけるように、空気の圧力をかける。

 丸かったガラスの塊が、平らな板状へと広がっていく。

 均一な厚さ、歪みのない平面。

 ベルの風は、熟練のガラス職人の息吹よりも繊細だ。


「固める!」


 板状に広がった瞬間、私は再び魔法を放った。

 今度は「冷却」だ。

 ただし、水を直接かけてはいけない。急激な温度変化はガラスを粉砕してしまう。

 私は空気中の水分を操り、ガラスの表面に見えない霧の層を作った。

 その霧が、ガラスの熱を優しく、しかし急速に奪い取っていく。

 徐徐冷。

 ガラスを割らずに冷やすための、繊細な温度管理だ。


 ジュゥゥゥ……。


 微かな音と共に、赤熱していた輝きが消え、無色透明な固体へと変化していく。

 熱が完全に引き、そこに残されたのは、畳一畳分ほどもある見事な一枚のガラス板だった。


「……できましたね」


 私は恐る恐る表面に触れた。

 滑らかで、冷たい。

 向こう側の景色が、歪みなく透けて見える。

 気泡もほとんどない、極上の仕上がりだ。


「ふん……。王の手にかかれば、宝石を作るのも容易いことだ」


 ベルは鼻を鳴らしたが、その尻尾は満足げに揺れていた。

 この工程を繰り返し、私たちは必要な枚数のガラス板を作り上げた。

 庭には、透明な板が何枚も並び、夕日を反射してキラキラと輝いている。



 次は骨組みの作成だ。

 森から切り出した木材を、ベルの風魔法という刃で角材に加工する。

 シュパッ、シュパッ、と軽快な音と共に、丸太が製材されていく。

 私はそれを水魔法で運び、教会の壁に沿って組み上げていく。


 釘は使わない。

 昨日の鶏小屋作りで覚えた、ベル特製の「焼き締め陶器釘」を使用する。

 粘土を魔法で釘の形にし、焼き固めたものだ。

 これが鉄釘以上に頑丈で、錆びる心配もない。


 カンッ、カンッ。


 私がハンマーを振るい、骨組みを固定していく。

 ベルは風魔法で重い梁を持ち上げ、私の指示通りの位置にピタリと合わせる。


 骨組みが完成すると、いよいよガラスの嵌め込みだ。

 一番神経を使う作業だが、ベルの風魔法がここでも威力を発揮した。

 重く割れやすいガラス板を、空気のクッションで包み込み、ふわりと浮かせて枠へと運ぶ。

 私はそれを溝に合わせ、松脂で隙間を埋めて固定する。


 一枚、また一枚。

 透明な壁が出来上がっていく。

 最後に、斜めになった屋根部分にガラスを乗せる。

 カチリ、と最後の一枚が嵌まった瞬間、世界が変わった。


「……完成です」


 私は一歩下がって全貌を眺めた。

 古びた石造りの教会に寄り添うように建てられた、ガラスの宮殿。

 夕日に照らされ、茜色に輝くその姿は、ただただ美しかった。


「中に入ってみましょう」


 扉を開け、私たちは温室の中に足を踏み入れた。

 瞬間、肌を包んだのは、驚くほどの暖かさだった。

 外の寒風は完全に遮断され、まだ残るガラスの余熱と、教会の壁から伝わる暖炉の熱が、この空間を春のような陽気で満たしていた。

 地面は土のままだが、風がないだけでこれほど快適なのかと驚かされる。


「ほう……悪くない」


 ベルも中に入り、土の上を歩き回った。


「外は見えているのに、寒くないというのは変な感覚だが……これなら、草どもも枯れずに済むだろう」


「ええ。早速、苗を植えましょう」


 私は麻袋から、市場で購入しておいた苗たちを取り出した。

 バジル、タイム、ローズマリー。

 寒さに震えていた彼らを、暖かい温室の土へと植え替えていく。

 ふかふかの土に根を張らせ、水をたっぷりと与える。

 さらに、種芋のジャガイモも埋め込んだ。ここなら冬の間でも十分に育つだろう。


「これで安心です。彼らが育てば、冬の間も新鮮なハーブを楽しめます」


「よし、引越し完了だ。これで我がグルメライフは守られた」


 ベルは満足げに、温室の隅――一番暖炉の壁に近い場所――に寝そべった。


「ここは良い。日向ぼっこに最適だ。我が昼寝場所として接収する」


「植物のための部屋ですが、まあ、ベルがいいのならいいでしょう」


 温室のガラス越しに、沈みゆく太陽が見えた。

 外の世界はこれから長く厳しい夜を迎える。

 だが、ガラスで守られたこの空間には、確かな命の守りが存在していた。


 私たちはしばらくの間、手作りのサンルームで、薄紫に染まる空を眺めていた。

 寒さに怯えることなく冬景色を楽しめるというのは、これまでで最高の贅沢だったかもしれない。



 その夜の夕食は、温室完成を祝う祝宴となった。

 メインディッシュは、フロンティアの市場で仕入れておいた厚切りの牛肉のステーキだ。

 付け合わせには、保存庫から取り出したジャガイモをローストし、乾燥させておいたパセリを散らす。


 ジュウウゥ……。


 フライパンの上で肉が踊り、保存庫から出したドライハーブと、温室に植える前に少しだけ摘んでおいたフレッシュハーブを合わせて香り付けをする。

 それだけで、ベルの喉がゴクリと鳴るのが聞こえた。


「……この香りだ。乾燥させた枯れ葉だけでは出せない、鮮烈な匂いだ」


「ええ。温室のおかげで、これからは毎日この香りが楽しめますよ」


 皿に盛り付け、私たちはテーブルを囲んだ。

 ナイフを入れると、表面はカリッと香ばしく、中はロゼ色の肉汁が溢れ出す。

 口に運ぶと、濃厚な肉の旨味を、ハーブの爽やかな風味が引き締め、鼻へと抜けていく。


「……うまいッ!」


 ベルが目を見開き、一心不乱に肉を貪る。


「脂の甘みと、草の苦味の調和! これこそが王の求めていた味だ! あのガラス小屋を作った甲斐があったというものだ!」


「ふふ、そうですね。苦労が報われました」


 私も一口食べ、その味に陶酔した。

 ただ美味しいだけではない。

 この一皿には、私たちの知恵と労働、そして冬に立ち向かう意思が詰まっている。

 だからこそ、格別の味がするのだ。


 暖炉の炎がパチパチと爆ぜ、室内を暖かく照らしている。

 窓の外では風が唸りを上げているが、今の私たちには心地よい子守唄にしか聞こえなかった。


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