第二十一話:ふかふかの布団と最高級の肉
森の上空を、布団や家具の行列が進む。
先頭を歩くのは私。
その後ろを、巨大なベッドやソファが、地上数メートルを空中浮遊してついてくる。
そして、その家具の上には、王様気取りの黒猫が乗っている。
森の動物たちも、この異様な光景に恐れをなしたのか、あるいは呆れたのか、一匹たりとも近づいてこない。
枝葉が家具に触れそうになると、ベルが風を操って巧みに回避する。その操作技術は神業としか言いようがない。
やがて、見慣れた石造りの教会が見えてきた。
ただいま、私の家。
昨日は殺風景だったこの場所が、今日から劇的に変わる。
「着陸だ」
ベルの合図で、家具たちが教会の前庭に静かに着地した。
ドスン、という音もなく、羽根が落ちるような静けさだ。
そこからは搬入作業だ。
さすがに屋内では飛ばせないので、私が水魔法で摩擦を消しながら、ゆっくりと滑らせて運ぶ。
礼拝堂の片隅、寝室として使っている小部屋に、黒檀のベッドを設置する。
殺風景だった石の部屋が、一気に高級ホテルのような雰囲気を帯びた。
礼拝堂の中央には、深緑色のソファを置く。
石の冷たい質感と、ベルベットの温かみが妙にマッチしている。
「……ふむ」
ベルがソファに飛び乗った。
前足で感触を確かめ、くるりと回ってから、どさりと横になる。
「……悪くない。いや、最高だ」
彼は目を細め、喉をゴロゴロと鳴らした。
「これだ。これこそが、王が求めていた安息だ。あの硬い床とも、煎餅布団ともおさらばだ」
「気に入っていただけて何よりです」
私はベッドに新しいシーツを敷き、羽毛布団を広げた。
ふわり、と空気を孕んで膨らむ。
私も試しにダイブしてみる。
ボフッ。
柔らかい。
沈み込むような、それでいてしっかりと体を支えてくれる弾力。
思わず、ため息が漏れた。
追放されてから、ずっと気を張って生きてきた。
硬い地面や、粗末なベッドで眠ることに慣れようとしていた。
でも、この柔らかさは、私が失っていた「安心」そのものだ。
「……幸せですね、ベル」
「うむ。金とは、こうやって使うものだ。だがコレットよ、忘れてはいまいな?」
ベルがソファから身を起こし、爛々とした瞳で私を見た。
「寝床は確保した。次は食だ。さあ、鞄の中の『素材』を解放する時だ」
「はいはい。少々お待ちを」
私は幸福感に包まれたまま、キッチンへと向かった。
新しい調理器具も買った。ワインも、バターも、すべて揃っている。
そして主役は、ここにいる。
私は鞄の中から、氷に包まれた肉塊を取り出し、調理台に置いた。
水魔法で維持していた冷凍状態を解除する。
氷が霧となって消え、中から鮮やかな赤身肉が現れた。
マンティコアの尾の肉。
解凍してもなお、ドリップ一つ出ず、筋肉の繊維が生きているかのように張り詰めている。
昨日の解体時、ベルが生で食べて絶賛した部位だ。
「では、仕上げといきましょうか」
私は肉を厚切りにし、表面に細かく切れ目を入れた。
買ってきたばかりの岩塩と挽きたての胡椒を振る。
熱したフライパンに、贅沢にバターを溶かす。
ジュワワ……という音と共に、芳醇な乳脂肪の香りが立ち上る。
そこに、マンティコアの肉を投入する。
ジューーーッ!
爆ぜるような音が響き渡る。
普通の獣肉とは違う、濃厚で野性味あふれる香りが、バターの香りと混ざり合い、暴力的なまでの食欲を喚起する。
表面をカリッと焼き固め、中はレア気味に。
肉を取り出した後のフライパンに、奮発した赤ワインを注ぐ。
アルコールを一気に飛ばし、肉汁とバターと煮詰めて濃厚なソースを作る。
「お待たせしました」
皿に盛り付け、ハーブを添えてテーブルへ運ぶ。
ベルはすでにナプキン代わりの布を首に巻いて待機していた。
「……これだ。これを待っていた」
ベルが厳かに呟き、フォークを突き刺した。
肉を口に運ぶ。
クチャ、クチャ……。
咀嚼するたびに、彼の瞳孔が開いていくのが分かった。
「……むぅぅぅ……ッ!」
「どうですか?」
「見事だ! 生で食べた時も衝撃だったが、火を通すことで脂の甘みが爆発的に増している! そして、この微かに舌に残る痺れ……毒の名残か? いや、これはスパイスだ。この刺激が、濃厚すぎる旨味を引き締め、次の一口を渇望させる!」
彼は興奮気味に語り、次々と肉を口に運んでいく。
私も一口食べてみる。
……なるほど。
普通の牛や豚とは次元が違う。
弾力が凄まじいのに、噛むと繊維がほろりと解け、そこから濃縮されたコンソメのような旨味が溢れ出してくる。
赤ワインソースの渋みが、脂の重さを中和し、完璧な調和を生み出している。
これが、Sランク魔獣の味。
命がけで戦った者だけが味わえる、勝利の味だ。
「おいしいですね。これなら、ワインを買った甲斐がありました」
「うむ。合格だ。コレットよ、我はこの教会を気に入った。ふかふかの寝床に、極上の食事。これこそが王の居城だ」
ベルは満足げにグラスの中身をペロペロとしている。
窓の外では、森の緑が風に揺れている。
かつては恐怖の対象だったその森も、今は豊かな恵みをもたらす庭のように感じられた。
ここには、煩わしい人間関係も、理不尽な命令もない。
あるのは、美味しい食事と、ふかふかのベッド、そして頼れる相棒だけ。
私はフォークを動かしながら、小さく笑った。
公爵令嬢だった頃よりも、今の方がずっと、私は「私」らしく生きている気がした。
マンティコアの肉の香ばしい匂いが、周囲に満ちていた。




