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追放令嬢が拾った伝説の魔獣は、食いしん坊な黒猫でした。 ~「不敬だぞ!」と怒る最強魔獣を、ご飯とブラッシングで完全攻略しました~  作者: 速水静香
第五章 猫王の遊戯

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第二十二話:黄金の太陽と森の喧騒

 目覚めは、かつてないほどに緩やかで、そして甘美なものだった。

 意識の深淵からゆっくりと浮上する感覚は、まるで温かな羊水に守られているかのような安心感に満ちている。

 私は重いまぶたを少しだけ持ち上げ、視界に飛び込んでくる光景を確認した。

 石造りの天井。

 無骨で飾り気のない、見慣れた教会の天井だ。

 しかし、背中を支えている感触は、これまでの堅い煎餅布団とは次元が異なっていた。

 身体の曲線に合わせて沈み込み、それでいて確かな弾力で支え上げてくれるマットレス。肌に吸い付いてくるようなシーツの感触は、最高級のシルクのようにサラサラとして、少しの引っかかりもない。そして何より、全身を包み込む羽毛布団の軽やかさと温かさは、北国の冬を知り尽くした職人の矜持そのものだった。


 私は大きく伸びをした。

 関節がパキパキと小気味よい音を立てる。

 体の節々に残っていた慢性的な凝りや痛みが、嘘のように消え去っている。

 これが、金貨15枚の威力。

 これが、「雲の上の寝心地」というやつか。


「……ふあぁ」


 あくびを噛み殺しながら、私は隣を見た。

 そこには、黒い毛玉が一つ、布団の中央を陣取って埋もれていた。

 暴食の王ベルモスこと、相棒のベルだ。

 彼は仰向けになり、無防備にお腹を晒して大の字――いや、大の猫――になって爆睡している。

 口元は緩み、ピンク色の舌がちょっぴり見えている。

 普段の尊大な態度からは想像もできない、締まりのない寝顔だ。


「……ベル、朝ですよ」


 私は彼の腹の毛に指を埋め、わしゃわしゃと撫で回した。

 温かい。

 生き物の体温と、羽毛の保温性が相まって、極上の湯たんぽのようだ。


「……むにゃ……まだだ……あと牛一頭分……」


 寝言まで食い意地が張っている。

 私は苦笑しながらベッドを降りた。

 床に足をつけた瞬間、石の冷たさが足裏を刺激し、現実へと引き戻される。

 だが、その冷たささえも心地よい。

 素晴らしい一日の始まりだ。



 朝の支度を整え、私はキッチンの暖炉に火を入れた。

 昨日の残りの薪が、パチパチと音を立てて燃え上がる。

 鉄瓶に水を満たし、五徳の上に置く。

 お湯が沸くまでの間、私は朝食の準備に取り掛かった。


 今朝のメニューは、昨日『小麦の穂』で買っておいた特製の食パンだ。

 厚切りにして、焼き網の上に乗せる。

 香ばしい小麦の香りが漂い始めると、それに誘われるように、寝室から黒い影がふらりと現れた。


「……おはよう、コレット」


 ベルが前足で顔を洗う仕草をしながら、テーブルの上の定位置へと飛び乗った。

 毛並みは寝癖であちこち跳ねているが、鼻だけはしっかりと機能しているようだ。


「おはようございます、ベル。よく眠れましたか?」


「うむ。悪くない。あの布団は魔性の沼だな。一度沈めば、二度と浮上できぬ泥沼のようだ」


「褒めているんですよね、それ」


「当然だ。王たる我が認めたのだ。……して、朝餉は何だ?」


 ベルが期待に満ちた目で私の手元を覗き込む。

 私は焼き上がったトーストを皿に乗せ、たっぷりのバターを塗った。

 熱で溶けた黄金色の液体が、パンの気泡へと染み込んでいく。

 さらに、昨日市場で仕入れた柑橘のジャムを添え、淹れたてのハーブティーと共にテーブルへ並べた。


「どうぞ。バタートーストと、朝摘みハーブのお茶です」


 素晴らしい朝食だ。

 カリッと焼けたパンに、濃厚なバター。爽やかな香りの紅茶。

 しかし、ベルの反応は芳しくなかった。

 彼は皿の上のパンをじっと見つめ、次に私を見上げ、そして深く、重々しく溜息をついたのだ。


「……足りぬ」


「え? 枚数ですか? まだたくさんありますよ」


「違う。量ではない。彩りだ。本質的な『太陽』が欠けているのだ」


 ベルは前足でトーストの横の空白を叩いた。


「ここだ。この空虚な空間に、あるべきものが鎮座していない。白き大地の中央に輝く、黄金の太陽が」


 彼の言わんとすることが、瞬時に理解できた。

 卵だ。

 目玉焼きのことだ。


「ああ……確かに、卵料理はありませんね。買い置きを切らしていました」


 市場で以前買った卵は、パンケーキやお菓子作りであっという間に使い切ってしまった。


「我は、とろりとした黄金の黄身を、カリカリのトーストに絡めて食したいのだ。濃厚なコクと、バターの塩気、そしてパンの甘み……その三位一体こそが、王の朝食に相応しい」


 ベルが熱弁を振るう。


「……お気持ちは分かりますが、半熟で食べるなら、できれば産みたての卵が欲しいですね。市場のものだと、いつ産まれたか分かりませんから」


「ならば、産地へ行けばよい」


 ベルがあっさりと言い放った。

 彼は窓の外、深く生い茂る緑の森を顎――ではなく鼻先で示した。


「この森には『鶏』が生息している。野生の鶏だが、その卵は絶品だ。殻は硬いが、中身は濃厚で、黄身の色が違う」


「鶏……森の鶏ですか?」


「うむ。少しばかり気性は荒いが、味は保証する。コレットよ、我々は肉を手に入れた。家具も手に入れた。ならば次は、安定した『太陽』の供給源を確保すべきではないか?」


 安定した供給源。

 その言葉に、私の理性が強く反応した。

 確かに、狩猟や採集だけでは、食生活は不安定になりがちだ。

 特に卵や乳製品といった、毎日消費する食材を自給自足できれば、生活の質は劇的に向上する。

 それに、鶏がいれば、生ゴミの処理も任せられるし、糞は畑の肥料になる。

 まさに一石三鳥の益鳥だ。


「……いいですね。やりましょう」


 私は残りのトーストを口に放り込み、立ち上がった。


「善は急げです。捕まえに行きましょう、その『鶏』を」


「うむ! それでこそ我が下僕だ。今日の昼は、黄金の卵かけご飯とする!」



 朝食を早々に切り上げた私たちは、森へと踏み入った。

 朝日が木々の隙間から差し込み、湿った苔の絨毯を斑模様に照らしている。

 朝露を含んだ草木の香りが、冷んやりとした空気と共に肺を満たす。

 深呼吸を一つ。

 昨日までの陰鬱な気配とは違い、今日の森はどこか清々しく感じられた。

 おそらく、拠点である教会が快適になったことで、私自身の心に余裕が生まれたからだ。


「あちらだ」


 私の先を進むベルが、尻尾で方向を指示する。

 彼の嗅覚は、数キロ先の獲物の匂いさえも捉えるという。

 私たちは道なき道をかき分け、森の深部へと進んでいった。


 しばらく歩くと、周囲の植生が変わった。

 巨大なシダ植物が群生し、地面は落ち葉が分厚く堆積して、ふかふかとした感触に変わる。

 その時、前方から微かな物音が聞こえてきた。


 ガサガサ……コッコッ……ガサッ。


 枯れ葉を掘り返す音。

 そして、独特の低い鳴き声。


「いたぞ」


 ベルが声を潜める。

 私たちはシダの茂みに身を隠し、そっと様子を窺った。

 視線の先、開けた草地に、その鳥たちはいた。


 見た目は、まさしく鶏だった。

 ただ、王都で見かける家畜のそれよりは一回りほど大きく、野生動物特有の引き締まった体躯をしている。

 羽毛は森の景色に溶け込むような茶褐色で、艶やかな光沢がある。

 特に目を引くのはその足だ。筋肉が盛り上がり、地面をしっかりと掴む鉤爪は鋭い。

 毎日野山を駆け回っているのだろう、いかにも健康的でおいしそうな――いや、丈夫そうな鶏たちだ。


「あれが森の鶏ですか。普通の鶏より、少し強そうですね」


「うむ。油断するなよ、奴らの蹴りは岩をも砕く……というのは言い過ぎだが、お前の細腕くらいならへし折るかもしれん」


「食べるんじゃありませんよ。目的は飼育です。生け捕りですからね」


 私は釘を刺した。

 放っておけば、ベルは瞬殺して焼き鳥にしてしまいそうだ。

 群れは全部で五羽。

 一番体格の良い、立派なトサカを持つ個体が雄で、残りの四羽が雌だろう。

 彼らは地面を掘り返し、ミミズや木の実を啄んでいる。


「作戦はどうしますか?」


「単純だ。我が正面から脅す。奴らが混乱した隙に、一撃入れて眠らせる」


「一撃? 殺さないでくださいよ」


「安心しろ。手加減は心得ている。気絶させるだけだ」


 ベルは自信満々に鼻を鳴らした。

 私は頷き、後方で見守ることにした。

 私の出番はなさそうだ。戦闘力のない私が下手に手を出すよりも、最強の魔獣にお任せするのが合理的というものだ。


「行くぞ!」


 ベルが茂みから飛び出した。

 黒い稲妻となって、群れの中央へと突撃する。


「ニ゛ャァァァァッ!」


 王者の咆哮たる、いや、猫の威嚇音が轟いた。

 普通の動物なら、その覇気に当てられて萎縮するか、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すところだ。

 しかし、野生の鶏は違った。


「コッ!」


 ボスの雄鶏が、瞬時に反応した。

 逃げるどころか、翼を広げて体を大きく見せ、ベルに向かって突進してきたのだ。

 その眼光は鋭く、殺気に満ちている。

 こいつら、戦う気だ!


「ほう、生意気な!」


 ベルがひらりと宙を舞い、雄鶏の飛び蹴りを回避する。

 風を切る音が聞こえるほどの鋭い一撃が、空振りに終わった。

 着地と同時に、他の雌鶏たちも一斉に包囲網を敷く。

 連携が取れている。野生の厳しさを生き抜いてきた強者たちだ。


「コケェェッ!」


 一羽の雌鶏が、背後からベルの尻尾を狙ってクチバシを突き出す。


「おっと! 貴様、我の美しき尾に触れるでない!」


 ベルは不快そうに身をひねり、目にも止まらぬ速さで前足を振るった。


 パコッ!


 乾いた音が響く。

 雌鶏の頭部に、ベルの肉球が綺麗にヒットした。

 爪は立てていない。純粋な打撃のみだ。

 雌鶏は白目を剥き、糸が切れたように崩れ落ちた。

 気絶している。


「次だ!」


 ベルは流れるような動きで、次々と鶏たちを沈めていく。

 雄鶏の蹴りを紙一重でかわし、カウンターの猫パンチ。

 左右から迫る雌鶏には、回転しながらの連続パンチ。

 その動きは舞踏のように優雅で、無駄がない。


 パコッ、ポコッ、ドサッ。


 数秒後。

 そこには、五羽の鶏がピクリとも動かずに横たわっていた。

 全員、見事に気絶している。


「……ふぅ。運動不足の解消には丁度いい」


 ベルは前足を舐め、毛並みを整えた。

 汗一つかいていない。完全勝利だ。


「お見事です、ベル。傷ひとつなく無力化するなんて」


「ふん、赤子の手をひねるより容易いことだ。さあ、運ぶぞコレット。起きる前に檻に入れる必要がある」


 私は杖を振るい、水魔法で鶏たちをふわりと浮かせた。

 五つの荷物を従えて、私たちは教会への帰路についた。



 教会に戻ると、私たちはすぐに飼育場の建設に取り掛かった。

 場所は、教会の裏手にある日当たりの良い空き地だ。

 近くには小川も流れており、環境としては申し分ない。


「さて、鶏小屋作りですが……」


 私が思考を巡らせていると、ベルが首を振った。


「小屋? 狭苦しい箱を作るつもりか? それでは鶏がストレスを感じ、卵の味が落ちるぞ」


「……では、どうすれば?」


「放し飼いだ。広々とした大地を駆け回らせ、虫を食ませてこそ、極上の卵が産まれるのだ」


 ベルの主張はもっともだった。

 自由な環境で育った鶏の卵は美味しいと聞く。

 それに、衛生面を考えても、狭い小屋に閉じ込めるより広い場所で飼う方が清潔を保ちやすい。


「分かりました。では、この空き地全体を囲うように柵を作りましょう。脱走防止と、外敵からの保護のために」


「うむ。任せろ」


 ベルは森の方へ向かい、大きく息を吸い込んだ。

 周囲の空気が渦を巻き始める。


『断ち切れ、風よ』


 彼が短く念じると、真空の刃が風となって放たれた。

 ヒュンッ! という鋭い音が連続する。


 ズズン……。


 数本の木が、同時に倒れた。

 さらに、倒れる途中で風の刃が舞い踊り、枝葉を払い、樹皮を剥ぎ、均等な太さの杭へと加工していく。

 まるで、見えない巨大な製材機がそこにあるかのようだ。

 あっという間に、地面には真っ白な木材の山が出来上がっていた。


「……製材所も廃業レベルですね」


「感心するのはまだ早い。ここからが王の技だ」


 ベルが尻尾を一振りすると、加工されたばかりの白木の杭が、重力を失ったかのようにふわりと舞い上がった。

 一本、また一本。

 数十本の杭が空中で整列し、まるで意思を持った兵隊のように行進を始める。


「行け」


 ベルの号令と共に、杭たちは次々と地面へと突き刺さっていった。


 ドスッ、ドスッ、ドスッ!


 風の圧力で押し込まれた杭は、大男がハンマーで打ち込んだよりも深く、強固に大地に根を張る。

 隙間なく、等間隔に。

 見事な木の城壁が瞬く間に形成されていく。

 空き地をぐるりと囲む、広大な放牧場が出現した。


 四方を木の壁で囲まれた、広々とした運動場の完成だ。

 風通しも良く、日当たりも抜群である。


「あとは、私たちが中に入るための出入り口ですね」


 私は壁の一部を指差した。

 そこだけ杭を打たずに開けてある。

 扉が必要だ。

 木材の余りで扉の形を作ることはできるが、問題はそれを固定する金具だ。

 蝶番や釘、そして留め具。

 金属製品はこの森では手に入らない。


「釘や金具がありませんね……。蔓で縛るだけでは心許ないですし」


「ふん、そんなもの、土塊で作ればよかろう」


 ベルは地面の粘土質な土を前足で掬い上げた。

 そして、ボソボソと何やら詠唱らしきものを呟く。


『大地の骨よ、煉獄の息吹を受けて鋼となれ』


 彼が息を吹きかけると、土の塊が赤熱し、形を変え始めた。

 土魔法による成形と、火魔法による焼成の合わせ技だ。

 ドロドロに溶けた土は、空中で器用に分割され、鋭い釘の形や、複雑な蝶番の形へと変化していく。

 ジュッ、という音と共に冷却されると、そこには金属のように硬く焼き締められた、黒褐色のセラミック製パーツが完成していた。


「……陶器の釘ですか。相変わらず規格外ですね」


「強度は鉄にも劣らんぞ。さあ、組み立てろ」


 私はベルが作った特製の陶器釘と焼き固めた土製ハンマーを受け取り、扉の製作に取り掛かった。


 カンッ、カンッ。


 乾いた音が森に響く。

 焼き物の釘は、木材にしっかりと食い込んだ。

 蝶番を取り付け、杭の壁に設置すると、スムーズに開閉する立派な扉ができあがった。


 一時間もしないうちに、職人が建てたような鶏の放牧場が完成した。

 中には、教会内にあった、木箱をそのままおいて、雨風を凌ぐための簡易的な屋根付きの寝床と、産卵用の藁を敷き詰めた箱も設置した。

 水飲み場には、私の水魔法を使用して、近くの小川から水を引いてくる小さな水路も設けた。

 常に新鮮な水がある仕組みだ。


 私たちは気絶したままの鶏たちを運び込み、柵の中に寝かせた。

 しばらくすると、雄鶏がピクリと動き、むくりと起き上がった。

 彼はキョロキョロと周囲を見回し、自分が柵の中にいることに気づいて混乱しているようだ。

 続いて雌鶏たちも目を覚ます。


「コッ……?」


 一羽の雌鶏が、ふらりと立ち上がった瞬間だった。

 ポスッ。

 彼女のお尻から、白い物体が産み落とされ、藁の上に転がった。

 気絶からの目覚めのショックか、それとも単にタイミングだったのか。


「……あ」


 私とベルの声が重なった。


「産んだぞ! コレット、見たか! 太陽だ!」


 ベルが柵に張り付き、興奮して叫んだ。

 産み落とされたばかりの卵は、朝日に照らされて輝いている。


「やりましたね。初収穫です」


 私は柵の中に入り、威嚇する雄鶏を水魔法で軽く牽制しながら、素早く卵を回収した。

 掌に収まるサイズだが、ずしりとした重みがある。

 殻はほんのり桜色をしていて、温かい。

 命の温もりだ。


「一個だけですが、なんとかありつけそうですね。二人で分け合いましょう」


「うむ。王の情けだ。特別に貴様にも一口やろう」


 私たちは貴重な戦利品を手に、意気揚々とキッチンへと戻った。



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